徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

松囃子(まつばやし)のはなし。

2021-01-06 14:43:21 | 日本文化
 昨日やっと初詣に行く。まずはわが家の氏神である藤崎八旛宮へ。能舞台で松囃子が始まる午後1時の30分前に到着し、参拝を先に済ませる。藤崎八旛宮の松囃子は金春流と喜多流による舞囃子が行われる。30名ほどの観客が見守る中、神職による神事の後、金春流から先に舞台に上がる。かつて藤崎八旛宮に奉仕した金春流桜間家をリスペクトした慣わしなのだろう。舞囃子というのは一曲のうち、舞の見せどころ、囃子の聴かせどころを抜粋して演じるもので、演者は面、装束を着けず、紋付袴姿で舞う。普段の能公演でも舞囃子は行われる。昨日は「弓八幡」など4曲が披露された。
 ところで「松囃子」とはいったい何ぞや?というと、goo辞書には次のように説明されている。

1)室町時代に盛行した初春の祝福芸。唱門師 (しょうもんじ) などの専業芸人のほか、村人・町人・侍
  などが、幕府や諸邸を回って種々の芸能を演じ、祝い言を述べたもの。現在も民俗芸能として九州
  に残る。
2)江戸時代、正月2日(のち3日)の夜、幕府で諸侯を殿中に召して行った謡初 (うたいぞ) めの儀式。
  町家もこれに倣った。

 しかし、日本各地で行われる松囃子と称する行事の態様はさまざまのようだ。
 例えば、同じく国の重要無形民俗文化財に指定されている「菊池の松囃子」と「博多松囃子」ではかなり様子が違う。大きく分けると「能・狂言系」と「中世の風流系」に分かれるという。
 古より日本人にとって不老長寿の象徴でもあった「松」は人々の崇敬を集めてきた。松は神の依代となり、祭祀において重要な意味を持った。一方「はやし」について、日本民俗学の巨人・折口信夫はその著書「万葉集研究」の中で次のように述べている。

祇園林・松囃子・林田楽などのはやしが、皆山の木を伐つて、それを中心にした、祭礼・神事の牽き物(ひきもの)であつた。 山・山車(だし)の様な姿である。 この牽き物にしたがう人々のする楽舞がすべてはやしと言はれたのだ。


藤崎八旛宮松囃子祭(演者:喜多流能楽師 狩野了一さん)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。