とある駅で、真っ先に目に入ったのがこれ↑
大坂府が元気なころ、大阪トリエンナーレという大きな国際コンクールを打ち出しました。当時優賞賞金1000万円は破格でした。何より作家たちが大いに活気づいたものです。
この作品↑は、丸太を束ね、それを球体にくりぬいたもの。
小枝を束ねた、こんな作品もありました。↓
さてこの駅から見た風景がこれ↓(曇天ですが)私が行こうとしているところ、もうお分かりですよ^ね^
冒頭に紹介した大阪トリエンナーレは1990年から10年にわたり3部門をトリエンナーレ形式で行った国際コンクールでした。
それからさらに20年も前にさかのぼって、大阪がスモッグにまみれ公害をまき散らした経済成長真っ盛りの時、日本の工業化を美化するために開催されたのが大阪万博でした。(私が、空気のきれいな山奥から大阪に出てきたまさにその時でもありました。当時、今の中国の北京のスモッグと全く同じような空気と汚れた川と万博を体験したのです。)
当時メインを飾ったシンボル太陽の塔(岡本太郎の作)
「人類の進歩と調和」をテーマにした万博のシンボルになった太陽の塔ですが、もともと「進歩」に対してブレーキとなるような「命」を真正面に掲げた作品だったのです。工業開発の副作用である環境破壊と命をどう調和させるのか、工業化に対する力強い警鐘を打ち鳴らしたのです。そして面白いことに、万博終了後、その跡地にはこの「命」だけが無傷で残っていたのです。
この内部には、生命の歴史をかたどる命の樹が設置されていましたが、万博終了後内部は非公開となり、その存在を知るものも少なくなっていました。
それが今、内部修復され一般公開されているのです。そんなニュースを見てポロリと思い出が口に出たら、妻がネットで観覧予約券をゲット、その間数分足らず。この見事な連携は自慢してもいいでしょう。
曇天の下の太陽の塔。それはそれで、趣がありました。
背中には黒い太陽、そして地下には地底の太陽があったのです。
内部の一般公開は見事なものでしたが、残念ながら撮影禁止。
パンフレットから、その様子を想像してください。
この命の樹に添って登って行けるのはほぼ40メートルの高さ、太陽の塔の両手をひろげた胸のあたりまで階段で周囲を螺旋に回って、命の進化を辿っていく趣向になっています。
事前予約の入場制限で混雑なく見ることが出来ました。
「芸術は呪術だ!」。岡本太郎の言葉が最後に心に響きました。
その後、日本庭園散策。
ピンボケですがこんなバラにもであってきました^よ^
黄金の顔・・パラボラアンテナのようですね。
のしてんてんさまのお写真で初めて拝見したので、今迄知りませんでした。
内部のアートもカラフルで、一度見てみたいです。
お妻さまとの連携・・本当にすばらしいですね!
1964年の東京オリンピックでわいて、その流れで6年後の大阪万博。
おそらく全国規模で一番盛り上がった催しだったと思います。
それ以後この盛り上がりは他にみませんね。
太陽の塔は、
歴史的にも見ごたえがあるかもしれません??ので、機会がありましたら足をのばしてみてもいいかもしれません^よ^
実は”太陽の塔”と岡本太郎氏について真剣に見て調べもしたのが初めてでした…偏見で「突飛な方」という印象で今まで近づかなかったもので
…調べて、そしてこの記事で太陽の塔へ込めたメッセージや”命の樹”という存在を知って…彼の才能とそれが描く素晴らしさを初めてちゃんと見た気がします。
…命の樹の発想、太陽の塔が持つ顔やそのものによる心に響く存在感…。
いつか見に行きたいし、この作品のような意志と力の満ちた作品を作りたい…
今回も、心が躍る記事との出会いに感謝を!! (そして、るんるんわくわくの想いと、奥様の見事な連携プレイも楽しく読ませていただきました!)
総じて 「良いものを見せていただき感謝!」
彼が活躍していた同世代に生きていた者としても、当時私もそう思っておりました^よ^
自由を重んじ、自分に壁を作らない意志の強さでしょうか、それが奇行に見えるのかもしれませんね。
何かの本で読んだのですが、彼が禅宗のお坊さんを前にして講演をしたことがあるそうです。
その時、「修行のためみなさんは街に出て辻に立ちますが、いったい何に出逢うためなのか」
と聴きます。
講堂は静まりかえたそうです。
そして次の岡本太郎の言葉で満場割れんばかりの拍手が歓声と共に起こったと言います。
その言葉はこれです。
「皆さんは辻辻で何に出逢うのか?それは己に出逢うのだ」
どうです?
これが岡本太郎の芸術なんです^ね^
他をてらう自分と妥協しない。ダメと思う自分に決して負けない。
自分を自分として生きる。そこに良し悪しはない。あるのはただ己を100%生きようとする強い意志なのですね。
私も学びたいです^よ^
綺麗であってはいけない
上手くあってはいけない
心地よくあってはいけない
人は
専門家であってはいけない
職業家であってはいけない
芸術家であってはいけない
人は人間家でなければならない。
「皆さんは辻辻で何に出逢うのか?それは己に出逢うのだ」
…「これが岡本太郎の芸術なんです^ね^」”も含め、まさに”…あぁ!…なるほど。”と想う答え。 見事と。
そして次の言葉に心からの”いいね”を、本当に。
「他をてらう自分と妥協しない。
ダメと思う自分に決して負けない。
自分を自分として生きる。
そこに良し悪しはない。
あるのはただ己を100%生きようとする強い意志なのですね。」
…言葉で伝えるのは難しくそのままに
”読んで…うるっとしました。ただただ、励まされるいい言葉”と。
のしてんてん様のコメントでの新たな学びと、言葉に…改めて感謝を!
酔っぱらってどうしたん^で^すぅ^?
って、ちょっと言葉を飲み過ぎたんでしょうね。
言葉が暴走してます^よ^
「人間家」なんて、人間じゃないみたいじゃないですか。
人だから芸術家や専門家になっていいですけど、人が人間家になってどうするんです?
こんなジョークどうで^す^
ついに真っ青なバラを咲かせました!!
素晴らしい、どっやったんです?
何、簡単でした。バラに本当のバラになるため、バラの専門家になるよう勧めただけです。
もう、抱きしめたくなるくらい、まじめな御心に、私の方こそうるっとなりました^よ^
共に学びましょうね。
私はね、ダメ人間なんですよ折師さん。そしてあなたも、少なからず自分のことをそう思っていらっしゃる。肌で感じるんです。(間違っていたらごめんなさい)
ダメ人間は大きなことは出来ないかもしれませんが、地べたの誰にも見えないところが見えるんです。この天才に気付くことは出来るんですから^ね^
岡本太郎さんはパリ大学民族学科卒業です。
それより今分かった気がします。
地下のブースに縄文土器や土偶が地底の太陽を盛り上げていました。その土器が民博からの借り物ということでしたが、案外岡本太郎のその経歴が関係していたのかもしれませんね。