ある公園で見つけた般若心経の石碑
前回到達した五次元思考が心を急に押し広げてくれた。
これは長年自己検証してきた私の心が実感したことです。
苦をだれよりも敏感に感じ
そこから逃れようとあがく私がいました。
その私が苦を受け入れたのです。
苦を正しく観ることが出来ました。
すると
恐れていた苦は、広大な苦ではない空に取り巻かれているのが分かったのです。
それは空に浮かぶ苦の姿でした。
その時です
私という主体が
いつの間にか
苦から空に切り替わっていることに気付いたのです。
それ以来私の苦は
一つずつ消えていくように思えるのです。
すると不思議なことに、今まで書き続けてきた難解な般若心経の解釈が
実は子供でも分かる話だったのだと
気付かされたのです。
以下にその
新たな般若心経の解釈を
翻訳形式で紹介します。
:::::::::
新翻訳 魔訶般若波羅密多心経
のしてんてん
(仏説摩訶般若波羅蜜多心経)
本ものに出会う心の教え
(観自在菩薩)
眼に見えないものを見ることができる仏様がいました。
(行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄)
ある日仏様は、修行中に、自分の身体の見えないところに本ものが隠れていることに気付いたのです。
本ものに出会ったら、その時から苦しいことや嫌なことがなくなりました。
本ものはもうそれだけで、ほかには何もいらない程の幸せを届けてくれたのです。
そこでお弟子さんに言いました。
(舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是)
舎利子よ、
この世にあるものはどんなものでもみんな、見えないところに本ものが隠れているのだよ。
この花をよく見てごらん。
この花の周りには見えないものがあるだろう?
それに、この花の中だって誰にも見えないものがたくさんある。
見えないものは空っぽの空(くう)だけれど、この空がなかったらこの花は生きていけないのだね。
花の周りの見えない空(くう)にも、眼の届かない花の中にも、本ものが隠れているのだよ。
本ものは眼に見えない。
それはあなたの心だって同じなのだ。
誰にも分からない自分だけの心だとしても、そのあなたの心の見えないところに隠れている本ものは、今も静かに息をひそめている。
(舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中)
舎利子よ、
この世は見たままにあるのではない。見えない本もので出来ているのだ。
生まれることや、消えてしまうこと。
汚いものや、清らかなもの。
増えたり、減ったりすることも、
みんな眼に見えていることだから、どれも本ものではないのだね。
眼に見えないところに本ものはあるのだから、それは分かるだろう?
見えているものはみな本ものではないということなのだ。
(無色無受想行識)
考えてごらん、
あなたがいま見ていることも
いまあなたが感じていることも
そこに本ものはないのだよ。
あるのはただ、あなたの思いと感じだけなのだ。
この世に形のあるどんなものも、その本ものは見えないところにあるのだから、
眼に映るままに世の中を見て、感じ、それこそが本ものだと思うことも、また同じだということがわかるかい?
本ものは眼に見えないところにあるのだからね。
花を見てもあなたは花のほんの一部を見ているだけだろう?
花を見て感じるのも、それは見えている花の一部から受け取った感じだし、
花を見て思うことも、それはあなただけの思いを広げているだけで、花そのものでないだろう?
花という本ものは、どんなに捕まえようとしても捕まらない。本ものは眼に見えないところに隠れたままだと分かるだろう。
(無眼耳鼻舌心意無色声香味触法)
人はみな、
眼で見て、
耳で聞き、
鼻で嗅ぐ。
舌で味わい、
この身で全身を感じる。
そして頭の中で色々のことを思うけれど、
それだって本ものは別のところにあるのだよ。
(無眼界乃至無意識界)
こうして見ている世界も、
それに感じて思うことも、
みんな本ものは別のところにあるのだ。
(無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道)
分からないことも、分かり切ったことも。
年老いていくことも、死んでいくことでさえ、
それはそう見えているだけで、本ものは見えないところに隠れているのだね。
だから、
嫌な苦しみだって、本ものは別のところにあるのだよ。
(無智亦無得以無所得故)
この世を知ることも、富を得ることも、
それはあなたに見えているだけのことだから、本ものではないのだ。
本ものは見えないところにあるのだからね。分かるだろう?
だから
何かを持っていると思うことは本ものではないし、何かを失ったと思うことも、本ものではないのだ。
(菩提薩埵以般若波羅蜜多故)
いいかな、
人は持っているものが本ものでないと知ると、自ずと心は本ものに向かって進んでいくものだ。
そしてその、本もののことを体験する者は、本ものの力によって心が安心するのだよ。
(心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顚倒夢想)
本ものを体験すると、心は見えることだけに惑わされないでいることが出来る。
心が惑わされなければ、苦しみや恐れはなくなり、
間違った思い込みを持つこともないのだね。
(究竟涅槃三世諸仏)
そんな経験を正しく理解したものは、本ものの力を正しく使うことが出来るのだ。
そのおかげで心はのびのびとして、喜びでいっぱいになっていくのだよ。
(依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提)
どうしたら本ものに出会えるのだろう?
そのためには、本ものに出会いたい。見えない本ものの世界に行きたい。という願いだけが頼りになる。
それは、本ものになりたいという強い願いだけが、真実の言葉に出会えるからなのだ。
真実の言葉というのは、眼には見えない本ものを、全身と全霊で感じさせてくれる言葉なのだよ。
それは満ち足りた至福観をもたらせてくれるのだ。
間違えてはいけないよ。それは教えてくれるのでなない、体験させてくれる言葉の力なのだ。
(故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚)
本ものに出会いたいと思う心が言葉を変えるのだよ。
その言葉は、神様の言葉であり、至福の悟りの言葉であり、この上なく、二つとはない言葉となるのだ。
二つとはない本ものと深くつながっている言葉だからこそ、迷いや苦しみを心の中から取り除いてくれる力を持っている。
正しい言葉を唱えると、言葉が自然に働いて見えない本物と心を真っすぐにつなげてくれる呪文となるのだよ。これこそが、真実の言葉と言えるだろう。
(故説般若波羅蜜多呪即説呪曰)
心を彼岸に向け
強い思いを持って
さっそく唱えてごらん
(羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶)
ぎゃてい ぎゃてい
はらぎゃてい
はらそうぎゃてい
ほじそわか
(般若心経)
この世の本ものを知ろうと願う
そんな心の姿をどうか知ってほしいのだ
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