私にとってこの数週間は転換点を感じる時期となりました。
PCからも遠ざかって、五次元を再確認する機会にもなり、
一歩階段を上った実感があるのです。
それを確かめる期間はまだ少ないのですが、
いつものように達観が薄れて、再び這い上がる日常から解放された気がいたします。
そのきっかけが、思考を立体的に捕えることに気が付いたことです。
不思議なことに、その気付きにまつわる思いの中にZIP様がおられました。
この数週間、ZIP様を意識しない日はありませんでした。
それは「中動態」を教えて下さり、それについて議論させていただいた記憶のことです。
そしてようやく記事をと思ってPCに向かった時に
長らくコメントのない私の記事に、一人だけZIP様のコメントを発見して、目に見えぬ人の繋がりを感じてしまいました。
ZIP様、ここでまず御礼申し上げます。
さて思考を立体的に捕えるという気付きのことなのですが、以下それを書いてみます。
これまで、様々な観点から自己を見つめ、どこに真理があるのか探求してきました。
その原動力は何かと考えたとき思ったのは、
自分が真理と理解できた時、その瞬間に訪れる至福観でした。
至福観はどんな方向から上って行っても現れる、宇宙と一体化するような無限に広がる感覚だったのです。
その瞬間ごとに、私は悟りを得たと思わないことはありませんでした。
その一つに、先に紹介した「中動態」がありました。
別の機会には、無限に拡がる空が己の姿であるという「空体」という理解
あるいは、思考の奥にある「気づき」の存在
もっと身近な感覚では、無心で湯船に浸かった時の気分。
さらにこのブログに記録した様々な悟りの断片を思い出しますが、
いずれにしても、その時折々に味わったこの上ない気分は時間が経つうちに消えてしまうのです。
消えてしまう最大の原因は、本質よりも至福に至った入り口に執着してしまうことでした。
自分のことでありながら、その自分を模倣する努力に変わると、もはやそこに悟りの感覚は微塵も残されていないのです。
私はこの状態を賽の河原に見立てることが何度もありました。
私の探求が間違っていたのか?そう疑う日々もありましたが、もはや引き返せないところまで来ているのもわかります。
探求が間違っているのか?
しかしそんなことはどうでもいいことだと思いなおす事も何度かありました。
間違っていたとしてもそれが一つの答え、この先進めませんという立札を立てればそれも成果だと思いなおすのです。
そしてつい数週間前に今まで考えたこともない着眼点の発想がやってきました。
それが「思考の立体化」です。
この内容に触れるのは今時間的な余裕がないこともあるのですが、
何よりさらなる内観を深めて、本当にこの至福感は消えないのかを確かめる時間を持って、
次回に書かせてもらいたいと思います。
まず事実確認ですが、私は“空の解釈が間違ってます“などとコメントしたことがありません。
“中動態“について、自分のブログに書いたことも、そこで貴兄と何度かやりとりをしたことがあります。
“Z“という人にはお引き取りを願ったことはあるのですが...???
で、“思考を立体的に捉える“という言葉に、その思考だけからは伝わらない、感性的なものが感じられるのです。
正直な感想ですが、少し前に書かれていた“五次元思考“とか“スケールの概念“などは、それについて考えることが先走り、あまりスっと入ってこない感じがするのです。
その前に書かれていた“空体“というのは、正に私が最近よく触れている、自分という個体を超えた、見えないものとの原初的な関わりが想起され、貴方の直感的な認識を感じさせるものがある、と思われるのですが...
言葉、概念以前に生起されたものが伝わってきます。
そうしたものの土台の上に言語表現があることを再認識されました。
今後の益々研鑚、期待しています。
有難うございます。
私の思考と、ZIPさんのコメントのタイミングを書いたものです。
シタテルヒコさんとの中動態についてのやり取りは、ZIPさんからそれを学んでから後のことでした。
思考を立体的に捉えるというのは、言葉というより体験ですので、五次元思考という言葉とは違います。そう感じられたシタテルヒコさんの感性に驚愕しますし、本物の感覚から出たコメントだと、うれしく思いました。進む道は少しづつ違いますが、近づきつつあるように思えてワクワクします。ありがとうございました。
何故なら自分が苦によって照らし出される気がするからです。
苦という電子が光を吸収することで自分という可視光線が見えてくる・・・
苦以外に自分が自分である確かな手応えを感じることは殆ど無いと思っています。
苦との親和性が高いと人生損をするのは分かっていますが辞めれません。
こちらこそ色々ありがとうございました。
ZIP
私は苦を最高の指導者だと常々思っております。絵の師匠もそうでしたが、苦の一盛がどれだけ真剣に私を真理に向かわせたか、その有難さは師匠をしのぐ偉大な指導者です。
ZIPさんの考え方には激烈賛同で^す^。