「ヒト」と「人間」
同じように聞こえるが、そのことばの意味には大きな違いがある。
砥石の話しは、そのことに気付かせてくれたように思います。
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①私たちはヒトとして生まれた。
真実はそこにある。もっとも重要なポイントだ。
②しかる後に、私たちは人間になる。
「ヒト」と「人」の間を見極めて作り上げた偶像であり、それは真実とは違う。
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私たちはこの二つの要素を抱えて生きていると言っていいでしょう。
この二つの要素をバランスよく受け止めることが私たちには必要なのです。
しかし私が思うに、
人間関係に悩む人たちの多くは、①の、ヒトとしての真実を忘れているのです。
砥石はヒトを磨きますが、他方ではヒトをぼろぼろにしてしまいます。
砥石の一連の話は、実はこのことを言いたかったのだと、今気付きました。
砥石が正しく作用していないと、人は互いを傷つけあうしかありません。
人間関係のもつれが悲惨な事件を引き起こす。
うまく人の間を取れなくて引きこもり、自己嫌悪、自暴自棄、真実を見失ういのち。
最悪は、神を語り喜んで人を殺す。
人間が引き起こす恐ろしいシナリオはすべて、ヒトの真実を忘れた行いなのです。
人間が、ヒトの真実を忘れて、一人暴走しはじめている。妄想に突き動かされ、妄想は妄想を呼んで、世界を滅ぼす可能性は充分あるわけです。
クリスマスに、あえて書きましょう。
人間の暴走を止められるものは、ヒトの真実への気付きしかないのです。
ヒトの真実があって、初めて正しい人間が生まれる。
人間とはヒトの真実を活かしあうための装置であるはずなのです。
神が人間をつくったのだとしたら、
この真実を優先させる回路をつけ忘れたとしか言いようがありません。
人間で悩まされる最初のつまずきは、小さな自己嫌悪。
自分が好きじゃない。
人の間でうまくやれない自分。
人とうまく付き合おうとして、ごまかしてしまうみじめな自分。
人並みでなければ価値のない自分。
人間とうまく付き合えないで苦悩する材料はごまんとある
そんな時、
自分の中にある真実に目を向けたらいい。
生まれたままのあなた。
聖人の誕生と一分一厘たがわないいのちが、あなたなのです。
こんにちは!
「自分の中にある真実に目を向けたらいい。
生まれたままのあなた。
聖人の誕生と一分一厘たがわないいのちが、
あなたなのです。」 (のしてんてん画伯)
のしてんてんさんのお言葉の通りだと思います。
わたしたちは、宇宙同根多種多様万物一体!
わたしたち森羅万象万物すべての存在に、
宇宙神は宿っていると信じております。
わたくしなどは、いつまでも未熟もので、
常に、森羅万象すべての万物師から、
学ばせていただき、育んでいただいておりますが、
真実(神実)☆有り難いことです^ね^
のしてんてんさん、いつも有り難うございます♪
今後ともよろしくお願いいたします。
感謝∞八方拝です~~☆
未熟もまた心。その心が、神と変わる時が来るのだと思っています。
来たとしたら、いつでしょう?
そう、今なのですね。
この瞬間は迷いがあっても、次の瞬間には迷いが晴れる。
その時って、
それは未来ではなく、今この瞬間に身を置いているとき以外にありませんよ^ね^
達観も未熟も幻想で、
己の意志でそれを捨てた瞬間、宇宙神と出逢うのかもしれません^ね^。