(21)
「そっちに行ったぞ!」
「右だ!」
「左だ!」
歓声の中、金色の猫が宮殿から中庭に飛び出してきました。ところが広場は騒ぎを聞きつけた兵士で埋まっていたのです。逃げ場を求めて突進する猫の道が盾でふさがれ、進路を変えると、そこにも盾が現れます。猫はいつの間にか盾の壁に追い込まれていったのです。
兵士たちは楽しむように猫を追い詰めていきました。その輪の中に網を投げ込む者がいました。二投、三投と猫は辛うじて網から抜け出しました。そのたびに兵士たちがゲームを見るように歓声を上げるのです。そして四投目の網が覆いかぶさってきたとき、猫の足が地面に落ちている網に引っかかってしまいました。無慈悲にも猫は網に捕らえられたのです。バカ騒ぎする兵士の輪の中で動けなくなった猫が悲鳴を上げました。
その時だったのです。ふいに黒いものが空から猛スピードで落ちてきました。大きな黒いかたまりが猫をめがけて一直線に落下してきたのです。黒いものは地面に衝突すると思ったその寸前、大きな羽根を横に広げ、爪をむき出しにして網をつかみ、猫ごと空に持ち去ったのでした。あっけにとられた兵士たちがこぶしを上げて悔しがった時にはもう矢も届かない空を悠々と旋回し、森の方へ飛び去って行ったのです。
「一体何事だチュ。」
「猫が一匹潜り込んだようですポン。」
「猫、いやな言葉だチュな、まさか銀色の猫チュうのじゃないだチュな。」
「いえいえ金色だったらしいポンポン。」
「だろうな。奴はわたチュが仕留めた。奴がいるはずないだチュな。」
「もう少しで捕まえられたのにポン、大タカが横取りしていったのですポン。」
「猫などどうでもいいだチュ!まだ衛兵ひとり捕まえられないのだチュか。」
チュウスケの号令で大規模な山狩りが始まっていたのです。山を焼き、軍を奥へ奥へと進めて行きます。しかしそこに王がいるとは限らないのです。まだ王宮のどこかにいるかも知れない。そのために兵を備えているのに、その兵が猫を追いかけている。戦いが長引くにつれてチュウスケの苛立ちは隠せません。
そこにカンスケが喜び勇んで飛び込んできました。その後ろに三人の兵が付き従っていました。一人が綱を持ち、二人が両手を持って倒れた男を引きずっているのです。
「カウカウ、親分!」
「またか、今度は何だチュのだ。」
「親分!見てください。城に隠れていたこいつをつかまえましたよカウカウ。」
「衛兵をつかまえたチュのか。それはでかしたカンスケ。すぐここに連れてくるだチュ。」
「おい、こっちだカウカウ。」
カンスケが胸を張って三人の兵に命令しました。そのまま三人は衛兵をチュウスケの前に引きずっていきました。衛兵は足を射抜かれて動けないのです。逃げ遅れて外宮の物置小屋に潜んでいたところをカンスケに見つかってしまったのでした。服は固まった血と泥にまみれ、何日も水だけで生き延びていた様子がぼろくずのように憔悴した姿に現れています。
「名は何というだチュ?」
チュウスケが膝をついて顔を覗き込みながら聞きました。
衛兵は口を利く力もないのか、目をつむったまま死んだように動きません。
「この傷でよく生きていただチュな。足は半分腐っている。わたチュに見つかってよかった危うく死ぬところだったぞ。もう心配いらないだチュ。わたチュが治してあげよう。安心するんだ。」
チュウスケは猫なで声で話し、子分たちに湯と粥を持ってこさせました。もちろん薬草を煮詰めた鍋もです。
湯に黒い丸薬を入れて飲ませ、体の汚れを拭いてやると、土の汚れの中からまだ若い肌が見えました。チュウスケは黙って傷口の治療を始めました。固まった血のりをきれいにふき取り、鍋の中のどろりとした液体をかき混ぜ始めました。暗緑色の泥の中に、腐肉の匂いがする紫色の粉をふりかけ、色が整うまでゆっくりかき混ぜるのです。そのドロドロの鍋の中から柄杓に汲みとった液体を傷口にたらたらと回しかけました。するとその液体から白い煙が立ち上がり、衛兵は身体を硬直させてうめきました。
「これで傷は治るだチュ。」
チュウスケは反り返った衛兵の身体を押さえて、さらに二度三度と、傷口から液体を流し込んでいったのです。
「それに親分カウカウ、敵が緑の穴と言い合っているのを聞いたものがいました。」
「緑の穴だチュか、なんだそれは。」
チュウスケは作業の手を止めてカンスケを見上げました。
「敵同士が暗号のように呼び合うのを聞いたものがいるのです。きっとカウカウカウ、これは隠れ家のことだと思いますカウ。」
「ついに運が向いてきたチュだな。」
「運が向いてきましたポンポン」
調子のいいポンスケがお腹をたたいて景気付けます。
そのうちに床に転がった衛兵の傷口から立ち上がる煙が静かに消えて行きました。見ると太ももを貫いた大きな傷は完全に消えてなくなっていたのです。同時に衛兵の意識も戻ったようでした。
