徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

名店と女将

2024-01-06 22:50:24 | 歴史
 3年ほど前、フォローさせていただいているブログ「水前寺古文書の会」さんの「明治42年頃の熊本の遊びどころ」という記事の「料理屋 附 待合」の部には、当時の人気店が23店舗ほど紹介されていて、その中になんと、今のわが家の隣りに「一休」という料理屋があったことに驚いたことを書いたことがある。
▼「水前寺古文書の会」さんの記事内容 
 一 休  京町2丁目132番地 電話158番 女将 森しげ子
 開業日猶浅しと雖も、眺望の絶佳なると、土地の閑静なると、包丁の美なるとを以て次第に盛名を博せり。地は京町の高台に在るを以て望界甚だ広く、居ながらにして遠くはあその噴火より近くは竜田の翠色坪井の万甕を眸裏に収め、眺望の佳なる此の楼に及ぶものなし。女将は西券でならした芸娼お繁といふ女宰相なり。得意料理は木の芽田楽。

 わが家の旧番地は「京町2丁目131番地」。つまりお隣さんというわけだ。この料理屋のことをくわしく知りたいと思い、いろいろ手を尽して調べたのだが、いかんせん115年も前のこと。知っている人はもちろん、書かれた史料も見つからない。47年前に他界した祖母は何か聞いていたかもしれないが、つれあいを亡くした祖母が小学生の父と叔父を連れて今の家に越してきたのは大正時代の終わり頃。料理屋のあとにはYさんという地主さんが既に「八景園」という茶店を出していたらしい。
 この料理屋「一休」の女将は西券でならした芸娼お繁とあるが、西券というのは二本木遊郭内にあった西券番のことで、「明治42年頃の熊本の遊びどころ」の中に次のように紹介されている。

 この券番は芸妓の線香所又は集会所といふを当れりとす。即ち芸妓一同の申し合せを以て組織せるものにして、別に営業主なるものなし、此券番に於て寧ろ芸妓が主にして券番は従たるなり。同券は前にも記せる如く、歴史の古きと、名妓と美姫とに富むを以て毎夜箱切れの有様なりといふ。

 つまり、芸妓たちが主体的に運営していた券番で、才色兼備の芸妓が多かったようでお繁もその中の一人だったのだろう。



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