海のヒスイロード実験航海実験で最大の難所としていたのは、対馬海流が狭い津軽海峡を流れる竜飛岬てある。
旅も後半に入り、竜飛岬が近づいてきて、緊張感が高まってきた。
十三湖で出逢った青森のシーカヤッカーは、竜飛岬の展望台から見下ろすと、凪の日でも白浪が立って渦が巻いているので、あんな恐ろしい所は絶対に行きたくない!と言っていた。
竜飛岬越えのベース基地は、15キロ手前の小泊港。
小泊の漁師達に、竜飛岬周辺の海の情報を聞いてまわり、北西の風の時は時化るので絶対に駄目であり、南西風の時なら下げ潮でウネリも無いとアドバイスを貰う。
折しも巨大台風8号が沖縄に被害をもたらしていた時である。
晴天続きの青森も曇り勝ちになってきた。
しかし漁師の話では、今の曇り空は梅雨前線停滞の影響であり、台風とは関係ねぇ、竜飛岬を渡るなら今だぞ!と励まされる。
漁師達に、十三湖で聞いた竜飛岬の渦の事を尋ねたら、渦は年中巻いているが、磯伝いは静かで台風が九州に上陸する迄は凪が続くだろうとの事。
小泊の役場の屋上には、イカ釣漁船が乗ってる。
ここは津軽海峡の緊急避難港であり、役場には船員の為の各種申請窓口があった。
小泊漁港の前には、船具や船に必要な食品、酒タバコ、衣類等が置かれている船具店がある。
青森の漁師が愛用する、間切(マキリ)が売っていたので購入。
間切は、アイヌの鉈であるタシロから派生した片刃平造りの万能ナイフである。
青森の漁師は、イカ切りとも呼び漁船に積込んでいる。
柄が大き目なので、海に落としても沈まないのだ。
中央の内反りのある刃物は、ロープカッター。
竜飛岬を越える数日前から気が昂ぶって眠れなくなつた。
前日は、銭湯で髭や髪を手入れして、不要品を糸魚川に送ったり、処分して身辺整理をした。
シーカヤックに積んでいた20リットル近い水も3分の1程度に減らして軽量化。
少しでも軽くして、一気に竜飛岬を越えるつもりである。
竜飛岬越えの朝、興奮して2時に目覚める。
朝早いほど凪だとのアドバイスだったので、5時に出発。
漁師のアドバイス通り、ウネリも無く下げ潮でしかも斜め後ろからの追風で快走。
二ヶ月の旅の間、こんなに良いコンディションは初めてで、あつという間に竜飛岬に到達。
しかし岬の2キロ手前から向風が吹き出した。
岬の反対側から吹き込む風なので、不吉な予感。
そして岬に到着した途端に東の出し風、つまり山瀬(ヤマセ)に変わった。
山瀬が吹き出したら、大至急岸を目指すのが鉄則。
これ迄、山瀬では散々な目にあっているのだ。
竜飛岬の西側の入江にたどり着く頃には、風速10メートル越えのブローとなり、命からがら上陸。
竜飛岬の西側の入江。山瀬が吹くと急激に空が暗くなり、気温が下がったので岩陰で休憩。
この入江のお陰で命拾いした。
竜飛岬の展望台に登って岬の反対側を偵察。
確かに聞いて通り渦が巻いていたが、漁師の言うように磯伝いはウネリも無いし、風も吹いていないようなので一安心。
2時間程で山瀬が収まってきたので、遂に竜飛岬越えである。
とにかく磯伝い、磯伝いと言い聞かせて岬に近づき、怖気づく気持ちを払拭する為に、ワッショイ!ワッショイ!と声を出す。
ケンカ祭りの掛け声だ。
どんな困難な時でも、この掛け声を出すと祭り仲間と共に在るのという心強さがある。
先祖代々、この掛け声で神輿を担ぎ、走らせてきたのだ。
先祖と共に在る…そう実感出来る。
下げ潮がシーカヤックのケツを押してくれた。
仲間や先祖が力を貸してくれた。
そして左側50メートルに渦を見ながら、竜飛岬を越えた!
最後の岩場を回って安全圏に入った時、竜飛岬の神にお通し下さいまして有難うございました!。と心から礼を言った。
竜飛岬を越えた時、不意に男泣き。
最大の難所を越えたのだ。
個人の力ではなく、先祖や仲間と越えたのだ。
シーカヤック経験1ヶ月の初心者が、神の加護の元、絶好のコンディションで越える事が出来たのだ。
こんな経験を積むと、無神論者では有り得なくなる。
今現在、私は陸奥湾に入り、平舘の「ペンションだいば」さんで休養を取っている。
まだ気が昂ぶって熟睡出来ないでいる。
最終目的地は青森市の三内丸山遺跡。
あとは静かな陸奥湾内を南下して、沖館川を3キロ遡上すれば良いだけなので、冒険は終った。
残り数日で旅が終る。
糸魚川の友人達が、7月19日に三内丸山遺跡まで出迎えに来ると連絡があったので、ゴール予定日とした。
別の友人が朝日新聞と東奥日報さんを紹介してくれて、取材も決まっている。
心地良い脱力感、そして寂寥感に浸っている。
居心地のよさで、平舘で三日間もお世話になった「ペンションだいば」さんの看板娘、キリちやん。
天真爛漫な青森美人で癒やされました(^^ゞ。
一階がレストランで、何を注文しても、納得の味とボリュームで、普通の生活を満喫した。
ペンションだいばの晩ごはんは、鯨、鯛、ヒラメ、アンコウ、イカ、ムツ、ホタテなど八種類もの地元産魚介類が入っていて、他の宿泊客も豪華さにビックリしていた。
海まで歩いて三分の位置にあるペンションだいばの部屋からは、平舘灯台が見える。
部屋に居ると、潮騒やウミネコの鳴き声が聞こえ、とても居心地がいいのだ。
ペンションだいばからは、下北半島が手の届くような位置から見える。
竜飛岬を越えて疲れたシーカヤッカーにとつて、平舘灯台は静かな陸奥湾内に入った事を教えてくれるサイン。
灯台の後に見えるのがペンションだいば。
灯台の前の浜に上陸すれば、歩いて三分でペンションだいばというアクセスも最高である。
これからシーカヤッカーの憩いの宿になるのではないだろうか?
