全興寺(せんこうじ)涅槃堂
邂逅展 その後
で紹介しましたように、空気を描くという意識で描いた龍の絵が全興寺の御住職の気に入って頂けたのですが、そこに至るまでには御住職とのかれこれ20年にわたる対決がありました。(対決?勝手に思っているだけで私、手のひらの猿ですが)
その経過は↓でご覧いただけます。
全興寺瞑想の絵画10年展 (HPの管理が悪く::悪すぎ!ごめんなさい・・)
でもまあ、雰囲気だけは分かって頂けるかと・・・
御住職の眼に、堕落と映ったら即中止という条件で行った10年展でしたが、その個展の最中にさらに空気を描けと言う難題(何だい?)を与えられまして、実現するまで意識から離れません。
それが10年後にやっと、龍のおかげで偶然描けたわけですが、御住職はさらに上手でございました。
とにかくこれはいいと喜んでいただき、涅槃堂に納まった作品に感無量でございましたが、正直このお堂に作品のサイズが少々小さくさみしい感も心の片隅にあったのです。
その思いを見透かしたのか、
「この空気の中で、この龍をふくらませてみないか」と言われたのです。
ここに泊り込んでもいいから、この空間から生まれる絵を描いてみろというのです。師弟関係ではありませんので、その言葉は私にとって新たな挑戦状です。(一番厳しい師と心得ておりますが)
で、私はたかなる思いを抱きながら挑戦状を持ち帰り、夜も寝ないで熟考いたしました。(嘘つけ、ビール飲んでそのあげく)(まあまあオサエテおさえて)
そんなわけで、こんなプランを作りました。
表紙の写真にラフスケッチをしてみただけのものですが、桟を生かして白壁に絵をはめ込むという計画です。3年でやりましょう。
ところが!!
このプランに対して、御住職が何と応えられたと思います?(難と応えた)
そのとーぉり。私はぐうの音も出ませんでした。(いまお腹なってたやろ)
ポンコツ頭の私に言葉をそのまま再現できませんが、こういうことをいわれたのです。
寺にはたくさんの襖絵や天井画があるが、そういう絵は好きではない。このガラスの涅槃仏を見て見なさい。
これが普通の涅槃仏だったら、ここに置かなかった。
ガラスの塊に単純な線を刻んだだけ、ここには作家の「頭」の中にある仏がない。そこがいいのだ。
私が欲しいのは作家の思い描く仏ではない。誰もの心の中にある仏。(つまり誰にでも自由に仏の姿を思い描ける像ということでしょうか)
確かにこの涅槃仏は、ガラスのかたまりに子供の落書きのような線が刻まれているだけ
見ようによっては大きな目のクジラのようにも見えます^ね^
10年間展示してもらったのは、あなたの絵が(はい?)丸や四角、訳の分からんものを描いていたからで、これが当たり前の仏さんの姿だったら、即中止だった。(そういえば、そんなこと仰っていました、ハイ今思い出しました)
襖絵はいらんのですよ。
はっと、私は思い出しました。
箱の絵を描き続けておりました頃、ある人が私の絵を評して「星の王子様」の話しをしてくれたのです。
王子様が子供にゾウの絵を描いてくれと頼まれます。ところが王子様がどんな絵を描いて見せても、そうじゃない!(ゾウがかかっています^よ^)と納得しません。そこで王子様は箱の絵を絵描いた。「この中にゾウが入っているよ」と言ってやると子供はやっと納得したという話。
そうか、私は箱から龍を出して見せてしまったんだと・・(これ、和尚様を子供扱いに)(してないしてない)
空を描くとえらそうに言っておきながら、枠の中に収めた龍を示すという愚かさを御住職は厳しく指摘されたということです。
無知なものですから、その尊さを存じ上げませんでしたが、右手でカップを持ってココアを頂いておりますまかこさんのお姿を勝手に想像しておりました。
それにしましても、スマホの縛りは窮屈でしょうね。
けれどまかこさんは、
宇宙同根多種多様万物一体
森羅万象万物すべてそれぞれが、
かけがえのない唯一無二の独自性を
持ちながらも宇宙と一体!
