(23)-2
「やめなさい。」
フェルミンの叫んだ口をふさぐようにダニールの手が素早く動きました。
丸薬を押し込んだままその手がフェルミンの口を押さえつけてしまったのです。
もがく身体を数人がベンチに抑え込みました。やがて抵抗する力が消えました。
押さえつける手が緩んだ瞬間、フェルミンは手を跳ね上げて立ち上がったのです。
そして丸薬を吐き出しました。しかし出てきたのは黒ずんだ唾液だけでした。
「チュはは、もう遅い。これでお前の身体はわたチュの黒に染まっていくだチュ。」
「フェルミン、私のもとに来るのだ。」
「馬鹿なことを言わないで。」
フェルミンは口から垂れた黒い液を腕で拭いながらダニールを睨みつけました。
その時でした、床の絨毯が山のように盛り上がったのです。
その山が破裂して黒猫が飛び出してきました。
そしてエルが姿を見せました。
もこりんとぐうすか、そしてぴょんたが飛び出しました。
次々と動物たちが穴から出てくるのです。
「フェルミン、遅れてすまない。」
フェルミンの顔に光が差しました。
けれどもエルがフェルミンに駆け寄ろうとしたとき、ダニールがその前に立ちはだかったのです。
「もう遅い。」
「ダニール、どうしてここにいるのだ。」
「フェルミンは渡さん。私のものだ。」
ダニールが剣を抜いてエルをにらみました。
「ダニールお前、魂を売ったのか。」
エルも剣を抜きました。
「やめて、二人とも。殺し合ってはダメ。ダニールは薬に侵されているの。このチュウスケネズミの魔法なのよ。」
フェルミンが力を振り絞って叫びました。
「チュははは、お前もなフェルミン。じわじわ効いてくるぞ。わたチュの分身になるのだチュ。」
チュウスケの勝ち誇った笑い声が部屋に響き渡りました。
「そうはいかない。お前の思い通りにはならない。エル、ダニール、魔法に打ち勝つのよ。」
フェルミンは最後の力を振り絞って叫んだと思うと、咄嗟にダニールの身構えている剣に抱き着いたのです。
ダニールの剣がフェルミンの胸を貫きました。
「フェルミン!何をするんだ!」
「私は負けない。思い通りにはならないわ。魔法は打ち勝てるのよ。ダニール。」
エルとダニールはぐったりしたフェルミンに寄り添うしかありませんでした。
けれども流れ出る鮮血が次第に黒ずんでいくのです。
「フェルミン、しっかりしろ。」
エルがフェルミンを抱き起こしました。
「勝てるものなら勝ってみるだチュ。ダニール、何をしている。そのエルを血祭りにするだチュ。」
ダニールはのろのろと立ち上がり、そしてエルに剣を向けました。
激しい二人の打ち合いが始まりました。
そのすきにぴょんた達がフェルミンに駆け寄りました。
スケール号から帰還の指令があったのです。
「大丈夫、きっと助かるからね。」
ぴょんたは手際よく血止めをして万能絆創膏を貼りました。
「フェルミン姫様、頑張るでヤスよ。」
「チュウスケを必ずやっつけるダすからね。」
そう言い残して乗組員たちがスケール号に帰って行ったのです。
「よくやったもこりん。ぴょんたもぐうすかもよくやった。」
「博士、姫様の傷が思ったより重いです。」
「大丈夫だ、姫は強い気を持っている。必ず生きて戻ってくる。」
バリオンの王様が言いました。
「王様と話をしたのだ。いつもやられていたが今度はチュウスケをおびき出してやろうということになったのだ。
皆でしっかりチュウスケの動きを見張ってほしいのだ。」
「どうするのでヤすか。」
博士は簡単に説明しました。
それは姫の体内に潜って、かけられた魔法を解くというものでした。
ぴょんたはその時、急にピピちゃんのことを思い出したのです。
ピピちゃんを助けるために、スケール号はおばあさんの額から潜り、おばあさんの原子宇宙にある心の海まで行ったのでした。
そこでぴょんたは自分の身を犠牲にしてピピちゃんを助けたのです。
「今度はフェルミン姫様の心の中に行くのですね。」
「そうだ、ぴょんた、思い出してくれたかい。」
「チュウスケをおびき出すってどうやるのダすか、博士。」
「どうすることもないよぐうすか。我々が姫様の心の世界に行けば、必ず後を追ってくるはずだ。」
「その前にスケール号を奴に気づかせなければならないがね。」
バリオンの王様がおどけた笑いを見せて言いました。
フェルミンのまわりに動物たちが集まって身を守る壁を作っていました。
エルとダニールが互いに譲らず激しく戦っています。
チュウスケと子分たちは大きな動物たちに取り囲まれていましたが、そこに新たな兵がなだれ込んできたのです。
形勢が一気に変わりました。その時スケール号が巨大黒猫に変身したのです。
驚き、腰の引けた兵たちを猫パンチで蹴散らしていきました。
追っかけまわされた恨みを晴らすようにスケール号は牙をむいてシャーーと威嚇するのです。兵士たちは我先に逃げ出しました。
部屋に残っている兵士を叩きのめすと、雄たけびを上げたのです。
「ゴロにゃーン」
スケール号が体を縮めながら宙返りをすると、ハエの大きさになってしまいました。
スケール号はそのまま部屋の中を飛び、チュウスケの鼻頭を蹴ってフェルミンの額に止りました。
スケール号はさらに縮小を続け、ついにフェルミンの汗腺から体内に入り込んで行ったのです。
