のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)22 Q&A4

2020-11-14 | 般若心経を読み解く(五次元)

空体の変化

 

 

Q:あなたは私をどこに連れて行こうとしているのですか?失礼ながらそう思ってしまいます。読まなければいいことですが、気になるところがあって読み進んでいるうちにふと怖さに気付きました。

どこかの教祖様でいらっしゃるのですか。そのような気配が見えないだけに不気味です。あえて書かせてもらいました。

それからずっと違和感があるのは身体と空体のお話で、私は今まで自分の体の事をそんなふうに分けて考えたことはありません。分ける必要を感じません。なんだかご自分の考えを言うために無理に分けて納得させようとしているようにも思えます。

 

A:私は自分の思考の足取りを「旅」と呼んでいます。その目標は、自分を知るということに尽きます。知るとは大げさに言えば人間の叡智なのですね。叡智とは人間が自分を含めた自然を理解する力だと思っています。それは宗教的な理解ではありませんし、科学的な理解というのにも少し違いがあります。しいて言えばその中間にある理解なのです。

「どこに連れて行こうとしているのか?」という問いに対しては、どこにも行かない。あなたはあなたに留まるべきだと考えるのです。なぜなら空体が紛れもなく自身が唯一の自然そのものだと教えてくれるからなのです。

 

間違っていたら謝るしかありませんが、質問者様は深い信仰をお持ちの方ではないでしょうか。私はこれまでも何人かの敬虔な信者の方と(複数の宗教ですが)お話をさせていただくことがありまして、その信仰心に羨望と尊敬の念をいつも覚えておりました。

それは私自身が信仰心を持てないからなのです。イエス様の救いを説かれても、阿弥陀様の救済に触れても、私の心は必ず次の質問をしてしまいます。神とは何?仏とは何なの?と。

よく考えてみれば、この自問は、宇宙とは何?自分とは何?という疑問とまったく同じ処からやって来ているのです。それは「私は知らない」という思いに対する抗えない探求心なのです。

神も宇宙も、そして自分自身についてでさえ私は何も知らないという事実に気付いたときから、この旅は始まりました。

つまり、五次元思考というのは探求心から生まれたものであって、信仰心による理解ではないのです。以下、探求心と信仰心の違いを書いてみます。

 

質問者様に答える前に、まず私達人間の基本的な在り方にについて考えてみたいと思います。

人間には三つのタイプがあるように私には思えます。

第一は、悟りを開いた人。もしくは天然のまま不安を持たない人。

第二は、信仰心を持つ人。

第三は、平凡な日常に身を置いている人。

 

この中で第三の人間だけが真実に対して疑問を持ち、迷い、苦悩する。そんな素のままの人間のことです。あるいは迷える羊と呼んでもいいかもしれません。なぜ迷うのか、それは真実を知らないからだというほかはありません。

「真実を知らない」という観点でもう一度三つのタイプを考えると、

第一は、真実を知ってしまった人、もしくは疑問を持たない人であり、つまり悟りを開いた人と言えます。

第二は、真実を神に任せきることが出来る人、すなわち信仰を持つ人。神にすべてを任せきる心に疑問は存在しませんね。

そして第三の人は、悟りも、信仰も持てない人です。私も含めて大多数の人たちがここにいるのではないかと思います。欲と苦悩が渦巻いている場所ですが、そこから這い上がるために分からないことを理解しようと、必死になっている人々のいる場所とも言えます。

知らないものを知るために探求する。私はそれを人間の叡智と考えます。その代表が科学でありますし、宗教であり哲学であるのです。芸術もまた同様だと思います。

第三の人間にとって「知る」ということは認識ということに他なりません。分からない世界に対して、認識が働くのです。世界を知る力だと言えるでしょう。

ところが、認識(知る)ということは、世界を分解して初めて成り立つのです。花を認識するためには、世界を花と花でないものに分解して初めて私達は花を認識できるのです。

「なんだかご自分の考えを言うために無理に分けて納得させようとしているようにも思えます。」

まさにこのご指摘のことが、人間の認識、知るということなのです。

そして、

「私は今まで自分の体の事をそんなふうに分けて考えたことはありません。分ける必要を感じません。」

そう考えられるあなた様はとても崇高な心をお持ちだと思います。私には望んでも持てない篤い信仰心の現れかと推察いたします。

理解して頂きたいことは、人間の本性のことです。

知らないことに対するあくなき欲求である、「知る」「認識する」という探求心は、悟りの心や信仰心に比べて野性的ではありますが、しかし最も人間くさい心の働きなのです。

探求心が叡智を生み出します。

この叡智が宇宙と自分の秘密に気付く時、悟りの心や信仰心では成し遂げられなかったものに行き着くかもしれないという大きな可能性があるのです。

その可能性は、他を知り、自分との違いこそが真実だという理解に至ることにあるのです。

信仰心が叡智で満たされる。あるいは叡智が信仰心に目覚める時、

たとえばキリスト教とイスラームの神々が互いの違いを認め合い、歩む道が違っても作法が違っても同じ目標に向かっている同胞であるという認識は決して不可能なことではないでしょう。

それを可能にするのが、人間の叡智なのだと思うのです。人間の叡智が異なる信仰心を一つの心だと理解させてくれるのではないかと思えるのです。

 

「読み進んでいるうちにふと怖さに気付きました。」

その怖さは、もしかしたらあなたの信仰心が叡智によって崩れてしまうと思われたからなのかもしれません。しかしそれは錯覚です。五次元を知ることで信仰心が揺らぐことはないでしょう。なぜなら、五次元は単に宇宙に対する見方だけなのですから。より正しく宇宙を理解する。それが人間の叡智だと思うのです。

すでにこの連載で書きましたが、般若心経が良い例です。身も心も空であるという理解に至ったならば、お釈迦様の教えさえも空であることがわかると教えているのです。

「無苦集滅道」

「苦集滅道」というお釈迦様の教えを守るのが信仰心だとすると、空の真実を理解することで信仰心はお釈迦様のより深い教えに気付き、「無苦集滅道」というさらに深い信仰心に昇華するというのですね。

人間の叡智によって信仰心はより深いところに根を張ると考えていいのではないでしょうか。

 

 

 

 

(以下参考記事)

(Q&A)

般若心経を読み解く?(五次元的解約)21 Q&A3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)20 Q&A2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)19 Q&A1

(私の体験)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)18 私の体験6

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)17 私の体験5

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)16 私の体験4

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)15 私の体験3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)14 私の体験2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)13 私の体験

(量子力学を考える)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)12 量子力学との合流4

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)11 量子力学との合流3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)10 量子力学との合流2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)9 量子力学との合流1

(般若心経をどう理解するか)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)1

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)4

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)5

般若心経を読み解く?  五次元的解釈)6

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)7 一部加筆

般若心経を読み解く?   (五次元的解釈)8 追補

(以下は数回分をまとめた長文です)

凡人の語る宇宙論(アインシュタイン讃歌E=mc2)1

凡人の語る宇宙論( アインシュタイン讃歌E=mc2)2

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 心の旅 路地裏探検 | トップ | 心の旅 路地裏探検 2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

般若心経を読み解く(五次元)」カテゴリの最新記事