天災は神の仕業と割り切るしかない
現実を受け入れて、人は健気に生きていく。
そこに必ずしあわせが生まれてくる。
しかし人災は、その過ちを見過ごしてはならない
原発事故の惨状は、一体何のために生まれたのか、人はそれを真剣に考えなければな らないだろう。
けれど、
それを東電一人のせいにしてはならない
それを国のせいばかりにしてはならない
この過ちの真なる原因は
私達一人ひとりの心が生み出す欲望にある。
悪夢のような原発事故の責任もまた一人じゃないんだ。
みなが考え、解決しなければならない問題なのだ。
本気で、50年前の生活に戻る勇気があるだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます