建仁寺天井画 (2017年 6月撮影)
私が龍に目覚めたのは、建仁寺の天井画に出逢ったからでした。
龍は私の作風からは程遠いもの、それまで意識もしなかった対象でした。
これまで描き続けて来た自分の心象風景から見ると、龍はあまりにも既成のありふれたフォルムであった訳です。
ところが、その天井画に巡り会った瞬間、私は全身が硬直するのを感じました。
その時、自分の心象の奥の方に龍がいると気付いたのかもしれません。自分にも龍が描けるだろうか。そう思ったときにはもう心が決まっていました。
それから描き続けて2年目になりますが、自分でもその変化に意外なものを感じ、自分を越えたところにある自分を意識するようになったのです。
今回その変遷を、主な作品から見ていただこうと思います。画像をクリックしていただくと大画面で見ていただけます。
①出逢の時期(2017年6月~8月)
②のしてんてん空間に居場所を見つける時期
(2017年9月~2018年1月)
③のしてんてん絵画との融合の時期
(2018年1月~2018年4月)
④空間を描く(中間トーン)と龍の時期(2018年5月~6月)
⑤意識を龍に融合あるいは龍の背に乗って描く時期
(2018年7月~)
この作品達はいまだ進化中ですが、作品1は8月の21世紀のメッセージ展(銀座・ギャラリー暁)に出品予定です。
かすみの中から待ちに待った龍の出現、予想はしていたのだけど驚きと感動。
そして、幾たびにも渡る龍との交流の挑戦を経て、命をかける危険な、しかし念願たる龍への背乗りの執画
この緊迫感たるや、のしてんてんさまの龍への愛と執念を感じさせるものだと思いました。
お久しぶり?です。
ちょっとだけ体調くずしておりました〰️。
参りました、それこそ年でしょうかね〰️。
今まで20代の体育会系男子のように頑健だった胃腸が、ダウンしてしました。
ようやく最近治ってきました🍀。
いやはや、1週間以上、かかっちゃいましたよ😅。
龍の変遷。
印象として『十牛図』を連想しました。
今の龍は、伸びてゆく力の途中、という勢いを感じました。
更なる先、どうなるのでしょうか?
作者さんも楽しみでしょうが、見る方もワクワクしています🍀。
共に歩んでいる
もう一人の私と接しているような錯覚を覚えました。
ありがとうございます。
つまり・・・
返す言葉がないのでございます。
これからもまい進いたしますので、ご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします。
どうぞよき
夏休みをお過ごしください^ね^
って、胃腸の調子悪かったって云ってるでしょう(ヒトの話しきいてない)
最近よく言われるのです。私は頭の調子が悪いです。
一週間と言えば、炎暑の時期。つまり熱中症の疑いありですね。
というのもこれ、「体育会系男子のように頑健」が元凶なのですよ。
体力過信はいけません。何事も無理をせず、我慢せず、水分補給と休息と涼むことを心掛けてください。
ともあれ快復して何よりで^す^
「十牛図」とは、過分の褒め言葉ですけれど、むっちゃんもその道を歩んでおられるのですから、
自分を喜ばそうと探求する者の道と言えるかもしれませんね。
牛=龍=文才
牧人=のしてんてん=むっちゃん
何より作者がわくわく楽しみたいです^ね^
もとい
これから夏本番。
胃腸をいたわってあげてください^ヨ^
おはようございます!
のしてんてん龍の変遷
ありがとうございます☆
出逢いの時期から、
意識を龍に融合
あるいは龍の背中に乗って描く時期まで
すべての龍は過去形ではなく、
常に現在進行形の龍ですから、
まるで宇宙深海と繋がっている
水族館の窓、額縁の窓から
すべての龍それぞれの
特色が輝いているのしてんてん龍の
清冽な命のせせらぎを浴びながら、
鑑賞させて頂いていますが、
龍の背に乗って描く時期の作品 1の
のしてんてん龍の気魄の籠った迫力!
強力な咆哮!晴れやかな雄叫び波動とともに放たれるメッセージ☆進化中ということですが楽しみにです。どうぞよろしくお願い致します。
今日も良い一日を
お過ごしくださいませ☆
お力お心遣い
感謝申し上げます!
まかこ 拝
追伸
このところ厳しい速度制限の影響で
スマートフォンも不調でして、
一昨日などは、頂いていましたコメント
どなたか分からないUnknownさんからの
コメントですが、YouTubeをおすすめくださって、閲覧しょうとしましたら、記事が消失してしまいまして驚きましたけれど、申し訳なく残念です。けれども8月1日からは、速度制限も解除されますので
諦めることなく頑張ります^ね^!
