彼女は、さっさっさ、と何かを取り出して作業台に載せ、大きめの鍋に水を張り火にかけた。袖をめくり、隅の手洗い場で丁寧に手を洗う。手洗い場から戻ると包丁を取り上げ、さくさくとんとんと小気味のいい音を立てて何かを刻んだ。
頃合いを見て彼女は、鍋へ乾麺らしいものを入れる。パスタだろう。合間に器の用意や、使い終わった道具類を洗ったりしつつパスタの茹で加減を見る。やがて鍋の隣のコンロで刻んだものを炒め始めた。香ばしいにおいが立つ。
私は正直、ちょっと驚いた。『ころっ』『まるっ』の体形に似合わぬ、素人目にも無駄のないシャープな彼女の動き。こう言っては何だが、マスターよりよほど手慣れている。
手を動かしながら二人は、いかにもなれ合った雰囲気で一見客の私にはわからないことを楽しげに話していた。
不思議な人たちだ。
ただの常連客と店主にしては近すぎるが、別に恋人とか身内とかいう感じでもない。互いの連れ合いや家族の近況らしい話もしているが、そこの変な慮りや緊張は感じられない。強いて例えるなら、ごく仲のいい先輩と後輩、とでもいうところだろうか?
「お待たせしました」
マスターがブレンドコーヒーを運んできた。
コーヒーカップとソーサーは、素人陶芸家の作品めいた無骨なものだった。マスターの手作りなのかもしれない。やっぱりおたくのおじさんが趣味でやっているお店なんだな、と私は思った。しかし、ざらっとした表面の薄茶色のカップの中のコーヒーは、真っ黒で艶めいていて、いい香りだった。
カップを取り上げ、口に含む。
苦みの後ろにあるほのかな甘みが、自覚以上に冷えていた身体に沁みる。渋みも程よく、いやな癖がない。すうっとのどを通ってゆく。
おたく、おそるべし。
予想以上の、ややうろたえるくらい美味しいコーヒーではないか。
そんなことを思いながらほうっと息をついた時、突然、白いカフェオレボールに盛られたパスタがサーブされた。トッピングの青葱が美しい。
「よろしければどうぞ。まかないですけど、彼女はありあわせ料理の天才ですから旨いと思います」
「は?」
意味がわからず、私はマスターの白い髭をまじまじと見上げた。少し困ったように彼は笑う。目をそらして照れくさそうに頬をゆがめる、小学生の男の子みたいな表情だった。
「いえその。私は昔から、自分ひとりだけで食事をするのが苦手でしてね。食べるのならその場にいる人みんなで食べたい派、なんです。ですからお客様にもご相伴いただけたらと。ああ、もちろん、どうしても食べたくないとか、パスタを食べると蕁麻疹が出るとか、そういうことでしたら下げさせていただきます」
下げさせていただきます、と言うマスターの目が一瞬、捨て犬の目のように哀しげに潤んだ。いただきます、と言うしかないではないか。
「まかないを無理にお相伴していただくのですから、もちろんパスタのお代はいただきません」
心から嬉しそうにマスターは言う。
「すみませんねえ、常識はずれな店で」
いつの間にかカウンター席に戻っていた『レイちゃん』が、フォークにパスタを巻き付けながら口を添えた。なんとなく彼女の方が店主めいている。もしかすると彼女がオーナーで、マスターは雇われているのだろうか?
いや、それよりもこれって、食品衛生法とかに抵触しないのかという心配が頭をよぎった。まあ……小さな、良く言うのならアットホームな店だ、ここは。そう大袈裟に考えなくてもいいだろう。
食品衛生法云々については考えないことにして、せっかくだからいただくことにした。
ちょうどおなかも空いてきたところだ。炒めた玉ねぎの甘いにおいと、青葱の瑞々しいにおいが鼻をくすぐる。添えられたフォークを取り上げ、麺を絡めた。
基本の味付けはペペロンチーノ風だ。
にんにくの代わりに玉ねぎの薄切りを使い、細かく刻まれたベーコンのうま味と、控えめに入れられている輪切り唐辛子の辛みがいいアクセントになっている。隠し味にレモンが少し入っていそうな風味。そして。
(葱、美味しい!)
多めにトッピングされた葱がいい。かすかにひりっとする辛みと苦みの後に一瞬だけ、さわやかな甘みがほのかに広がる。葱が甘いなんて、私は初めて知った。
「あー、やっぱり葱、美味しいー」
「この時期の葱は甘いな」
カウンターの二人もそう言い合っている。
一口、二口……私はゆっくりと咀嚼する。
なんだろう、すごく懐かしい気がする。
前歯で奥歯で噛まれる度に、口の中でさくさくと乾いた音を立てる小口切りの葱の食感。あるかなきかのかすかな甘み。
(あ?)
