海達公子を世に出したキーマンの一人が、童謡作家であり児童文学者でもあった与田準一である。与田は福岡県瀬高町の出身で児童文芸誌「赤い鳥」を通じて公子の父、貴文(松一)と知り合い、住まいも近かったことから知己の間柄となった。その後、北原白秋の助手となった与田は公子と白秋をつなぐパイプ役もはたした。
その与田の息子、準介は橋本淳というペンネームで、グループサウンズはなやかなりし1960年代から数々のヒット曲の作詞家として有名である。
橋本淳のヒット曲のうち代表的なものをピックアップしてみた。
【橋本淳 作詞の主なヒット曲】
【その他】
亜麻色の髪の乙女(作曲:すぎやまこういち)
ブルー・シャトウ(作曲:井上忠夫)
カナダからの手紙(作曲:平尾昌晃)
シーサイド・バウンド(作曲:すぎやまこういち)etc.
その与田の息子、準介は橋本淳というペンネームで、グループサウンズはなやかなりし1960年代から数々のヒット曲の作詞家として有名である。
橋本淳のヒット曲のうち代表的なものをピックアップしてみた。
【橋本淳 作詞の主なヒット曲】
ブルー・ライト・ヨコハマ(作曲:筒美京平)
【その他】
亜麻色の髪の乙女(作曲:すぎやまこういち)
ブルー・シャトウ(作曲:井上忠夫)
カナダからの手紙(作曲:平尾昌晃)
シーサイド・バウンド(作曲:すぎやまこういち)etc.