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朝、里依子は私と別れてから、伊藤整の『若い詩人の肖像』を買って読んでいるんですと話した。
列車の中で夢中になって読んで、もう彼が教師になる所まで読みましたと言ったとき、私は激しい喜びを感じた。それは純粋な喜びの伴う驚きだと言ってもいいだろう。私は知らぬ間にベットから起き上がって、受話器にしがみついていた。
今日歩いて見たすべての風景を里依子に伝えたい衝動に駆られ、私は小樽や蘭島、そして忍路や塩谷のことを話した。
その時私は、忍路の港を見ながらその風景を里依子と共有しているような感覚を体験した事を思い出した。
今ここで私が感覚している忍路港が、なんだか私ではなく里依子が感じているもののように思えた一瞬があったのだ。
それがどういう理由であったのかは分からなかったが、しかしそのことで心は随分満たされていた。
私は里依子を強く意識していたのだろう。そしてその頃里依子は伊藤整の本を買って読みふけっていたというのである。彼女の意識の中にも忍路港があったのだ。私の思いは決して偶然ではなかったと思えることが私にはうれしかった。
私はいつの間にか酔いから覚めていた。
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