大合唱
王城の守りは堅牢だった。反乱軍が王城を取り巻いて城門は市民で埋まってしまう程だったが、城からの攻撃は反乱軍をたじろがせた。その間に城門の橋が城の方に吊り上げられ、反乱軍は深い掘りを目の前にして完全に城から締め出された。
勇敢な何人かの戦士は堀を渡り、城壁をよじ登ろうとしたが、城壁の上から石を落とされて下に転がり落ちた。
堀を挟んで石つぶてと矢の応酬が続いた。すると、どこからともなく天使のような歌声が聞こえて来たのだ。まるでそれは地面から立ちのぼってくる陽炎のような、柔らかい歌声だった。
戦闘のために、猛り立った心がふと和らぐような声だった。兵士達は弓を引く手を止めた。誰もがその包み込まれるような旋律に心を奪われていた。
その歌声は次第に大きくなって来た。やがて兵士達はその歌声の正体を目の当たりにしたのだ。王宮の地下から、囚人達が次々と出て来た。王城の警備兵達は我が目を疑った。一体何が起こっているのか、理解することが出来なかった。囚人達は地上に出た喜びを押さえ切れず、互いに抱きあって解放の喜びを分かち合っていた。
囚人達の歌声はその喜びも重なって、高らかな合唱となっていった。
みよこの尽きぬ喜びを
聞けこの胸の高鳴りを
今や来たれり我が救い主
とわの命を喜びに
凍てつく苦難も消え去りぬ
今や来たれり
今や来たれり
今や来たれり
おお
我が救い主
今や来たれり
王城の中庭は喜びのエネルギーで満ちあふれていた。兵士達はしばらく我を忘れて囚人達の合唱に聞き入っていた。何体もの兵士達が中庭の囚人に向けて弓を構えていたが、矢をつがえた弓のつるは次第にゆるみ、誰一人として矢を放つものはなかった。長い間忘れていた懐かしくも暖かい、とろけるような心の振動が兵士達の心をゆり上げて、知らぬ間に涙を誘っていた。
いつしか兵士達も歌の輪の中に入っていた。冷え冷えとした心に春のような暖かさが訪れた。
「さあ、城門を開けるのだ。」宰相ゲッペルが兵士達に言った。
兵士達は戸惑っていた。ほとんどの兵士は戦う意志を捨ててしまったが、自分がどう行動していいのか分からなかったのだ。
バックルパーが城門に近づいた。橋を降ろし、城門を開こうとしたとき、兵士の中の何人かがバックルパーを阻止しようと挑みかかって来たが、もはやバックルパーの敵ではなかった。十数体の兵士は訳もなくバックルパーに組み伏せられ、城門の前に倒れた。
何百年もの間、市民に対して閉ざされ続けて来た城門が開かれた。反乱軍は歓声を上げ、城内になだれ込んだ。城門を境にバックルパーとユングの目が向き合った。
囚人達は反乱軍を歓喜をもって迎え入れた。『黄色いふだ』の仲間達は、互いの姿を認めあって涙を流して抱き合った。
その中に、テリーとモリスの姿があった。エミーはそっとモリスの喜びを見守っていた。捕らえられて、二年間も拷問を繰り返されたモリス、自分達の戦いの正しさを信じ、テリーを思ってその拷問に耐え続けた。モリスが信じ抜いた通り、テリーは『黄色いふだ』を率いて自分を助けに来たのだ。いや、それよりももっと大きな、この国そのものを救うためにテリーはやって来てくれたのだ。
エミーはそんなモリスの心を思うと、カルパコを思わずにはいられなかった。この場にカルパコはいなかった。それでもエミーは歓喜に酔う群衆の中からカルパコの姿を見つけようと必死で視線を泳がせた。
その視線の彼方にバックルパーとユングの姿があった。エミーとヅウワンは二人の方に走った。
「また会ったな。バックルパー、」
「おう、ユング!ついにやったな。」
「お前もな。」
二人は堅い握手を交わした。
「それにしても、この歌はどうした訳だ。」
「ヅウワンとエミーが地下牢でうたったのだ。それが力となった。」
「そうか、エミーが歌をうたうようになったのか。」
「ユング!」エミーがユングに飛びついた。
「エミー、元気そうでよかった。」ユングはエミーを抱き止めた。その目の前にヅウワンの姿があった。ユングはヅウワンを見た。
「なんだか、いつもの夕食会のようだな。」ユングがおどけて言った。
「そうね、」ヅウワンがユングを見つめて言った。
「王を倒せ!」
「王を倒せ!」
「悪魔を追い出すのだ!」
「我らに正当な死を!」
突然民衆から叫び声が上がった。
ユングは走りだして王宮のバルコニーに駆け上がった。
「おお、ユング!」
「ユング、万歳!」
「ユング、万歳!」
民衆はユングの姿を認めて呼びかけた。
「同志諸君、聞いてくれ、」
「おう!」歓声が上がった。
「我々は勝った。この戦いに勝利したのだ。我らは解放された、誰もが等しく自由なのだ。我らの師、パルマが言っていた。我らの戦いは、相手を憎む事ではない、愛する事だと。憎めば再び悪魔が力を盛り返す。憎しみは悪魔の食料だ。恨みは悪魔のエネルギーだ。報復は悪魔の息を吹き返らせる糧となるだろう。今や我らは悪魔と手を切ろうではないか。愛するのだ。悪魔を我が懐に抱き締めよう。その胸の暖かさが悪魔を溶かす唯一つの武器なのだ。」
「おおっ、ユング!」
「ユング万歳!」
「パルマ万歳!」
「さあ、聞いてくれ諸君、愛を歌う心の歌手ヅウワン、そして今その子エミーがソウル歌手として誕生した。その歌が我らを解放に導いたのだ。愛こそ力だ。」
ユングはエミー達をバルコニーの方に呼び寄せた。そして二人を民衆の前で紹介した。王城の中庭は嵐のような拍手が沸き起こった。
「ヅウワン!」
「エミー!万歳!」
「さあ、皆で、愛の歌をうたおうではないか。」
ユングが言った。再び嵐のような拍手が起こった。そして、歌を期待する沈黙が訪れた。自然にヅウワンとエミーがバルコニーの前に進み出て、伸びやかな声の二重唱が始まった。ヅウワンはエミーを見た。エミーはヅウワンのほほ笑みに応えた。ゆったりとした、包み込むような声に、若々しい踊るようなリズムが溶け合った。エミーの歌はヅウワンと同じレベルで民衆の心を揺さぶった。民衆は王城の中庭に入り切らずに、城門辺りまであふれていた。その民衆が我を忘れてエミーとヅウワンの二重唱に聞き入った。愛のリズムが民衆の心を一つにしていたのだ。
みよこの尽きぬ喜びを
聞けこの胸の高鳴りを
今や来たれり我が救い主
とわの命を喜びに
凍てつく苦難も消え去りぬ
今や来たれり
今や来たれり
今や来たれり
おお
我が救い主
今や来たれり
二重唱はやがてごく自然に三重唱、四重唱と広がり、王城を揺るがすような大合唱になった。民衆は等しく至福のただ中にいたのだ。
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