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⑰ 空間をイメージすると
私の場合総じて暗闇を思い浮かべることが多い
実のところ空間は、外に向かっては宇宙につながり
内に向っては体内の原子の空間に拡がる
その闇の中ではどこまでが自分なだという区別はどこにもないのだ
空間は大きなスケールから小さなスケールまで隔たりなく続く唯一つの広がりだ
それが闇を思い浮かべる原因の一つだろう
⑰ 重力波の観測成功と大きな見出し。
アインシュタインの最後の宿題が100年かかって完成したというドラマが人類に希望を与えてくれる。
頭の中だけの研究が実際の宇宙観察で実証された。100年かかっても、頭を技術が追いつく。そのすごさだけはわかる。
これは2月12日付読売新聞朝刊に掲載されたものです。
何がすごいのかを五次元思考からみてみましょう。
今まで世界を認識しようとする前に立ちはだかっていたのが観測問題でした。当ブログでもこの問題を取り上げましたが、簡単に言うとこういうことになります。
世界を認識するためには観測が必要です。これまで観測は、物を見ることで成り立ってきましたが、最小の世界の観測は、物を見る事では不可能とわかったのです。
ところが今回の観測は、空間を観ることで、成功に導いたのです。
アインシュタインの予言した重力波は、存在しても非常に小さい変化で観測不能だったのです。今回観測した重力波は、太陽の何十倍もの質量をもつブラックホールが合体(衝突?)するときに生じたものということですが、極大の物が衝突しても、現れる重力波は、原子一個分ほどの波だということです。
この観測不能の極小波をどんな方法で観測したのか。ここがすごいところです。空間が波打つということは、伸び縮みすることですから、その長さを測ることで観測に成功したというのです。
その施設は4km真空パイプの中で光を何往復も走らせることで、走った距離の差を測る。そんな方法でやっと見える小さな差異を確認して、100年も前にアインシュタインが提唱した重力波を観ることが出来たというのです。
事実を理論で観るだけではなく、現実にこの目で観る。一世紀をかけ、一国家の予算を丸ごと使うくらいの金をかけ、それ以外に使いようのない建造物をつくり・・・・たった一つの真実を観るということだけに、膨大な人知と金と時間をかける。
人間というものは、いかに真実を追い求めて生きる動物なのかとあらためて思いますね。人類の生きる目的は、己が何かという真実を知ることだと、私たちの頭にはそんなことが刷り込まれているのかもしれません。
とにかくこれで、空間を観るということの意味が、一気に、多くの人々に理解されるのではないでしょうか。
意識を物から空間に向けると、私たちの認識する世界は格段に大きなものになります。五次元思考はここから始まると言ってもいいような気がします。
何より興味深いのは、今回の空間観察は、新聞によりますと、13億年前のブラックホール衝突で生まれたものだと言います。
私たちが物として生まれて死ぬ時間の100万倍の時間を空間は振動し続けているのです。そして何より、この振動は私たちの素粒子を浮かべている空間をも動かしています。
何が真実かと問われれば、私たちは空間に目を向けるしかないのだと、答えたいのです。
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はるひ美術館による北籔和展(ナウイズム)のご案内
2017/2/8~2/26
ブログ内の関連記事
どーも、マスター。やや、ご無沙汰してました。
風邪、引いちゃいましてね。
いや~、大したことないんですけど、ダルくて参りました。
本来なら『砥石』のテーマでの雑談だったでしょうが、お許しを。
実は久々にダンナと軽くバトルしまして。こちらも私の風邪みたいなモンで大したことないんですけど、以来テキが1週間近くな~んとなく不機嫌で参りました。
ノリの悪い相方と漫才やってるような、そんな感じでした。
彼は彼なりに心を整理したのか、今はフツーに漫才?が出来るようになりましたけど、彼の相方としてフラストレーションがたまりましてね~、私。モヤモヤをぶつけるように?短編小説を書いて、投稿、しちゃいました(笑)。
転んでもタダでは起きんというか……業が深いというか。
モノ書きの女房なんざ持つものじゃない、と、若干彼に同情しました(笑)。
別にバトルそのものをテーマにした小説ではナイですけど、コワイ話かもしれません。
絵描きの亭主を持ったマスターの奥さん、大変だろうな~、と時々思いますが。
