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のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

第 三 部  五、生けにえ (王子とカルパコ)

2014-12-24 | 小説 黄泉の国より(ファンタジー)

王子とカルパコ

 

 ウイズビー王子は王の間に近い一室に幽閉されていた。そこは王子が生の国で自分の部屋として使っている一室だった。その部屋も、ここ黄泉の国では、全体に赤茶けて見えた。そこには王子が見慣れた調度品もいくつかあった。それらはおそらく長い年月、この王子の居間にあり続けているのだろう。王子はそのいくつかを、懐かしそうに触ってみた。机の引き出しを開けると、ゴキブリの死骸が山のように積み上がっていた。王子は思わず引き出しを閉めた。

 「王子様、お召し替え下さい」カルパコが白い肌着を持って来た。

  「おお、カルパコか、その下品なしもべの姿、似合うではないか。それでも裏切り者にはもったいないの。それにその頬のムチの跡、将軍はさぞかし優しいのだな。」王子は皮肉を言った。カルパコの頬にはみみず腫れになった、痛々しいムチの跡が残っていた。

 「言うとおりにする方が身のためです。」

 そう言ってカルパコはもって来た肌着をベッドに投げ付けた。

 「おい、召し使い、乱暴なしぐさ、気をつけるがよい。お前のご主人様に言い付けるぞ。今度はムチの跡だけでは済むまい。ハハハハ、」王子は見下した目でカルパコを見て笑った。

 「言い返さぬのか。さあ、哀れな召し使い、こちらに来てこの服を脱がせろ。そして丁寧に持って来たものを着せるのだ。」

 カルパコは突っ立ったままの王子から服を脱がせ、顔を真っ赤にして肌着を着せつけた。屈辱に体が震えていた。

 「さあ、こちらへ。」

 カルパコが導いた所は風呂場だった。そこでウイズビーの体を洗い清めねばならなかった。

 この儀式は本来自分の父、セブ十六世に対してウイズビー自身が、今カルパコの演じているこの役をやるはずだったのだ。父、セブ十六世から儀式の事を申し付けられたとき、ウイズビーはそれを受け入れなかった。

 その王は今頃、生の国の王の間でパルガの張った結界の力で、ヴォウズンクロウゾの魔力から逃れて安らかな寝息を立てているに違いなかった。

 その父の役回りが、自分に降りかかって来ようとは、ウイズビーは夢にも思わなかった。どうすべきなのか、捕らわれの身となってしまったウイズビーにとって、すべての策は失われたと見るべきなのかもしれない。しかしウイズビーには、意外と恐怖感はなかった。たとえヴォウズンクロウゾにこの身が吸収されても、魂まで奪われることはない。ウイズビーにはその自信があった。闇から立ち直った経験がウイズビーを知らぬ間に強くしていた。逆にヴォウズンクロウゾを従わせてやろう。自分の戦いはこれからだと、ウイズビーはそう考えていた。もちろんその考えには何の根拠もある訳ではなかった。ただ自然に沸き上がって来るウイズビーの思考だったのである。

 その思考は、ウイズビーの中で少しずつ広がり、カルパコに対する思いに変化をもたらし始めていた。

 この一連の戦いは、すべて王家の問題から生まれたものだった。結局のところこの問題を解決するためには、自分が、魔物ヴォウズンクロウゾと戦うしかないのだ。そのためには身を呈してヴォウズンクロウゾの懐に飛び込み、その悪の心と戦うしかないのだ。

 そう考えると、ウイズビーには、カルパコの裏切りなど取るに足らない問題に思えて来るのだった。すると、ほんの一瞬のひらめきだったが、ウイズビーの心に、カルパコが可哀想に思える瞬間があった。その思いは瞬間であったにもかかわらず、ウイズビーの心になぜか引っ掛かって来た。

 この男は、王家の問題に引き回されて自分の人生を狂わせてしまったのだ。何の関わりもない人間が、ウイズビー自身が演じるはずだった王家の役割を引き受けさせられているのだ。可哀想と言えば可哀想な男に違いない。

 ウイズビーはいつの間にか、カルパコの事を冷静に考え始めていた。するとカルパコの奇妙な振る舞いの理由が見えて来るようにも思われた。王宮の花園に突然現れて襲って来たその訳が、王子の胸に電撃のように駆け巡った。

