2002年全興寺(第4回瞑想の絵画展)
全興寺での10年展の中でも、最も充実した展覧会となったのが2002年の第4回展でした。
この年、御住職は作品展示場所を寺全体に拡げてくれました。
中でも、本堂の祭壇の左右に作品を展示するように言われたのには驚きました。
作品を中央の祭壇の横にある仏様を安置した厨子の前に置けと言うのです。
加えて、同展では作品を野外にも展示いたしました。(その後野外展が主流に)
本堂の動かない闇のイメージとは対照的に、野外の光と影、そして風の通り抜ける葉音が絵を躍らせてくれます。そんな対極の展示を体験させていただいたのですが、
加えて、今まで展示させていただいていた庫裏には、新しい試みの作品を展示したのです。
画面全体を中間トーンだけで仕上げる作品で、今思えば本堂の展示と野外の展示とは違った、対極の中道を行く作品展示だったのです。
それが今の空気を描く作品につながりました。
和尚さんは可能性があるとしてそれを評価してくれました。
しかし空気を描くということは、描く線に、何を描くという目標がない。つまり意味のない線を描き続けなければいけないわけで、細部を見ないで全体を描くということになるのです。それは描かないで描くというようなわけの分からないことを、細いシャーペンでやる?ということになって、結局長いあいだ理解することが出来ませんでした。
10年展終了後さらに10年の音信不通から、やっと描けた作品を見て御住職は大層喜んでくれました。
「そろそろあなたも自分の集大成を創らんとな」
「失礼やがあなたは」(はい?)
「絵描きとして不器用すぎる」(おっしゃる通りで・・・今だに・・)
「その不器用がいいのだ」(はあ?)
「不器用を見せたらいい」(そ、そうなんですか?)
私が示したプランを見てこれはどこにでもある器用な襖絵だというのです。こんなものはうんざりだと言わんばかりの語気の中に、私は和尚さんの失望を感じ取りました。
そしてその時やっと気づいたのです。
あの第4回展で絵を祭壇の前に飾らせてもらえたのは、私の絵の中に仏と同等の何かを見たからではなかったのかと。そうでなければ普段入れない本堂の祭壇の、しかも結界の中にある厨子を後ろに隠して作品を展示するなど考えられない。誰が見ても神聖な仏の場所を汚す行為ではないでしょうか。(恐れ多い気持ちを口にしましたが、良いという強い言葉にそれ以上の思考を止めたのを思い出します)
しかしなぜそのことに今まで思いが至らなかったのか、
そう考えれば「空気を描きなさい」という言葉は、その内なる仏に気付かせようとした和尚さんの心遣いだったのだ、と。自然に見えてくるのに。
分からないまま、御住職の示して頂いた道を歩んできただけなのかも知れない。
今さらながら私は、
和尚さんの見ている仏性と、私が追い求めている五次元の描く宇宙と神のイメージが重なっていくのを感じたのです。
それなのに、十数年もかかってやっと気づいたのか!という内心の和尚さんの前に、私は空っぽの箱を差し出した。(オイオイ;)
そんな己の愚かしさが見えて、私はやっと決心することが出来たのです。(こわいけれど・・・)
やるなら今しかない。
もはやプランなどいらないし、うまい下手もない。
形のない仏性を私の理解できる宇宙観と重ねあわせるしかない。失敗してももともとということです。(っていうか、どこまで本気の本心でやれるか)
「3日間、ここに籠らせていただいて絵を描いてもいいでしょうか?全力で明け渡す体験をしてみたいと思います。」
「大変なことは分かるが、やってみなさるか。」
「いつかやらなければいけないことなので・・・」
「分かった、そうしなさい」
御住職が笑って応えてくれました。(つ、ツッコめなかった・・)
大仕事のご準備に忙しくされているでしょうか?
