今日は「こうのとりのゆりかご」で全国にその名を知られるようになった慈恵病院の付近まで散歩した。ゆりかごの運用が始まって9ヶ月が経過した。熊本市は昨年9月から12月までの運用状況の検証結果を「問題なし」と発表した。当たり前だろ!受け入れる病院側は安全確保や法的な問題には相当神経を使っているはずだ。それよりも慈恵病院がゆりかごを始める際、異論を唱えていた政治家たちよ!お前らは子捨てが無くなるような活動を何かやったか!そんな活動は見たことも聞いたこともない。あるべき姿を語るだけなら単なる評論家に過ぎない!「不快だ!」なんて何の解決にもならない駄弁を弄していた首相はいつのまにかどっかへトンズラしやがった。相変わらず後を絶たない子捨てや幼児虐待のニュースを見聞きする度に政治の無策無能を感じてならない。
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「子宝」という言葉。
子どもは宝です。
産み育てるのには、お金もいるし、苦労もある。
だけど、その何倍もの楽しさや喜びを与えてくれる。
それでも、様々な理由で子どもを育てられない親がいるのなら、「こうのとりのゆりかご」大賛成です。
一見、捨てられたと思われがちですが、
親になる覚悟ができていない親に育てられるのなら、
子どもにとってはそれは地獄でしかないのですから。
でも、そこにわが子をゆだねる前に、もう一度考え直してほしいですね。
ほんとうに後悔しませんか?
その反面、不妊で悩む夫婦がとても多いです。
仕事柄、その人たちと接する機会が多いのですが・・・
欲しいところにはなかなかできず、
いらないところに簡単にできる。
この矛盾に、何とかならないかと思うこともあります。
だけど、ある人が言っています。
「世の中の出来事は、すべて必要必然」
思い通りに行かないことや、予想外の出来事、など、人生にはいろんなことがあります。
「どうして、私だけ・・・」
と悲観するよりも、必要必然ととらえ、何をすべきかを考えることが、つきをよぶ生き方だと。
そして、人間だからそれができるんだと。
「こうのとりのゆりかご」が不要となる世の中を切望します。
「こうのとりのゆりかご」なんていうものがあること自体がおかしいということは、みんな分かっているんです。しかし、現実に子捨てがある以上、その不幸な子どもたちの命を救うことは何ものにも優先されるべきです。国民の生命財産を守るのが政治の最も基本的な役割であるとするならば、未来を担う子どもたちの命を守るのは中でも最も優先すべきことだと考えます。
「こうのとりのゆりかご」というネーミングの趣旨はわかりませんが、私の推測ですが、あくまでも子どもたちの目線で考えたのだと思います。こうのとりのハッピーなイメージを使いたかったのでしょうね。