おばあちゃんの誕生日。金泉、銀泉で有名な有馬温泉です。大阪からバスで1時間足らずの手ごろな場所。
街の道沿いに足湯があって
美人のお御足を、お願いして撮影させてもらいました。旅館の仲居さんで、仕事帰りにいつも浸かって帰るのだとか。「疲れが取れるんですよ」と笑顔で撮影快諾です。
金泉は塩化鉄で銀泉はラジューム泉とか、その両方を楽しめる兆楽にお世話になりました。
誕生日ということで、鯛のサ . . . 本文を読む
(夕暮れの浜)
悪いと分かっていながら、それと反対のことをしてしまう。
この構図は、感情に翻弄される私たちを象徴しています。
そしてこれは理念と欲望が別々に働くことを意味しているのです。一人の人間の頭の中には様々な思考が、ある意味てんでバラバラに動いているということも出来るわけです。
すでに見てきた思考の全体を表す思考地図ですが、 . . . 本文を読む
(人も自然もありのままで)
私たちは確かに、今、この世界に生きています。
そう思えるのは、私たちがこの世界を認識できるからですね。
想像してください。もし目覚めて、まわりに光も音も、触覚もなかったら、私たちは自分が生きている事すらわからないのです。ただ闇があるだけで、私たちの意識はよりどころを失ってしまうでしょう。
そこにローソクの光がともります。自分の手足や体が、光の中に . . . 本文を読む
(人がみな通る道)
感情は、私たちそのものです。毎日の生活が喜怒哀楽の波に乗って動いて行くようですね。先日も書きましたが、この感情の波は、けっして途切れることなく続いています。
当然のことですが、生まれて今まで、私が私であったように、この感情は「私」そのものです。けれども普段私たちはこの感情に注目して生きているわけではありません。
目の前の仕事をこなし、目標に向かって進んでい . . . 本文を読む
(喜びの前触れ)
「ふつう」=倦怠
これが暗黒面の方程式です。
感情は私たちが生まれて、おそらく死ぬまで、一度も途切れることなく続いているエネルギーの流れです。それはテレビのようにスイッチで入り切り出来るようなものではありません。
私たちに現れてくる様々な感情の交錯が、つい別々の感情がやってきているように錯覚しがちですが、その感情をよく観察してみると、けっして切れているとこ . . . 本文を読む