今を十二分に生きるお方。
あるがままに、
この今を至宝に変える力をお持ちですから、まかこさんを縛るものなど、スマホとてありません^よ^
たとえ休止があっても、その今を生きいていらっしゃるまかこさんをいつも感じております^よ^
想像は創造と連動、
共にこの宇宙を見て行きましょう。
私もそのつもりで、お返事がなくてもお話しさせていただき^ま^す^ね^。^
『お絵描きをするようになって、私を作品に込めようとしなくても、私が描いたら勝手に私の作品になるんだなあ、と思いました』
などというものだから、私もびっくりいたしました。
というのもこのセリフ、もう少し先で出てくるかなあと思っておりましたものですから、予想以上の成長著しいむっちゃんに少々驚いたのです。(ホンと?)
ホントはうれしゅうございました。
私が思うに、ひっかかっていたとげとげは、きっとその呪文で消し去ることが出来るはず。
魔法使いむっちゃんはレベルをひとつあげた。
呪文「転んでも私」を覚えた。
よかったです^ね^
まさにそうなんです^ね^
心を主人公にして考えれば、作品は私の心である訳ですよね。
一方で、すべての心は仏性ですから、そこから見えてくる一番の罪悪は、心の押し付けだと考えられているのかもしれません。
作品は心を押し付けるものではなく、それぞれの心が自由に羽ばたくための糧とならなければならないのでしょうね。
分かったと言ったら、それは欺瞞と威圧にしかならない。
心というもののもろさとはかなさ、しかしそれだからこそ美しく澄み切った湖のようなものなのでしょう^ね^
Unknownさんの純粋な想いを感じます。
いつもありがとうございます。
いつでも飲みに来てくださ^い^ま^せ^
こちらのいいところは24時間開店、店主不在でも皆様のおかげで(回転)していますから、止まり木に腰を下ろしていってください。
すると不思議なことに、
折師さんの”おしり”のぬくもりが店の中をほこほこと温めてくれまして皆様の心にも伝わっていきますから、本当にほんとうにありがたいことなのですよ。
今日もお仕事、頑張って下さい^ね^(えっ、今日はお休み?無理におこしちゃいましたかね・・・)
こんばんは!
確かにカップ姫様☆
凛と割れていらっしゃいます^ね^
カップ姫様はイタリア生まれの、
現在はリチャードジノリ家の姫、
1735年にカルロ・ジノリ伯爵が、
イタリア初の白磁を完成なさいまして、
1760年頃には「イタリアンフルーツ」という
こちらのカップ姫も造られまして、
現代でも不朽の名作として
世界中で愛されいるいるそうですよ♪
まさに割れてもカップ姫☆
まるで私が粗忽者であると心得て、
覚悟なさっていたかのように、狼狽することなく、ストンとスマートに落下、
今も1億年未来の心野洞窟でおおらかに、
宇宙夢中睡眠中、一向に発掘のご要望もありません。どのような夢をごらんになっているのでしょうね♪
また崇徳院様も思念極めて深き天上人、
今も一瞬無限大に覚醒なさっていて、
日本を守って下さっていると思います。
のしてんてんさん、
いつも温かいお心遣いありがとうございます。
つきましては私事で恐縮ですが、今、私のスマートフォンは、速度制限が行われている状態でして、速度制限はタブレットの時より厳しく、
先月は2GB追加注文しましたが、それでもすぐに速度制限になります。12月分は料金が15,000円近くになっていましたが、いつも10,000円超えになりますので貧困生活の私にはきつく、
今月もあと20日程、当面少なくとも10日間程は、ブログ活動を休止、お休みしなければなりませんが、のしてんてん喫茶室にはひっそりではすがお伺い致しますので、よろしくお願いいたします。がんばりますね(=^ェ^=)!
のしてんてん画伯も、
宇宙同根多種多様万物一体
森羅万象万物すべてそれぞれが、
かけがえのない唯一無二の独自性を
持ちながらも宇宙と一体!
