徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

瀬高町のはなし。

2015-12-10 19:47:50 | 歴史
 今日、前川清の「タビ好キ」(KBC九州朝日)という番組で、福岡県みやま市の瀬高町を巡っていた。2007年の市町村合併でみやま市となったが、瀬高町はかつて薩摩街道の宿場町として栄えた町。
 僕は小さい頃から、この町の名前だけはよく知っていた。それは、玉名の母の生家に行く時、乗り降りする国鉄(現JR)の駅は「高瀬駅」。わりと近いところに「瀬高」というまぎらわしい名前の駅があると、よく大人たちの話題になっていたものだ。瀬高町の方では旧名「矢部川駅」から「瀬高駅」に駅名を変えたかったらしいが、36㎞しか離れていないところに「高瀬駅」があるのでやむなく「瀬高町駅」と名乗っていた。昭和31年4月に、「高瀬駅」が「玉名駅」に変わったので、同時に晴れて「瀬高駅」を名乗ったという。
 瀬高町は旧柳河藩。わが家の目と鼻の先には、かつて加藤清正が柳河藩の家臣たちを住まわせた柳川丁があり、もともと瀬高には親近感を抱いているが、2009年に、瀬高町出身で、日本の児童文学界に偉大な足跡を残した與田準一の記念館が、みやま市の市立図書館内にオープンした時は、「評伝 海達公子」の著者・規工川佑輔先生の代理で開館式典に出席したり、今年の1月には、日本で唯一、瀬高町に伝わる「幸若舞」を初めて大江天満神社で観たりと、瀬高町との縁はこれからも続きそうである。

▼輿田準一記念館



▼大江幸若舞(※写真をクリックすると動画を再生します)


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