職場に続く道に地下道がある。そこは毎日のようにゴミが散乱している。コンビニで買ったスナックやファーストフードの袋やタバコの吸殻など、まるで無法地帯のようなありさまだ。学生が男女問わず座り込んで、飲み食いしてそのまま散らかしていく。
① 汚い。
② 片付けず食い散らかして帰る学生たちに対する不満。
私の思考はいつもこんな風に流れていて、毎日散らかったゴミを踏みつけて通っていた。
①は私の感性から生まれた思考であり、②は私の理念から導かれた思考である。理念思考は損得勘定や正義、習慣など、社会の中で生きていくために生み出された知恵と言ってもいいだろう。つまり私はいつもこの理念思考にしたがって生きてきたのだ。
ある日私は気付いた。絵は感性を大切にするのに、なぜ今お前は感性に従って生きていこうとしないのだと反問したのだ。
汚いという思考を持った。ならば掃除をすればいい。それだけのことだ。ある日私は考え方を変えた。
① 汚い。
② 掃除しよう。
①は言うまでもなく、私の感性思考だ。そして②は①の感性から自然に流れてくる理念思考である。
それから私はゴミ袋を持って歩き始めた。ゴミをひらって歩くと、きれいになった地下道がとても気持ちのいいものに見えた。何より驚いたのは、私自身の心が晴れやかに透き通っているのだ。感性が喜んでいる。それは絵を描くときに体験する充実感と同じものだ。
すると、憎憎しく思っていた不届きもの達に対するとげとげしい思いが跡形もないことにも気付いて、それが私の幸せ感に昇華していくのが分かった。
たったこれだけのことだ。自分の感性に従って生きたらいい。
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