徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

チャスラフスカ そして カルパティのこと。

2014-02-04 22:20:21 | スポーツ一般
 6年後に再びやってくる東京オリンピック。どうしても1964年の東京オリンピックのことを想い出してしまう。いろんな選手のことを想い出すが、中でも特に忘れられない選手が二人いる。
 一人目はチェコ女子体操の名花、ベラ・チャスラフスカ。東京オリンピックでは三つの金メダルを獲り、その美貌と均整のとれたスタイル、優雅な雰囲気で大会の女王的な存在となった。しかし、その後の彼女の人生には想像を絶する苦難が待ち受けていた。次のメキシコ五輪を目前にした1968年6月、彼女はチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」に積極的に関わったことによってソ連の弾圧の対象となった。10月のメキシコ五輪には何とか出場でき、再び大活躍したものの、帰国した彼女は「国家の敵」としてのスポーツ界からの追放、そして社会的な抹殺という過酷な運命が待っていた。そしてそれは1989年の共産主義体制崩壊まで続いたのである。断片的に伝わってくる彼女のニュースを見聞きする度に心を傷めたものだ。どんな酷い目に会おうと、決して信念を曲げることのなかった、そして遂には復権を勝ちとったその精神力の強さに心から敬意を表したい。 
 二人目はやはり、僕自身も当時現役の水球選手だったこともあって、水球王国ハンガリーのエース カルパティだ。当時29才でおそらく現役選手としての最晩年だったと思う。このユダヤ系ハンガリー人の特筆すべき点は、身長なんと167cmで日本代表の選手たちより小さかったことである。しかし、その泳ぎのスピードとボールテクニックの素晴らしさは目を見張るものがあった。大会前の東京体育館での公開練習やテストマッチを見るために多くの大学生・高校生が日参したものだが、日本人にとって最も参考になる選手であったことは間違いない。チーム練習が終わった後、一人黙々とミドルシュートの練習を続けていた姿が忘れられない。ハンガリーチームは決勝リーグで強豪ユーゴスラビアに苦戦したが、彼の大活躍により引き分けに持ち込んだことが結局優勝につながった。カルパティは、4回オリンピックに出場し、金メダル3回、銅メダル1回の成績を残した。現役引退後は1976年のモントリオール・オリンピックではハンガリーのコーチとして金メダルを獲得した。国際水泳殿堂入りも果たしている。



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