モノ書きの女房を持ったウチの宿六も、本人はまだ無自覚でしょうけど、大変、かも……と思います、実は(苦笑)。
メンドくさい女でスミマセン、ですけど、メンドくさい女のまま突っ走るつもりだから質が悪い。
癖のある砥石に研かれ、日本刀のような包丁になって下さいませ、マイだーりん。
……はあ。お邪魔しました。
今度はマトモなコメント、しに来ます。では。
中身が全く理解出来ないので初めてコメントします。
光速度不変の法則により、時空が重力により変化すると存じます。その重力変化を同じ速度の光で測定すると言う事が理解出来ません。
やっぱ頭の良い人には凡人はついていけないと言う事でしょう(笑)
愚詠
はじめの暗黒にエネルギーが流れ光と闇が交わる午後
まさに、砥石のテーマです^ね^
笑っていいのか?いやいいでしょう。
なんせ、連れ合いというのは、己を写す鏡みたいなものですから、互いに自分の姿をみて喧嘩しているみたいなものですよ、おたがい。
一線でつながっていれば、ま、風邪みたいなものです。
これが恋愛中なら、仲直りもドラマティック何でしょうが、
時間とは怖いもので、いつの間にか角が取れ、期待もうすれ、仲直りだって慢性の風邪が知らないうちに治るように、訳が分からんうちに元のさやに収まってます。我が家。
それにしても、さすがむっちゃん。
その逆境を創作の力にかえる。私も同じですけど、そういう時ほど心が集中してしまう。
困った性ですね。
私、思ったのですが、
この時、砥石の失敗と同じで、己を磨いているつもりが、光るどころか、相方の砥石はぼこぼこ。
「己を磨く」から、「砥石を磨く」に考えを変えて、砥石を砥いだら、きれい砥げたという。
そんな話を、
コヒーでも飲みながら考えてみませんか?
チョコレート2粒ほどつけておきます^よ^
説明がへたくそなのです。
というより、新聞の切り抜き、解説がなかったら誰でも分かりませんよね。
切抜きのL型の観測施設ですが、4Kのパイプの両端に鏡がついていて、中で光が何度も往復する装置なのですって。同じ時間で測ったら、2本のパイプで光が往復する数は同じですよね。
そこで、
重力波を感知したら同時に光を発射するようにして、それを測ったら、おなじ長さのパイプなのに、光の往復する数が違った。
一方が長く、もう一方は短くなった証拠だというのですね。
つまり、これで重力波が、時空(地球)を伸び縮みさせているのが観測出来たと言っているらしいのです。
で、どれだけ伸び縮みしたのかと言えば、
陽子の直径の1万分の1にも満たない長さだけ地球を引き伸ばしたのだそうです。
なんとも、開いた口がふさがらないような話しです^ね^
素晴らしいうた、ありがとうございました。
風邪引きのボケた頭ですけど、チョコレートをいただきつつ、まったりと。
『砥石』と関係あるのか心許ないですが。
私、比較的若い時から『他人を変えようとしても無駄。他人が変わってくれるのを期待するのも無駄』と思っている節があります。
自分が変われば相手が変わったり環境が変わったりするな~という実感もありましたし。
でもこういうのって、相手側から見たら、場合によったらしゃらくさいというか冷たいというか、そんな印象かもですね。
だからといって、『あなたはこうであって欲しい』とか『あなたはこうあるべき』とは、私は言いたくない。
いろいろと制約はある中でも、『あなたの意志で決めてくれ』と言いたい。
でも、選択肢の限られた中で『あなたの意志で決めてくれ』は、結局相手側から見たら、ホントは『こうあるべき』の癖にこちらが決めたような形にしやがって……とムカつくのかもしれません。いやまあ、あくまで私の印象ですけど(笑)。
ナンだか奥歯にものが挟まったような愚痴でスミマセン。
昔からユートーセイだった性格の弊害、のようなものかもしれませんね。
とりあえず、風邪はきちんと治します。
風邪は万病の元、ですし。
これ以上風邪をこじらせて(笑)、ビョーキ小説は書きたくナイです(爆)。
お邪魔しました、マスター。
調子はいかがですか。
カウンター越しに、聴いておりますと、良きお友達をお持ちのようですね。
気にかけて、相手を思い、心の中で砥石に結びつけるのは、聴いていて悪い気はしません^よ^
ところで、むっちゃんもお気付きの通り、「人を変える。」というのは人間のおごりでしょうね。
相手を砥ぐというのは、自分の思い通りに変えるのではなく、相手の在りように寄り添うことなのかもしれません。
変わる力は相手の中にあるのですから、その力を出してもらうしかないのですね。
その力が自分の中の力に反応して、自分自身を砥ぐことになる。
砥石と刀にはそんな関係があるのかもしれません^よ^