今につながっているのです^ね^
私にとって出逢い龍の幼稚さは過去ではなく、今この目で見る幼龍の中にも、そこにしかない息吹を感じております。
たとえばそれを延長して、我が幼き思い出も、学生時代のレモンの味も、すべて今この瞬間の私だということを認識しなければなりませんね。
よき時代も、苦しき時代も、それを過去のものとしてしまったら、その分だけ今この瞬間が空洞化する。
思い出に浸って時を過ごせば、今を忘れるということでしょうね。
だから、時間軸をすべて今この瞬間に受け入れて生きることがなければ、龍は背中にのせてくれないのです。
冗談のようで、
わりにこれ本気なんで^す^。
それにしましても、スマートフォンの速度制限は辛いですね。
画面が凍り付いて動かない感じなのでしょうけれど、そんな環境と付き合っておられるまかこさんの精神力には驚嘆するばかりです。
環境の改善を願いながら、
今日はこれから天王寺美術館に作品搬入です。飾り付けも皆でやりますので、一日汗だくで^す^
”変遷”…この企画自体が比べようがないほどの価値がある気がします。確かに展示させる作品は⑤-1のみですが
「ここまでに至る1年の作品(龍との親交)に、のしてんてん様のその時の一歩一歩を感じられる。そしてその歩みがとても人間らしい、と。」
個人的な…勝手な感想ではあるのですが
「苦悩を超え、試行錯誤・作風の変化、トーンの変化・過去作との交わり…そこに”スポーツドキュメントのような、心奮う良さがある”」…気がします。超人もまた、人である…そんな想いが。
もちろん、のしてんてん様も超人も…その時その時の最高を出してきた積み重ねだと想います。全力で生きてきたからこそたどり着いた境地…。
今でも、①の細密さから③の発想、④の空間の気、⑤の距離的なだけでないこちらを睨まない自然な姿を見せてくれた姿…それら全てに…申し訳なくも今も「一線を越えた、私にはまるで及ばない芸術を感じてしまう。」
でも、こうしてブログと言う形で、芸術と人を共に見て、
「尊敬と畏怖は変わらず…でも、親愛も感じられるようになった…」と勝手に想っております。
言葉・伝わる形にしようと長くなってしまいました。何も考えず、真っ直ぐに伝えたかったことを最後に(これだけだと…解釈しようがないので前置きが長く)
「のしてんてん様の人生が描く、芸術全てが愛しいほど好き」
これが最初に出た言葉でした…。
(8月の21世紀のメッセージ展…あれから一年なんですね。きっと今年も行けると。)
この記事を通して、全てに、感謝を…。そして他の方も含め、本当にお体ご自愛ください!
私が何よりうれしかったコメントは、「その歩みがとても人間らしい」という言葉です。
もっとも人間らしい折師さんに言われたのがうれしいので^す^。
そして「超人もまた、人である」という言葉は、まさに私が次の記事で「天才」について書こうとしている内容とほぼ同じ響きを持っています。多分ですが。
折師さんの見ておられる心の世界は、緯度も経度もほぼ同じ原点ではないかと、思ってしまいました。
心の同志です^ね^
私の狙いをこれほど言葉で言い表してくださったことに、あらためて感謝と敬意を伝えさせて下さい。
21世紀のメッセージ展(東京展)は2年目を迎えますが、
見ていただいた1回目の作品は①の時期のものでした。
それからの1年は、私の創作の上で、胎児から成人へ一気に向かうという、私の絵画歴の中でも類を見ない凝集された期間になりました。
今回⑤の作品を展示できるのが何よりもの幸せです。
私は8月20日早朝6時頃東京駅に夜行バス着、その後10時からギャラリーで飾り付け、午後からオープニングパーティーに参加して、午後11時頃夜行バスで帰阪という強行軍(経費節約のた^め^)
私の在廊はそれだけなので、今年もお会いできないかもしれませんが、作品に逢って頂けるだけで幸せです。
その折には、⑤-1のさらに進化して完成した作品がお待ちしていますので、お時間のあるときに是非、お越しください。
ギャラリーに行って
肉眼でその龍を見ながら
その時に
湧きおこった気持ちや
その時に受けとれた気分などを
直接
眼を見ながら
話したいですね。
今回の記事は
活字にするには
想いに手による文字が追い付かない感じなので
いつか、また
直接お会いできる時まで
この想いを胸に締まっておきます。
あれから一年になりましたね。
日本にこられることがありましたら、アトリエは関西空港のすぐそばですので、お立ち寄りくださ^い^
のしてんてん龍は、桂蓮様にとって、よき波動として伝わりましたでしょうか。
もとより画像で、実物とは違うのですが、何かよきイメージが届けられたら幸いです。
ところで、桂蓮様のブログで取り上げられている次元のことですが、精神世界から見る試みと受け止めました。
三次元が真実の世界なら、四次元はまさに人間の精神世界と言えますね。
そして五次元は、人間が自らの真実である三次元の深層を知り、己の精神世界から解放される。あるいは真実と精神世界の弁証法的達観ということになるのかもしれません。
私が龍の意識で体験しているものは、桂蓮様の考えを借りて言えばそんなふうに言えるのかもしれません^ね^
本当に、互いの目を見て、
また語り合いたいです。
いつかまた、よき機会が訪れますように。