「さあ、もう大丈夫だ。起き上がってみるだチュ。」
チュウスケは衛兵の肩に手を添え、ゆっくり身を起させたのです。
「自分の足を見るだチュ。」
「これは・・」
「完全に治してやった。感謝してもらうだチュよ。さあ、これを食べるだチュ。」
チュウスケは粥を差し出しました。
「ゆっくりゆっくり食べるが良い。」
衛兵は椀の粥をしばらく眺めていましたが、一口食べると、堰を切ったように掻きこみはじめました。
「何杯でもあるのだチュ。ゆっくり食べるんだ。よほど腹を空かせていたのだチュな。よく生きていたぞ。」
なぜか衛兵は涙を流しているのです。
「なぜ泣いているチュのだ?ダニール君。」
「!・・・・」
ダニールと呼ばれた衛兵はびっくりしてチュウスケを見ました。
「なぜ名を知っているのかと聞きたいのだチュな、ダニール君。わたチュは何でも分かるのだよ。君の考えとわたチュの考えは今一つになっているのだチュ。」
「知らない、私は何も知らない。」
「ほら、ダニール君、わたチュがまだ何も言っていないのに、君はもうわたチュの質問に答えているじゃないか。」
チュウスケはにやりと笑ってダニールを見ました。
「声を出してもう一度同じことをきいてみたいのかダニール。君は緑の穴のことを知っているのだな。」
「知らない、私は何も知らない。」
「ダニール君、君は同じことを二度言いましたよ。そうだチュか、王はそこにいるのだチュな。」
「違う!私はそんなことは知らないぞ。」
「そうだチュ、ダニール君、君は知らない。王が逃げたことも知らない。それは当然だチュ。王は君たちを捨ててこっそり逃げたのだチュからな。」
「嘘だ、そんなことは信じないぞ!」
「そうむきになることはないぞ、ダニール君。むきになればなるだけ、気持ちの裏側にある怒りがわたチュに伝わってくるぞ。憎いだろうな。ダニール君、わたチュが君に嘘をつくために助けたと思うのか?わたチュがいなければ、君はあのままみじめに死んでいたのだよ。君はこのまま死んではダメなのだチュ。死ねばみじめしか残らない。誰も知られずほったらかしにされてゴミのように捨てられたのだチュ。ダニール君思い出せ。君の忠誠心は王によってつくられたものだチュ。王は今頃ぬくぬくとしたベットの中で幸せに寝ているだろう。君のみじめさなどひとかけらもないし思い出しもしない。君は道具だったのだチュ。」
「王様は本当に逃げたのか。仲間は、親衛隊の仲間は・・・」
「ダニール君、君の知っている通りだ。この城に転がっている屍骸を見るがよい。まるでごみだめだ。王にしたら、君たち親衛隊など役に立たなければゴミなのだチュ。これが現実なんだよダニール君。」
「そんな、それはあんまりだ。」
「ダニール君、見せかけの皮を脱ぎ捨てるのだチュ。本物のダニールに生まれ変わるのだチュ。君の本物の怒りがわたチュに痛いほど伝わってくる。ダニール君、立ちなさい。立って自分の足をみるのだチュ。」
言われてダニールは立ち上がりました。傷などなかったように体の中から湧き上がってくる力でスクッと立ち上がったのです。膝から下の腐った足が生き返ったように動くのです。ダニールはチュウスケに促されて自分の足を見ました。濁った紫色の皮膚に 緑の蔦が巻きついたような亀裂が入っているではありませんか。痛みは在りませんが、その亀裂からじわじわ赤黒いものが滲み出ているのです。
「これを飲むだチュ。」
チュウスケは黒い丸薬を4粒ダニールに手渡しました。
「これは・・・」
「君は先ほどすでに1粒飲んでいるだチュ。しかしそれではその足はすぐに腐ってしまうだチュ。足を治したければ、あと4粒飲むのだチュ。」
ダニールはチュウスケに勧められて、迷いながら1粒飲みました。すると足の亀裂から滲み出している赤黒い体液の流れが止まったのです。
「さあもう一粒飲むだチュ。」
次に一粒飲むと足の亀裂がくるぶしから上に向かって閉じていくではありませんか。そしてもう一粒飲むと緑のあざが消えたのです。ダニールはもう迷うことなく最後の一粒を飲み干しました。するとダニールの足は元の足の色に変ったのでした。
「ダニール君、おめでとう。君はこれで私に忠誠を尽くす勇敢な戦士となっただチュ。醜いサナギから美しい蝶が誕生したチュのだ。素晴らしいことだ。ダニール君。わたチュのことは親分と呼ぶがいいだチュ。言ってみるがいいチュ。親分ありがとうございましたと。」
「あ、ありがとうございました。・・・ぉ、おやぶん。」
「言っておくがダニール君。君の忠誠が消えたら、その場で足は砂のように崩れるだろう。それより共に王を倒すのだ。君を王討伐の将軍にするだチュ。」
「忠誠を誓います。親分。」
ダニールは足を曲げてチュウスケに敬礼を捧げたのです。
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