半年間でしたが、「浄土」の報告も最後となりました。
浄光寺の法要の日程に合わせて開催させていただいた個展は初めての経験でしたが、私にとって忘れられない思い出となりました。
10時からオープンして、午後5時まで。その間にお寺の法要が並行して行われました。
自分の絵を見ながら読経を聴き、講話を聴きました。
その講話の中に、今までなかった経験をさせていただきました。それを書いてみたいと思います。
親鸞の教えをこのように説かれたのです。
「阿弥陀様は救いを求めてくるものを待っているのではない。「ナムアミダブツ」と唱えるあなたの声となってやって来る。」ということでした。
私はその言葉にハッと目覚めさせられました。
ナムアミダブツと唱えるのは、どこかにある救いがやって来てほしいと願う言葉だと思っていたのですが、それが心の中で光明のように開かれたのです。
ナムアミダブツとっ唱えるこの言葉が、この声が、阿弥陀様だという理解。これは私が願ってきた今を生きるという思いを実現するもっとも合理的なではないのかと思いました。
「浄土」奉賛会を終えて昨日一日、私は描きかけの作品を前にして「ナムアミダブツ」を発しながら鉛筆を動かし続けました。すると私の中は阿弥陀様で満たされ私は空っぽになった実感を持つことが出来ました。
余計な意識が消えて一心に絵に向かっている自分を見出したのです。
そこで私はナムアミダブツという言葉をのしてんてんという言葉に置き換え、さらに呼吸に置き換えてみました。
阿弥陀様がこの呼吸に乗って現れて下さる。この命は阿弥陀様そのものだというのです。それは「人はみな神だ」という私の理解と同じ結論に導かれるのです。
今まで私の考えは禅に近いと思っておりましたが、親鸞の教えがこのように私の思いを重ね合わせる事ができると思えたのは第一の収穫でした。
お礼に今回展示した作品の1枚に裏書をして浄光寺に奉納させていただくことにしました。
御住職には喜んでいただき、「本堂に飾らせてもらいましょう。ずっとですよ。」と受け取ってもらえました。
のしてんてん絵画「浄土」奉賛会は、こうして幕を閉じたのです。
今後この組作品は、地域の人々の慰めとして、可能な限り巡回展示していきたいと思っております。
展示させていただけるところがありましたら、是非ご一報いただけると幸いです。
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