宇宙潜在極域通底意識でつながっています。
五次元宇宙は無限次元宇宙!
想像を絶する空間ですが、
想像は創造と連動、
想像出来ることは創造出来ること☆
思い存分想像(創造)なさってくださいね♪
むっちゃんさんも素晴らしいです!
おっしゃっておられますこと、
私なりにわかります。
宇宙は万物と直結一体!
万物も宇宙の一部、宇宙ですから、
あえて宇宙を描こうとなさらなくても、
チョーカーも宇宙なのですよね☆
むっちゃんさんの絵画も楽しみです♪
拝見したいですね。
のしてんてんマスター!
よろしくお願いいたしま^す^☆
感謝一念
まかこ 拝
今日はマスターというより、師匠。
ここ半年ばかり私は、北籔和画伯にお絵描きを指南していただいておりますが。
この間私、ナマイキに『お絵描きをするようになって、私を作品に込めようとしなくても、私が描いたら勝手に私の作品になるんだなあ、と思いました』などと、利いた風なことをぬかしましたが(いえ本当にそう思ってますが)、そう思ったきっかけを思い出したので、少し書きます。
お絵描き教室だけでなく、自宅でも自習というか宿題というか、ボチボチとデッサンをしております。
それを見ていただいた時、思わぬ作品を望外なほど褒めていただき、嬉しいよりたじろいたことがありました。
友人から貰った彼女手作りのチョーカーをデッサンしたものです。
ワイヤーにビーズ、木の葉のモチーフを繋いだチョーカーで、色は渋い緑。
軽くて使いやすい、好きなアクセサリーです。
それを鉛筆でデッサンしました。
時間としたら30分程度で描いた、集中して描きはしましたが、決して人生懸けて?描いた作品ではありません。
何故か、画伯に大変褒めていただきました。
当然『始めたばかりの素人にしては』レベルであることはわかっていますが。それでも、
「むっちゃん、これはいいよ。この絵には宇宙がある!」
とまで言っていただいたのには、正直戸惑いました。
私は私の好きなアクセサリーを、好きなように描いただけです。
宇宙なんか描くつもり、まったくありませんでした。
私はいつも、宇宙を描こうとして(書こうとして)スッ転んでいたのかも?
宇宙なんか描かなくて(書かなくて)いいんだ。
チョーカー描いたら勝手に宇宙になるんだ。
帰路、ぼんやりそんなことを思いました。
私が私の龍を描く(書く)為の、入り口にようやく立った、そんな気がしました。
モノに出来るかどうかはまだまだ未知数。
精進しましょう、楽しみつつ。
そんな気がする今日この頃であります。
作品を何らかの意味のあるものと規定するのは作者ではなく鑑賞者側であることは間違いないのですが、その意味を規定する事で間違いなく生じる事は作者の意図した意味と必ずしも一致するわけではないという事、即ち「分からなさ」が生じることです。
ご住職が言われた事は、作品を作る作者の意図とは無関係に、観た者が好き勝手に意味を付与する作品を作れと言っている様に思えます。
これは作品を作る作者が「分からない」という立場に立たされる事に他ならず、見方によっては作者が不可思議なものを見せられるということです
その時、作品は作者にとって「空」となるわけです。
俗な言い方で大変恐縮なのですが、今までとは次元の違うことの様に思えます。
いよいよその時が来たということでしょうか。
…すこし仕事(の中での光景への)疲れで”答えのない難題”という言葉で目の前が荒野になっていました…。人生の価値を模索していた時よりは…草木が映えている?汗
「答えは自分の中に探す」「自分の中を探せと言うのは、あなたの心底本当の答えを出しなさい」
この言葉には本当に救われます。自分の中の要素を煮詰めている内に…時と共に要素が増え煮詰まっていく内に…「答えが形になっていく」
”答えを探している過程を楽しむ”、そうですよね。…この世には解く過程ですら楽しい問いもありますよね!
のしてんてん喫茶でココアを飲みつつ、少し後ろから…眺めていたいと。
今回も良いコメントに…本当にありがとうございます!!