我が家では早めのバレンタイン、お菓子を作りました。
たくさん作りましたので、少しだけおすそわけ。
ホットケーキミックスと絹ごし豆腐で作るお手軽豆腐ドーナツに、チョコレートのコーティング。
トッピングはローストしたスライスアーモンド。
息子のリクエストです。
生地にココアパウダーを混ぜたドーナツに、ホワイトチョコレートをコーティングしたものが彼の好み。
ノーマルタイプのチョコレートコーティングが好きなのはダンナ(お父さん)。
二人の好みが違うので、二種類作りました。
いかにもハンドメイド、な垢抜けないお菓子ですが、甘すぎない味に仕上げました☺。
ブレンドコーヒーのお供によかったらどうぞ。
疲れた時は、コーヒーと甘いものが沁みますね~。
音信不通でも
和尚様とのしてんてん画伯の
以心伝心交流
阿吽の呼吸
やはり心速念波は
速度概念を超越
すばらしいです
和尚様の叱咤は
如意宝珠の輝き
感動をありがとうございます(=^ェ^=)!
感謝一念
まかこ 拝
男がふるいにかけられる魔の一日
一目瞭然、公然と人前にさらされる男の通信簿・・・・
いやでしたねぇ~
それでも、その一欠けにでもありつけると嬉しいもので、とりあえず溜飲を下げる職場の義理チョコにも感謝したものです。
いやぁ^~^むっちゃ^ん^¥
それに比べ家庭のバレンタインデーはいいものですね。
ほっこ^り^
豆腐ドーナツ?!?!?
豆腐がドウナッってんの?
ドウナツ型の豆腐?売ってる?
いやぁ私には初物です。
どうしても醤油のコーティングしか思いつかないので、チョコと豆腐が口の中で固まったままお見合いしています。
さて、無難に、お茶代わりのアメリカンを入れて、いただきます^ね^
人間関係で言いますと、
和尚様は、
一歩たりとも私に近づいてきてはくれませんし、
私は私で、いつまでも恐れ多い存在の和尚様ですから出来たら離れていたいのです。
ですからつながっているのは肉体のない心だけです。(宗教もありません)
すると10年前のことでも、今なのだということが何の不思議もなく理解出来るのです^ね^
心というものは本当に、
摩訶不思議宇宙そのものですよね。
「のしてんてん=心」
ということで、その風景をずっと観続けてきましたけれど、どこまで行ってもその終わりはなさそうです。
今回私が学習させてもらえた一番重要なことは、
和尚様という「他者」です。
それは己の中にはないもう一つの真実。
ただ絵を描くことで得られる己の真実とは違う広がりのことです。
「受け入れ」「明け渡し」
そんな言葉がキーワードとなる世界。
まかこさんのいわれる、95%の未知と同質の世界に踏みこんでいく絵画の実験をやってみようと思っております。
まかこさん、
私たちは一つだという証拠をつかみたいのです(アホ、熱すぎるやろ。)
明け渡せたら(ハイハイ、もうやめようね)
という訳で(どういう訳や)
これからもよろしくお願いいたしま^す^ね^
別に味は、フツーのドーナツです。
材料のひとつに豆腐を使うだけで。フツーのドーナツなら玉子や牛乳を使う部分が豆腐になるだけ…って、余計にわからないでしょうか?
カロリーが控え目になりますので、一時期流行りました。
ややもちっとした食感の、それでいてあっさりしたドーナツです。
機会がありましたら、リアルに差し入れ致しますよ☺。
のしてんてんさまの、このお言葉、世の条理不条理にあてはまる部分が大いにあるのではないか?と今、感動の涙と共にかみしめております( これ、絵もホメろっ ← せかすようにヒソヒソ声で )
小麦粉ととーふを混ぜるちゅう訳ですか?
一応小麦粉は主役なんです^ね^なるほど分かったような気がしてるんですが・・・
たまごならその先固まる
豆腐ならその先こわれる
で、
結局ドーナツは固まる・・
あぁ、何かが私の頭でひっかかっておりま^す^~
食べてみないと分からねえ~
バレンタインチョコ
娘がクレタの見たら何やら丸っこい。
猫の型押しで失敗した頭の部分だそうな。
娘よ、俺はネコか。
(あくまで、この場を盛り上げるジョークですので)
絵も褒めてくださ^い^ま^せ^
ところが私、こう見えても天の邪鬼のようで、褒められると背中の、背びれがある部分に発疹が出るんですね。
悪きことは大きな声で
よきことは小さな声で
お願い^し^ま^す^
宝くじ当ったら、絶対内緒にすると心に決めて待ち望んでいるのですが・・・
sure-kusa様あたりました?
(しゃべらないか)