今日は「観光バスの日」だそうだ。そういえば、朝、車を起動した時カーナビがそう言っていたような。大正14年のこの日、東京乗合自動車により日本初の定期観光バスが運行されたのだそうだ。
僕が小中高時代を過ごした昭和30年代、高度経済成長期の始まりとともに観光バス旅行がブームになった。当時、熊本城の西出丸は駐車場になっていて、観光バスが行幸坂を登って次から次に入って来る光景をよく憶えている。
そして観光バスといえばバスガイドさん。バスガイドさんといえば観光ガイドのまにまに披露される歌が乗客の愉しみだった。多くの観光客が熊本を代表する観光地阿蘇を訪れ、バスガイドさんが歌う「阿蘇の恋歌」を耳にするようになった。「阿蘇の恋歌」は阿蘇旅行の思い出の歌として広く知られるようになった。ところが、経済成長とともにマイカーが普及すると、観光バス旅行ブームは徐々に下火となった。それに伴い人々が「阿蘇の恋歌」を耳にする機会も少なくなり、いつの間にか忘れ去られようとしていた。しかし、阿蘇を旅した多くの人々の心の片隅に残っていたのである。昭和後期から平成にかけて多くの音楽関係者がこの歌を再評価、レコード化するようになった。そして今では、熊本地震で大きな痛手を被った阿蘇の復興の歌となっているのである。
昭和25年、櫨方(現在の加藤神社)が駐車場となっていた大型観光バスとバスガイド。観光ブームの始まり。向うに見えるは宇土櫓。当時は熊本城と言えば宇土櫓のこと。
昭和23年に阿蘇を旅した福井県の作詞家・松本芳朗さんが詩を作り、後にレコード化のため、青森県出身の作曲家・陸奥明さんが曲をつけた。
僕が小中高時代を過ごした昭和30年代、高度経済成長期の始まりとともに観光バス旅行がブームになった。当時、熊本城の西出丸は駐車場になっていて、観光バスが行幸坂を登って次から次に入って来る光景をよく憶えている。
そして観光バスといえばバスガイドさん。バスガイドさんといえば観光ガイドのまにまに披露される歌が乗客の愉しみだった。多くの観光客が熊本を代表する観光地阿蘇を訪れ、バスガイドさんが歌う「阿蘇の恋歌」を耳にするようになった。「阿蘇の恋歌」は阿蘇旅行の思い出の歌として広く知られるようになった。ところが、経済成長とともにマイカーが普及すると、観光バス旅行ブームは徐々に下火となった。それに伴い人々が「阿蘇の恋歌」を耳にする機会も少なくなり、いつの間にか忘れ去られようとしていた。しかし、阿蘇を旅した多くの人々の心の片隅に残っていたのである。昭和後期から平成にかけて多くの音楽関係者がこの歌を再評価、レコード化するようになった。そして今では、熊本地震で大きな痛手を被った阿蘇の復興の歌となっているのである。
昭和25年、櫨方(現在の加藤神社)が駐車場となっていた大型観光バスとバスガイド。観光ブームの始まり。向うに見えるは宇土櫓。当時は熊本城と言えば宇土櫓のこと。
昭和23年に阿蘇を旅した福井県の作詞家・松本芳朗さんが詩を作り、後にレコード化のため、青森県出身の作曲家・陸奥明さんが曲をつけた。