お仕事にお疲れのところ、難題にまで気を使っていただいて申し訳ないことです。
でも本当にありがとうございます。
折師さんも経験があると思いますが、答えのない問いの前に立たされたら、もうどこにも参照する答えがないことに気付かされますね。
前例もない、どこにも答えがない。
すると人は結局自分の中に答えを探すしかなくなるのです^ね^。
自分の中を探しなさい。
有名な禅の公案というのはそこに意味があるのだと私などは思うのですが、
実際考えてみますと、自分の中を探せと言うのは、あなたの心底本当の答えを出しなさいと言われているのだということがなんとなく分かってくるのです。
折師さんにまで思考の手間をおかけしましたが、答えが出なくても考えることで自分と向き合っている訳ですから、その時間を楽しんで頂ければ嬉しいで^す^
今日はそちらにおじゃまさせていただきます^ね^
…コメントを書こうと思考する…そして形にならず…。ある意味間違って解除押したのはキッカケにはなりました。
今の心を半まとめすると…
「テーマが難しい+ご住職様のお眼鏡と御心に適う…答えのない課題ゆえに…ご自愛を(…のしてんてん様の半分も生きてない若造ですが汗)」
…自分が同じ問いの前に立ったら……と思ってしまっただけです…。(汗)
まっ、機会があったら^ね^
確かに禅問答ですが
何?枝葉末節(私には王子様のお返しにしか思えませぬが)
てっきり禅寺の和尚さまだと思い込んでおりました、雰囲気的に。
申し訳ないことでした。
まあしかし、それは枝葉末節(オイ! セルフツッコミ😁)。
与えられた命題は、禅の公案にも似て。
どう解くのか?勇者のしてんてん!
という部分はかわりないでしょうねぇ。
ちなみに『星の王子様』の主人公は、飛行機に乗って小さな星へ行ったりしません(笑)。
ホント、マジメな話、『星の王子様』読んでみられたらいかがですか?
短い童話ですし(笑)。
ので、遅ればせながら、
「どーも、マスター。
やられましたね~。
さすが禅寺の和尚さま。」
のセリフなんですけど。
全興寺(せんこうじ)は
大阪市平野区にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は野中山。平野薬師としても知られる(Wikipedia)
なんで、禅問答のようなやりとりですが禅寺ではありません。(ぜんぜんちがう)
え?
でんでん?でんぜん?ぜんでん?ぜんぜん?とれが正しいの?
ここ、和歌山人の泣き所。
サ行とタ行の濁音が区別できません。
で、辞書を用いるとき、この場合4回引かなければ正解にたどり着かないのです。(自慢じゃないけど)
「五次元形態のしてんてん龍」
改めて、
ありがとうございま^す^
見事に割れた写真を拝見いたしましたが、最後まで気品に溢れた姿。あんな風に割れるのもカップ姫の矜持と心得ます。
それにしましても、次なる価値へと発掘されるまで千年の眠りにつくという
まかこさんの発想に何やら宇宙の大きさを感じました。
瀬を早み
岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ
崇徳院の恋歌
私などは落語で知ったのですけれど。
ありがたいお言葉、ありがとうございます。
って、お師匠様!
もともと(ーー)
ではありませんでした^ぁ^(こ、これ)
確かに、一休さんのような・・・
やっぱりビール飲んで
一休さんにいたし^ま^す^(本気)
まさにそうなんですよ^ね^。
笑うしかありません。
能動でも受動でもない、その中間にある立ち顕れ、中動。
そこに行くには、なり切ることしかないのですが、・・・
私に出来ると踏んでくれたのでしょうか。思いようによっては、ありがたいことですが、それに応えようとする気持ちも禁ですから、やっぱ、難しいで^す^
酒飲むのが一番かと・・・
ありがとうございます。
本を読む手間が省けました。(って、読めよ)
サン・テグジュペリの名作ですからね。
飛行機乗り、そうそうそうでしたね。飛行機で小さな星に行ったんだっけ?(だから読みなさい)
それより、体調は回復いたしましたか?
