徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

宮本武蔵と泰勝寺

2012-07-05 18:16:14 | 熊本
 今日の昼、BSプレミアムで映画「宮本武蔵」を放送していた。1973年の高橋英樹版「宮本武蔵」だった。三船敏郎版や中村錦之介版は見ているが、これは見ていなかったので、全部は見れなかったが後半部分を見た。面白かったのは沢庵和尚を笠智衆さん、細川忠利公を浜畑賢吉さんという熊本ゆかりの俳優さんが演じていたことだ。もっともこの映画(原作・吉川英治)における武蔵と忠利公や沢庵和尚との接点はすべてフィクションで、武蔵が忠利公の客分として肥後細川藩にやってくるのはもっと後のことだし、沢庵和尚とも直接の接点はなかったらしい。それに関して郷土史家の鈴木喬先生が生前次のようなお話をされている。話は武蔵と泰勝寺の関わりについてであるが、武蔵と沢庵和尚に間接的なつながりがあったことがわかる。
 なお、泰勝寺には歴代住職の墓地の傍に、宮本武蔵の供養塔といわれる五輪搭がある。

▼宮本武蔵と泰勝寺(郷土史家・鈴木喬先生)
 泰勝寺というのは細川家の菩提寺ですよね。忠利公が小倉から熊本に来る時にお祖父さん(藤孝公)とお祖母さん(光壽院)とお母さん(玉子=ガラシア)、この三人をあそこに祀るんですね。それでお祖父さんの戒名である泰勝院を使って「泰勝院」と名付けました。で、お父さん(忠興公)は八代に行っているんですが、お父さんはお父さんで自分の父を祀る所を八代に作って同じく「泰勝院」と名付けるんですね。ですから「泰勝院」が二つできるわけです。その後、忠利公の方が先に亡くなるわけですが、忠興公が亡くなると、次のお殿様(光尚公)が八代の方を廃し、熊本にまとめて「泰勝寺」とするわけです。細川家にとって初代夫妻と二代目夫妻を祀った一番大事なお寺ですから、そこのお坊さんには一流のお坊さんを連れてくるわけですね。最初は沢庵禅師に来てほしかったらしいのですが、なにしろ沢庵禅師は将軍様(徳川家光公)のお声がかりなので無理ということで沢庵禅師のお弟子さん(大淵玄弘)を連れてくるんですね。そのご住職と武蔵はとても親しい。そしてそのお弟子の春山和尚とも親しくなります。まだ若いけれど利発だったから武蔵も楽しかったのでしょう。とても親しくなります。武蔵にとって泰勝寺は、殿様の菩提寺であることやご住職とその弟子とも親しかったということもあってしょっちゅう足を運んだことでしょう。ですから武蔵が死んだ時は大淵和尚に引導を渡してもらったという引導石が入口に残っています。そういうわけで武蔵と泰勝寺は深い縁があるわけですね。
▼武蔵の引導石


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