今回あるきっかけで
一年ほど前に投稿しました「子供にもわかる般若心経」の記述を改訂しました。
それは思索が深まった結果、今まで分からなかったものが
実感を伴って理解できたことがあったからです
そのことはのちに書くとして、
とりあえずその本文
を紹介しま
す
:
本物に出会う心の本
眼に見えないものでも見ることのできる仏様がいました。
ある日修行中に、自分の身体の見えない所にこそ大切な本物があることに気付いたのです。
本物に出会ったら、その時から苦しいことや嫌なことがなくなりました。
その本物はもうそれだけで、ほかには何もいらないほどの幸せを届けてくれたのです。
そこでお弟子さんに言いました。
舎利子よ、
この世にあるものはどんなものでもみんな、見えないところに本物が隠れているのだよ。
この花をよく見てごらん。
この花の周りには見えない空(くう)があるだろう?
それに、この花の中にだって誰にも見えないものが詰まっている。
見えないものは空っぽだけれど、この空がなかったらこの花はいないのだよ。
花の周りの見えない空(くう)にも、眼の届かない花の中にも、本物が隠れているのだね。
いいかい本物は眼に見えない。
それはあなたの心だって同じなのだ。
誰にも分からない自分だけの心だとしても、そのあなたの心の見えないところに本物は隠れているよ。
舎利子よ、
この世は見たままにあるのではない。見えない本物でできているのだ。
生まれることや、消えてしまうこと。
汚いものや、清らかなもの。
増えたり、減ったりすることも、
みんな眼に見えていることだから、本物ではないのだね。
眼に見えないところに本物はあるのだ。見えるものは人によって皆見え方が違うのだから、
見えているものはみな本物ではないということなのだよ。
考えてごらん、
あなたがいま見ていることも
いまあなたが感じていることも
そこに本物はないのだよ。
あるのはただ、あなたの思いと感じだけなのだ。
この世に形のあるどんなものも、その本物は見えないところにあるのだから、眼に映るままの世の中を見て、感じ、それこそが本物だと思うことも、決して見たままにあるのではないよ。
本物は眼に見えないところにあるのだからね。
花を見てもあなたは花のほんの一部を見ているだけだろう?
花を見て感じるのも、それは見えている花の一部から受け取った感じだし、
花を見て思うことも、それはあなただけの思いを広げているだけで、花そのものでないだろう?
花という本物は、どんなに捕えようとしても捕まらない。
本物は見えないところに隠れたままだと分かるだろう。
人はみな、眼で見て、耳で聞き、鼻で嗅ぐ。舌で味わい、この身で全身を感じる。
そして頭の中で色々のことを思うけれど、それだって本物は別のところにあるのだよ。
こうして見ている世界も、それに感じて思うことも、みんな本物は別のところにあるのだ。
分かり切ったことも、分からないことも。年老いていくことも、死んでいくことでさえ、
それはそう見えているだけで、本物は見えないところに隠れているのだよ。
だから、苦しみだって思い過ごしで、本物は別のところにあるのだよ。
この世を知ることも、富を得ることも、それはあなたに見えているだけのことだから、本物ではないのだ。
本物は見えないところにあるのだからね。分かるだろう?
だから何かを持っていると思うことは本物ではないし、何かを失ったと思うことも、本物ではないのだ。
いいかな、人は持っているものが本物ではないと知ると、自ずと手を開いて本物を受け取ろうとする。
そしてその、本物と共にいる者は、本物の力によって安心するのだよ。
本物を体験すると、心は見えることだけに惑わされないでいることが出来る。
心が惑わされなければ、苦しみや恐れはなくなり、間違った思い込みを持つこともないのだね。
するとあなたは誰もが皆、過去も未来もそして今も一人残らず本物の船に乗っていることに気付くだろう。
本物の船は沈むことも落ちることもないから、安心して身を任せる喜びで一杯になっていくのだよ。
どうしたら身を任せられる本物に出会えるのだろう?
そのためには、本物に出会いたいという願いだけがたすけになる。
ここには本物に出会いたいという強い願いによって、唱えることのできる真実の言葉があるのだ。
眼には見えない本物を、全身と全霊で感じさせてくれる言葉なのだよ。
教えてくれるのでなない、本物の響きで全身を満たしてくれる言葉の力だ。
その言葉は、神様の言葉であり、至福の宇宙の言葉であり、この上なく、二つとはない言葉なのだ。
二つとはない本物と深くつながっている言葉だからこそ、迷いや苦しみを心の中から取り除いてくれる力を持っている。正しい言葉を唱えると、響きが心と共鳴して見えない本物と心を真っすぐにつなげてくれる呪文となるのだよ。これこそが、真実の言葉と言えるだろう。
さあ、唱えてごらん
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ほじそわか
本物と出逢いたいという願いを持つこと
そんな心を持ち続けてほしいのだ。
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