現在、NHK-BSでドラマ「小吉の女房(2)」が再放送されている。本放送時ほとんど見ていなかったので見始めた。このドラマは勝海舟を育てた破天荒な夫婦を描いた物語である。
今日の回では、麟太郎(後の勝海舟)が父小吉の実家の親戚で奥女中を務める阿茶の局のツテで将軍の孫の遊び相手として江戸城に召し出されるという話があった。これを見ながら、わが父の幼少時のことを思い出してつい笑ってしまった。父は4~6歳の頃、泰勝寺に住まわれていた長岡家(細川刑部家)の若様の遊び相手として泰勝寺へ日参した。父が書き残した備忘録には次のような一節がある。
――長岡家は細川家の遠戚に当り、旧藩時代は家老職を務めた格式ある家柄。従って旧来の因習も多分に残る家庭であった。長岡家には二男一女があったが、その遊び相手選びにも厳しいものがあった。近くに散在する十一戸のうち、農家の一軒を除き、他は皆その昔、細川家の家臣であった家々である。これらの子弟の中から御曹子や御息女の遊び相手が選ばれたのである。こんな家庭への出入りであるので母も随分気を使ったようで、質素ではあるが、こざっぱりした木綿絣の着物に白の胸掛けというのが私の参上姿であった。――
この当時、既に大正時代に入っていたが、父が言うように長岡家のような名家では子女の友達選びにも旧来の因習が残っていたものとみえる。一方、毎朝父を送り出す祖母も「わが子の出世」とでも思ったのか、その気の使いようがなんとなく滑稽に見えてくる。
泰勝寺山門跡(現細川家立田別邸)
泰勝寺の池(現立田自然公園)
今日の回では、麟太郎(後の勝海舟)が父小吉の実家の親戚で奥女中を務める阿茶の局のツテで将軍の孫の遊び相手として江戸城に召し出されるという話があった。これを見ながら、わが父の幼少時のことを思い出してつい笑ってしまった。父は4~6歳の頃、泰勝寺に住まわれていた長岡家(細川刑部家)の若様の遊び相手として泰勝寺へ日参した。父が書き残した備忘録には次のような一節がある。
――長岡家は細川家の遠戚に当り、旧藩時代は家老職を務めた格式ある家柄。従って旧来の因習も多分に残る家庭であった。長岡家には二男一女があったが、その遊び相手選びにも厳しいものがあった。近くに散在する十一戸のうち、農家の一軒を除き、他は皆その昔、細川家の家臣であった家々である。これらの子弟の中から御曹子や御息女の遊び相手が選ばれたのである。こんな家庭への出入りであるので母も随分気を使ったようで、質素ではあるが、こざっぱりした木綿絣の着物に白の胸掛けというのが私の参上姿であった。――
この当時、既に大正時代に入っていたが、父が言うように長岡家のような名家では子女の友達選びにも旧来の因習が残っていたものとみえる。一方、毎朝父を送り出す祖母も「わが子の出世」とでも思ったのか、その気の使いようがなんとなく滑稽に見えてくる。
泰勝寺山門跡(現細川家立田別邸)
泰勝寺の池(現立田自然公園)
あ、ご覧になっていましたか!
わが父は明治44年生まれで、長岡家に伺候していたのは大正5年前後ですが、維新から50年近く経っていたにもかかわらず、まだそういう因習が残っていたんですね。
お父様のことですが、大正時代になってもそういう慣習があったのですね。
私の父も大正生まれですが、子どもの頃の昔話を聞いたことがありません。
ごく普通の生まれだったと思います。