こちら今、学校閉鎖まで出てます。
気を付けて^ね^
こんにちは!
今我が家では、
愛用のマグカップが割れたまま、
1億年未来の心野洞窟で宇宙夢中睡眠中、
眠れるカップ姫様となられからは、
発掘使令もなく、ココアが頂けませんので、
少し甘めのホットココアお願いいたしま^す^
創作への道(次なるステップ)ですが、
実はわたくしも、全興寺様、涅槃堂の、
気流を呼ぶ龍の左右の白壁は、
のしてんてん画伯の次なる作品のために、
真白く待機中の壁面だと感じていましたよ。
こちらのコメントでもお話しましたが、
全興寺のご住職様☆有り難いですね♪
しかし次なるステップも難題(何だい?)
しかも難題レベルがかなりアップしています。
点は点であると同時に天である。
点は点であると同時に無限次元形態であると
確信している私などが、次元的観点から観ますと、この三次元界の真髄(神髄)は、
三次元界と一体であると同時に
三次元界を超えている五次元界、無限次元界からもたらされているものと感じていますが、
全興寺ご住職の
「この空気の中でこの龍をふくらせてみないか」
のお言葉は、まさに従来型の三次元形態を超越している「五次元形態のしてんてん龍」の登竜どき真骨頂発揮のしどころではないでしょうか☆
僭越ながらわたくしが感じましたことを
述べさせいただきましたが、
のしてんてん画伯の次なるステップ!
ワクワクドキドキ☆
少し甘めのココアも美味しく
素敵な午後をありがとうございます(=^ェ^=)♪
「 現代の試された一休さん 」という言葉が浮かんできました。
のしてんてんさまの御意欲、やはり芸術家魂というのは恐ろしきもの、と圧倒されます。
箱の絵、 " 念 "というものが感じられ、感服いたします。
随所にお見受けする ” セルフツッコミ ” なるもの、さすがに、日頃のお勤めが功を奏し、目を細める次第です(ーー)
飛行機乗りの『私』が半ばヤケクソで箱を描き、この中に君の羊が入ってるよ、と言うと、王子様の顔がパッと明るくなり、喜んだ、というエピソードですから。
でもその通りに、龍の周りに箱を描いて『ここに君の龍が入ってるよ』という訳にもゆきません。
悩みドコロでございますね~。
ある意味、楽しい悩みでしょうが。
個展会場での鮮烈な記憶なので今も覚えているっていうか、その後自分の絵を説明するのに多用しているエピソードなのですが、原書を(もちろん日本翻訳)をまともに読んでいないのがばれました^ね^
いわれてみればそうですよね、こどもというのは王子様のことで・・・
私、箱の絵を書いたのが王子様だと・・・
ええっ、象じゃなく羊?
箱を描いたという肝心な落ち(落ち?)は本当なの?(自分でしっかり読みなさい)
という感じで自分ツッコミ、むっちゃんも時々やっていますが、いいおもちゃです。確かに。
私のように自分に考えすぎる者にとったら、ブレーキになったり、立ち止まって俯瞰してみる時間になったり、自分を笑ういい機会になります。
読む側から見たらどうか、そこがちょっと分からないところなのですが、まあぼちぼちやっていきましょう。
やられましたね~。
さすが禅寺の和尚さま。
しっかし、難題でございますね。
龍を描かずに龍を描く、みたいなお題でしょうか?
セルフツッコミという新たなオモチャ?を駆使してブログを綴ってらっしゃいますが、たじろきつつも燃えている、というところでしょうか?
勇者のしてんてん、竜王はラスボスではなかったようですね(笑)。つうびいこんてにゅう。
あー、野暮ですが。
星の王子様が主人公の飛行機乗りの『私』に描いてくれと頼んだのは、象ではなく羊、ではないでしょうか?
象のエピソードは、主人公が子供の頃、象を丸飲みするうわばみ(大蛇)の話に感動して描いた絵を、大人たちに帽子の絵だと断じられて絶望した、という話で出てきたと思います。
いや、大勢に影響無いんですが。
気になったもので。すみません、細かくて😅。