 「そうだったのか。」

 ウイズビーは独り言をいった。

 「さあ、お湯にお入り下さい。」カルパコが湯船に王子を招いた。

 「久しぶりの風呂だな、ありがたい。」

 「加減はいかがですか。」

 「うむ、ちょうどいい。気持のいい湯だ。」

 カルパコは王子の背後から王子の背中を洗い始めた。湯船が白く泡立って、その中にウイズビーは身を沈めた。そして大きく息をついて目を閉じた。

 「私は生まれて初めて地下牢に入った。あれは貴重な体験だった。」ウイズビーは目を瞑ったまま言った。

 「そうですか。」そっけなくカルパコは受け流した。

 「これであいこだな。」

 「何がですか。」

 「私もそなたを一度地下牢に入れた。」

 「遠い昔のようですが。」

  「いずれ死に行く身、先に謝っておこう。」

 「王子様。」カルパコはびっくりして王子の身体を洗う手を止めた。

 「いまさら、どうにもなりませぬ。」カルパコは力を込めて再び王子の体を洗い始めた。 「そうだな、過ぎ去ったことだ。どうにもならぬ。」

 二人はしばらく無言だった。

 「なぜそんな話をするのです。」今度はカルパコが口火を切った。随分間の抜けた会話だった。

 「牢でセルザという骸骨の囚人と出会った。」

 「それがどうかしたのですか。」

 「セルザは地下牢で三十年も責め苦を受けながら守り通したのだ。」

 「一体何を、」

 「ある女性への愛情だった。」

 「愛情?」

 「そうだ、その女性のために花を採ろうとして崖から落ちて死んだ。牢でセルザは女性を憎む事を強要されたのだ。しかし三十年も拷問に耐えながらそれを拒否し続けたのだ。」

 「それがどうしたのです。」

  「どうした訳でもない。ただ、そのセルザが愛した女性の名を聞いたとき私は驚いたのだ。」

 「何という名で?」

 「ロゼッタと言った。私の母だったのだ。」

 カルパコは息を飲んだ。

 「私はその時、セルザにその事を言うことが出来なかった。」

 「どうしてです。」カルパコは王子の話に引き込まれて、思わず訊いた。

 「母はセルザが死んでから、或ることで王に見込まれた。母はセルザの心を捨てたのだ。そんな話を三十年も思い続けた男に言えるはずはなかろう。」

 「そうですか。」

 「そう思ったとき、私はふと思い当たったのだ。」

 「何を、」

  「カルパコ、そちはエミーを好いておるのだな。」

 「いまさら何を言うのです。」

 「そのために悪魔に魂を売ったと考えると、セルザと裏返しでよく分かるのだ。それほどそなたはエミーを好いていたのだとな。」

 「王子様。」

 「私は許す。」

 「一体何を、」

 「お前をだ、カルパコ、私は悪魔に心を売ったお前を許す。」

  カルパコは次の言葉が出なかった。ただ黙々と王子の体を洗い、ベッドに横たわらせた。王子も黙ったまま、カルパコに体を任せていた。

 カルパコは王子の体に、なみなみとコンク酒を注いだ。その酒はどろりと濁っていた。王子の体が腐ったコンク酒に汚されていった。

 王子は静かに眠っていた。その姿は、これから殺されようとする人のようには見えなかった。

 「怖くはないのですか。」

 「怖い。」

 「ではどうしてそんなにゆったりしていられるのですか。」

 「じたばたしても始まらぬ。」

 「王子様、」

 「何だ。」

 「お、俺が間違っていました。」

 「もうよい。」

 「俺のために、こんなことになってしまって。」

 「許すと申したはずだ。」

 「王子様、」

  「それよりカルパコ、儀式のおりには、見事私の首を切り落とすのだぞ。私は死んでも負けはせぬ。分かったな。」

 「はい、」

 カルパコの心は急にエネルギーを失っていた。相手を見失って、憎しみのエネルギーだけが中空をさまよっていた。王子はカルパコを許すと言った。悪魔と関わったそのことを許すと王子は言ったのだ。信じられない言葉だった。カルパコは完全に負けたと思った。するとそのとき、悪魔の囁きがカルパコの心に盛り上がって来た。

 『憎め、憎むのだ。そんな言葉を信じてはならぬ。』

 「しかし、」

 『だまされてはならぬ。』

 『だまされてはならぬ。』

  『だまされてはならぬ。』

 『だまされてはならぬ。』

  『だまされてはならぬ。』

 『だまされてはならぬ。』

  『だまされてはならぬ。』

 『だまされてはならぬ。』

  「やめてくれ!」

  カルパコは頭を抱えてうずくまった。

  『許してはならぬ。』

  『許してはならぬ。』

  『許してはならぬ。』

  『許してはならぬ。』

  『許してはならぬ。』

  『許してはならぬ。』

  『許してはならぬ。』

  『許してはならぬ。』

  「ギギギギ」

  カルパコの心は激しく揺れ動いていた。真っ二つに割れた心が互いに主張しあって、幻想がカルパコを窒息させるほどに膨れ上がり、再び自分を見失っていった。心は黒い霧の中に迷い込み、涸れ果てようとしていた。

 

 

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