先週の続き、長慶寺山門の金剛力士像
その右側に立っているのが阿形のお姿
開いた窓から見える姿は丸顔でちょっと剽軽なのだが ☟
それが正面の格子窓から覗くと☟
こう見えるのがどうにも不思議なのだ
剽軽な丸顔が面長の精悍な顔立ちになる
目つきの鋭さ、引き締まった口元など
横から見た姿とは別人のようだ
視覚がそうなのだから
それ以上に思考は多岐にわたる別世界を創り出す
何が正しいかではなく
問うたところで意味はなく表層的な答えしか出てこない
つまり思考は
何を信じるかであろう
いや
信じる信じないの前に
否応なく思考は生まれてくる
思考を判断する基準があるわけでもなく
信じるに足る確証があるわけでもない
それなのに
喜怒哀楽、あらゆる感情の波が
思考と共に現われてくる
それはまさに海原の波ようだ
科学は自らが設定した(1+1=2みたいな)枠の中だけの世界だし
倫理の世界も神様も同じような事情で枠の中にはめられている
そんなこととはまるで無関係のように
感情は日々刻々と変わっていく
学者であろうが聖人であろうが、凡人は言うまでもなく、赤ん坊でさえ感情で生きている
心が迷子になるのは
当たり前のことだ
かつて航海の道しるべは北極星といったが
心の北極星はあるのだろうか
ある!
探しあぐねてやっと見つけた星
それが
今この時この場所とこの肉体感覚である
そこに時間軸とスケール軸の交わる原点がある
今この時この場所で体感する世界
そこに不満なく
一切合切を受け入れたら
感情は自分を越えて
宇宙そのものになるだろう
心の北極星は
至福を
指し示しているのだ
思考を捨てなくていい
北極星がある
五次元思考はその北極星を
より確かなものにする力がある
人間であることを楽しむ思考なのだ
今この瞬間を生きる場所が
示されるからだ
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