「おのれ、スケール号め、生きていたか。今度こそ決着をつけてやるチュのだ。」
チュウスケがあっという間に煙になってスケール号を追うようにフェルミンの中に消えたのです。
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(ちょっと一休み)
いよいよ組作品三作目「龍・生まれる」にとりかかります
一辺約90㎝のSサイズキャンバス(30号)9枚に地塗りを施します。
これをしないと鉛筆がキャンバスに充分のってくれません。
乾いたらマット状の白地になります。
自分のことながらなぜシャーペンを使うようになったのか
あらためて考える機会があり、それが普通になって、意識もしなかったいた自分の姿勢に
あらためて新鮮なものを感じましたので、そんなエピソードを少しエキスだけですが紹介します。
シャーペンは、文具であって、デッサンには適さないと、当然のように考えていました。
実際に布製のキャンバスに描くと折れやすく、機械的な線が冷たく無機質で好きになれなかったのです。
ところがある日、デッサンとは程遠いシャーペンのマイナス機能をあえて使って、
これをすべて逆転してプラスに変えたらどうなるかと思ったのが、シャーペンとの出逢いでした。
例えばこういう事です。
①折れやすい。⇒それゆえに、芯の折れる寸前を意識してペンを握る力を常に意識する。それが繊細かつ敏感に、
キャンバス上で自分の体と芯の融合具合を意識させてくれる。
②機械的で冷たい描線。⇒それゆえに、自分の心をごまかせなくなる。そこから現れてきた温かさが自分の心に違いない。
無機質ゆえに、変化した描線がそのまま心の表れとなる可能性が高い。
③B芯一本に固定すると濃淡が出しにくい。⇒それゆえにデッサンの濃淡を鉛筆に頼ることができない。濃淡は力の入れ具合に現われる。
つまり濃淡のすべては自分の体が担わなければならなくなる。
特に弱い線はピアノッシモを引くように、息を止めて、シャーペンの重さを持ち上げて
残った重さだけで線を引く。一番疲れる作業です。
あれやこれやと、シャーペンのマイナス面のおかげで、私の絵は、
自分の全身を使ったアクション絵画となったのです。
塗らないで線を引く。それもなるべく細い線で心のままに描く。
このテーマが、こんなシャーペンとの歴史となりました。
描きつぶしたシャーペンたち7が現役です
奥が非常に深いですね。
読みながら、バレエでの体の運び方に酷似しているなーと思いました。
>>>>>( )内は代入
①折れやすい(崩れやすい)⇒
それゆえに、芯(中心)の折れる寸前を意識して
ペンを握る力(コア)を常に意識する。
それが繊細かつ敏感に、
キャンバス上(床の上で)で
自分の体と芯(コア)の融合具合を意識させてくれる。
②機械的で冷たい描線(身振り)⇒
それゆえに、自分の心(わざ=技)をごまかせなくなる。
そこから現れてきた温かさ(音楽にマッチ)が自分の心(レベル)に違いない。
無機質ゆえに、変化した描線(自分のステップ)
がそのまま心の表れ(レベルの表れ)となる可能性が高い。
③B芯一本(太ももの筋肉)に固定すると
濃淡(強弱)が出しにくい。⇒
それゆえにデッサンの濃淡(動きの強弱)を鉛筆に頼ることができない。(足の筋肉だけに頼れない)濃淡(強弱)は力の入れ具合に現われる。
つまり濃淡のすべて(強弱の基本)は
自分の体が担わなければならなくなる。
特に弱い線(つなぎステップ)はピアノッシモを引くように、息を止めて、
シャーペンの重さ(体重の重さ)を持ち上げて
残った重さ(引き上げた重さ)だけで線を引く。(ステップを踏む)
一番疲れる作業(一番しんどい作業)です。
あれやこれやと、シャーペンのマイナス面(コアの弱さ)のおかげで、私の絵(バレエ)は、
自分の全身を使ったアクション絵画(バレエ)<<<
代入をしながら、のしてんてんさんと私は
同じようなことを意識しているかもと思いました。
また、すごく気づくものが多く、
基本を学んだ感じにもなりました。
もし私の先生がのしてんてんさんのような言い方を
してくれてたら
私は2年前に、今のレベルになれたかもです。
私の先生は、芸術の感覚より
職人技的な教え方なので、
私には適していますが、
空間感覚とか、次元感覚とかは
乏しいので、(一般的な)
イメージ訓練をしないとついていけないです。
その物足りなさが今回のこの記事で
埋められた感があります。
のしてんてんさんの芯は
私にとって、体の運びですかね。
そんな思いが浮かびます。
見事に重なりますね。
バレエのことはよく分からないですが、こうして書いていただくと、なんだか私も舞台の上で飛び跳ねているような気分になります。
描線がキャンバスの上で心と繋がったとき、私は自分の身体を越えて空体を感じます。空そのものになって安らいでいる感覚です。
バレエもそのような感じがあるのかもしれませんね。
身体の動きが心と重なって、その角度やスピードと跳躍が自然の流れのように感じる時、意識が身体から空に切り替わると考えると、演舞、絵画のみならず、武術や気功、スポーツ全般に通じるかもしれません。
役に立ってもらえて嬉しいとともに、理解して頂き二倍の喜びです。
ありがとうございます。