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のしてんてんハッピーアート
複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる
闇の中から
2006-02-19
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しあわせさがし
しあわせは闇の中から生まれる
闇を愛するものだけが
本当の幸せを理解する。
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5 コメント
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また 使用許可を・・・
(
まつぼっくり
)
2006-02-19 17:32:48
前にも一度お願いしましたが・・・。
少し長くなりますが、私の孫(7歳・女児)がお話を書いてくれました。
今日の朝は町中がまっかでした。
なぜかわからないけど小さな黄色がまじっていました。
その中から小さなわらいごえが聞こえてきました。
でも耳をかたむけると聞こえない声でした。
お日さまがのぼってくると、もっと大きくなっていました。
女の子はいそいできがえて外に出てみると、
心の中のわらい声だってことがわかりました。
いったいだれがわらわせているのだろう?
すると、わらい声が
「もみじ公えんのもみじだよ!!」と急に答えました。
いそいで行ってみるともみじがにこにこしていました。(この後も話は続くのですが)
ここにのしてんてんさんの[1なるもの]
を挿絵として使わせていただきました。
この話を読んだ時 のしてんてんさんのこの絵がぴったりと思いました。
と言う訳でブログの画を使わせていただきました。ご報告まで。(長々とすみませんでした。)有難うございました。
返信する
闇と生きて
(
みす「のん」
)
2006-02-19 23:28:15
自分の心の闇と日々生活を共にする。
昔やったゲームを思い出す。
闇の向こうには輝かしい光があるのだと。
そのゲームは訴えていた。
去年観に行ったお芝居を思い出す。
絶望の先にベートーベンが見た物は歓喜だったと。
私はいくつもの闇を超えて少しずつ光を見てきたけれども、今また大きな深い闇に出くわしている。
これを超えれば、また新しい発見があるのだと信じて。
深く眠る自分。
最近夢と現実の区別がつかないような夢を見ている。
リアルすぎてちょっと怖い。
夢の中から自分が何を求めて、何を探しているのか探ろうとしている。
自分の心の投射物が夢なら、夢の中にも答えがあるのだと思っていて。
夢の中で夢を見る。
どこからが現実なのかもはや私にはわからない。
光にあたるのが嫌いだった自分を日陰に何度も置き去りにしてきた。
今度はそれを拾っていかなくてはいけないのかもしれない。
返信する
追記
(
みす「のん」
)
2006-02-19 23:40:56
昨日は何も見たくなく、何も聞きたくなく、何も感じたくなかった。
先のベートーベンの芝居では、妻に毒殺された悲しき天才、モーツァルトが将来有望な作曲家たちに呪いをかけようとする。
その呪いは絶望の曲を作曲させるための呪いだった。
現実に辟易し、何も聞きたくないと叫んだベートーベンにモーツァルトは呪いをかける。
彼こそが絶望の音楽を作るにふさわしいと見込んで。
しかし彼は絶望の先に例えようのない自分から発する愛情と甥からの愛情を見いだし、歓喜の歌という曲を作る。
モーツァルトは何故音楽家にとって必要不可欠な聴力を失ってまで幸福を奏でたか理解できずにいる。
芝居の中では、ベートーベンの聴力を奪ったのはモーツァルトとされたが、私は聴力を失ったのはベートーベン自身によるものだと理解している。
彼は外界に悲惨さを感じ、それらを拒否したが、聞こえなくなって初めて自分の内側にあったトラウマに気づいたのだった。
そして耳の聞こえない大作曲家は歓喜の歌を世界中に広め、家族との絆を取り戻していく。
もう二度と会えないと知りつつも。
歓喜の歌。
あの曲を聞くと自分がそれほど悲惨でもないのかもしれないと、自分の中に感動できる心がまだあるんじゃないかと思えてくる。
薬。増えそうです。医者から意見書というのをもらってきなさいと言われました。
重度かつ継続という範囲に当てはまるらしいです。
昨日、両親と脳科学のテレビを見ていたのですが、どうやら私はドーパミンが出過ぎているのではないかと疑われました。
脳検査では脳波の異常しかわかっていませんが、思い当たる節がいくつかあります。
ちょっと医者に相談してみようと思います。
時々薬を飲んでいると自分の表現したいことが見えなくなるような気がしますが、放っておくと膨大な欲求が溢れ出て来て何か創造しなくては生きていけないような気になってしまいます。
またしても病気の話で申し訳ありません。
返信する
すばらしい!!
(
のしてんてん
)
2006-02-20 00:32:13
まつぼっくりさん、
お孫さんのお話に私の絵が挿絵になんて、光栄です。喜んでいただけたでしょうか。
お話に力をもらって、今日(2月20日)の絵は笑いの中で描くことが出来ました。
お孫さんによろしく。
是非後半も聞かせてくださいませんか
返信する
「みす」のんさんへ
(
のしてんてん
)
2006-02-20 00:57:25
ベートーベンの第5を始めて聞いたのが中学の音楽の授業でした。
私のクラッシック音楽は運命から始まりました。そして第9の2楽章では胸が詰まるほどの喜びを感じたこともあります。
人は誰も、同じだけ喜びのシンフォニーを心にもっている。そう信じています。
あなたの中にも必ずある。それだけは断言できますよ。
病気のことは、書いていただいてもコメントすることは出来ません。
ただあなたの前向きな心がいつか自分自身を解放してくれることを願っています。
返信する
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自己紹介
キャンバスに鉛筆だけで絵を描いています。独自に習得した技法で「のしてんてん絵画」と呼んでいます。
心の風景を描きながら、一貫して人の心を和ませ幸せにする絵を求め続けています。静かな幸せの絵をよろしく
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そのゲームは訴えていた。
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私はいくつもの闇を超えて少しずつ光を見てきたけれども、今また大きな深い闇に出くわしている。
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リアルすぎてちょっと怖い。
夢の中から自分が何を求めて、何を探しているのか探ろうとしている。
自分の心の投射物が夢なら、夢の中にも答えがあるのだと思っていて。
夢の中で夢を見る。
どこからが現実なのかもはや私にはわからない。
光にあたるのが嫌いだった自分を日陰に何度も置き去りにしてきた。
今度はそれを拾っていかなくてはいけないのかもしれない。
先のベートーベンの芝居では、妻に毒殺された悲しき天才、モーツァルトが将来有望な作曲家たちに呪いをかけようとする。
その呪いは絶望の曲を作曲させるための呪いだった。
現実に辟易し、何も聞きたくないと叫んだベートーベンにモーツァルトは呪いをかける。
彼こそが絶望の音楽を作るにふさわしいと見込んで。
しかし彼は絶望の先に例えようのない自分から発する愛情と甥からの愛情を見いだし、歓喜の歌という曲を作る。
モーツァルトは何故音楽家にとって必要不可欠な聴力を失ってまで幸福を奏でたか理解できずにいる。
芝居の中では、ベートーベンの聴力を奪ったのはモーツァルトとされたが、私は聴力を失ったのはベートーベン自身によるものだと理解している。
彼は外界に悲惨さを感じ、それらを拒否したが、聞こえなくなって初めて自分の内側にあったトラウマに気づいたのだった。
そして耳の聞こえない大作曲家は歓喜の歌を世界中に広め、家族との絆を取り戻していく。
もう二度と会えないと知りつつも。
歓喜の歌。
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薬。増えそうです。医者から意見書というのをもらってきなさいと言われました。
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ちょっと医者に相談してみようと思います。
時々薬を飲んでいると自分の表現したいことが見えなくなるような気がしますが、放っておくと膨大な欲求が溢れ出て来て何か創造しなくては生きていけないような気になってしまいます。
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