雪のかたまりをつかむ子供の小さな手が、見えた。
手を伸ばし、雪をつかむ子供は私。
小学校低学年の頃だった。
突然の雪に嬉しくなって外へ出た。
あるかなきかの、さくさくという音がひそやかに響く。雪のひとひらひとひらが大きくて水気の多い、いわゆるぼたん雪だった。
着ていた赤いジャンバーが瞬くうちに白くなるのは面白かったけれど、頭に重なる雪の気配は鬱陶しかった。時々首を振ったり手で払ったりしながらも、私はうきうきと家の周りを歩き続けた。
そうこうしているうちに物干し竿の上へ積もった雪を見つけた。
不思議だった。あんなに細い、不安定な形のものの上へこんもりと雪が降り積もっているのだから。
おそるおそる手を伸ばす。きし、とでもいう鈍い音と、てのひらで急に縮こまって水になる雪のかたまり。半ば溶けたそれを、私はやや持て余し、足元へ落とす。
きし、きしと鳴らしながら、私は調子に乗って物干し竿の雪をつかみ続けた。
さすがに手が冷たくなってきた。濡れて赤くなった手を、一度太ももの辺りでぬぐう。大きく吐き出した息が白い。
最後のひとつかみを足元へ落とす一瞬前、ふっと魔が差したように私は、手の中の雪を口に含んだ。急にそうしたくなったのだ。てのひらで水気の多い氷のようになった雪は、解けかけたアイスキャンディのようだった。
かすかに埃のにおいがしたが、その雪は何故か、ほんのりと甘かった。
(雪は甘いと言って……笑われたっけ?)
甘い訳ないだろう、雪は砂糖でもアイスクリームでもないのだからと一蹴され、思わず涙ぐんだ……。
(つづく)
※ 「喫茶・のしてんてんへようこそ」第1話は次回で完結で^す^
さてどんな話になりますことやら、しかしまだそれは作家かわかみれいの胸の内。
皆様、またの日をお楽しみ^に^
なかなかおいしそうです。
お腹を空かせてお楽しみ下さい。
>マスターよりよほど手慣れている
→ 思わず吹き出しました ♪ どうしても、のしてんてんさまとマスターのイメージが重なって・・
>かすかに埃のにおいがしたが、その雪は何故か、ほんのりと甘かった
→ わかります、その感覚。
かわかみ れい さまの文、” 匂い ” や ” 味 ” まで味方( 文中 )に引き込んでおられて、ウットリします ♪
日差しは春めいていますが、今朝はやや肌寒いですね。
お褒めいただき、ありがとうございます☺。
五感を味方につけるのは表現の基礎でしょうが、簡単なものほど難しい。
日々精進と己れに言い聞かせております。
しかし、根が食いしん坊と言いますか食べることが好きですので、美味しそうな描写、読むのも書くのも好きです。
美味しいというのとは違いますけど、雪の後味ってなんとなく甘いですよね?
何故知ってるかというと、子供の頃魔が差して嘗めたからですが(笑)。
空気のきれいな高山の雪なら、もっと清らかな甘さなのでしょうか?
うーん、食べてみたい……え?
ア、雪は食べるモノではありませんでした。
雪つながりで?本日のモーニングサービス、フレンチトーストに粉糖を飾り、提供させていただきます🎵
それにしましても北国にお住いのお師匠様から雪の感想、何てうれしいことでしょう^ね^
実は私もめったに降らない雪を食べたことがあります。埃っぽいというのが実にリアルに思い出されるのですが、私はてっきり雪の少ないところの雪だから、埃がひっついているのだと思っていたのですが、そうですか、雪国でもそんな味がするのですねぇ~
むっちゃんも喜んだみたいで、豪華な初雪トーストなんて、私も食べさせてもらってませんから^ね^
コーヒー変わりしますからゆっくりしていって下さい。
そうそうむっちゃん、お土産ですよ
「鳴門うず芋」
ふかしイモを蜜に漬けて干し上げたものらしい(試食してないけど)
でもむっちゃん、
これでまた☆上げましたね^ぇ^
「 モーニングサービス、フレンチトーストに粉糖を飾り 」ありがとうございました おいしくいただきました
のしてんてんマスターおすすめの「 コーヒー変わり 」それと あとで
「 豪華な初雪トースト 」
頂けますか? すみませんねぇ お忙しいところ
_____
のしてんてんさまぁ~ ♪ うっふ~ん
>コーヒー一杯でねばっているっ
↑ そんなこと無いってば! げきおこぷんぷん( ← 古っ )
鳴門、ということは渦潮見学でしょうか?
あれって時期がありましたよね。
今の時期、美しい渦が見えるのでしょうか?
お芋、いただきます☺。
しかし、sure_kusa師匠がツッコミメニューをご所望ですが、まだそのメニュー、マスターから教わっておりませんよね(笑)。
この機会にご教授を(^o^)。
やや?真面目な話。
ウチの弟が読んでくれているようです。
大団円を期待します、というメールに、少々ビビる雇われママでございます(笑)。
目的は、嘘の美術館に行ってきたんです。にせものだけの美術館ですよ。
その素晴らしさはまたいずれ報告しましけれど、私が行きたいと思った発端は、2000年の花博おぼえています?そこからなんです。
私の作品が大賞を頂きまして(いきなりドヤ顔にドヤサレソぅ)
当然花博の会場行きますわなぁ
そこでミケランジェロの実物大の陶板画に出逢ったのです。(システィナ礼拝堂の壁画)
大塚国際美術館ですが、それ以来一度は行きたいと思いながら、やっと実現したわけで^す^
ここでしゃべっていたら、また師匠帰れませんから、またじっくりお話ししますね。
これ、むっちゃん、私にも残しておいて余・・・って、(味見してないんだから)
弟君ですか!うれしいですね。
一度コーヒー飲みに来て^ね^初雪トーストで接待しま^す^よ^
いやいや、むちゃん、これからは花びらトーストですかねぇ