旅も後半に入り、竜飛岬が近づいてきて、緊張感が高まってきた。
十三湖で出逢った青森のシーカヤッカーは、竜飛岬の展望台から見下ろすと、凪の日でも白浪が立って渦が巻いているので、あんな恐ろしい所は絶対に行きたくない!と言っていた。
竜飛岬越えのベース基地は、15キロ手前の小泊港。
小泊の漁師達に、竜飛岬周辺の海の情報を聞いてまわり、北西の風の時は時化るので絶対に駄目であり、南西風の時なら下げ潮でウネリも無いとアドバイスを貰う。
折しも巨大台風8号が沖縄に被害をもたらしていた時である。
晴天続きの青森も曇り勝ちになってきた。
しかし漁師の話では、今の曇り空は梅雨前線停滞の影響であり、台風とは関係ねぇ、竜飛岬を渡るなら今だぞ!と励まされる。
漁師達に、十三湖で聞いた竜飛岬の渦の事を尋ねたら、渦は年中巻いているが、磯伝いは静かで台風が九州に上陸する迄は凪が続くだろうとの事。
小泊の役場の屋上には、イカ釣漁船が乗ってる。
ここは津軽海峡の緊急避難港であり、役場には船員の為の各種申請窓口があった。
小泊漁港の前には、船具や船に必要な食品、酒タバコ、衣類等が置かれている船具店がある。
青森の漁師が愛用する、間切(マキリ)が売っていたので購入。
間切は、アイヌの鉈であるタシロから派生した片刃平造りの万能ナイフである。
青森の漁師は、イカ切りとも呼び漁船に積込んでいる。
柄が大き目なので、海に落としても沈まないのだ。
中央の内反りのある刃物は、ロープカッター。
竜飛岬を越える数日前から気が昂ぶって眠れなくなつた。
前日は、銭湯で髭や髪を手入れして、不要品を糸魚川に送ったり、処分して身辺整理をした。
シーカヤックに積んでいた20リットル近い水も3分の1程度に減らして軽量化。
少しでも軽くして、一気に竜飛岬を越えるつもりである。
竜飛岬越えの朝、興奮して2時に目覚める。
朝早いほど凪だとのアドバイスだったので、5時に出発。
漁師のアドバイス通り、ウネリも無く下げ潮でしかも斜め後ろからの追風で快走。
二ヶ月の旅の間、こんなに良いコンディションは初めてで、あつという間に竜飛岬に到達。
しかし岬の2キロ手前から向風が吹き出した。
岬の反対側から吹き込む風なので、不吉な予感。
そして岬に到着した途端に東の出し風、つまり山瀬(ヤマセ)に変わった。
山瀬が吹き出したら、大至急岸を目指すのが鉄則。
これ迄、山瀬では散々な目にあっているのだ。
竜飛岬の西側の入江にたどり着く頃には、風速10メートル越えのブローとなり、命からがら上陸。
竜飛岬の西側の入江。山瀬が吹くと急激に空が暗くなり、気温が下がったので岩陰で休憩。
この入江のお陰で命拾いした。
竜飛岬の展望台に登って岬の反対側を偵察。
確かに聞いて通り渦が巻いていたが、漁師の言うように磯伝いはウネリも無いし、風も吹いていないようなので一安心。
2時間程で山瀬が収まってきたので、遂に竜飛岬越えである。
とにかく磯伝い、磯伝いと言い聞かせて岬に近づき、怖気づく気持ちを払拭する為に、ワッショイ!ワッショイ!と声を出す。
ケンカ祭りの掛け声だ。
どんな困難な時でも、この掛け声を出すと祭り仲間と共に在るのという心強さがある。
先祖代々、この掛け声で神輿を担ぎ、走らせてきたのだ。
先祖と共に在る…そう実感出来る。
下げ潮がシーカヤックのケツを押してくれた。
仲間や先祖が力を貸してくれた。
そして左側50メートルに渦を見ながら、竜飛岬を越えた!
最後の岩場を回って安全圏に入った時、竜飛岬の神にお通し下さいまして有難うございました!。と心から礼を言った。
竜飛岬を越えた時、不意に男泣き。
最大の難所を越えたのだ。
個人の力ではなく、先祖や仲間と越えたのだ。
シーカヤック経験1ヶ月の初心者が、神の加護の元、絶好のコンディションで越える事が出来たのだ。
こんな経験を積むと、無神論者では有り得なくなる。
今現在、私は陸奥湾に入り、平舘の「ペンションだいば」さんで休養を取っている。
まだ気が昂ぶって熟睡出来ないでいる。
最終目的地は青森市の三内丸山遺跡。
あとは静かな陸奥湾内を南下して、沖館川を3キロ遡上すれば良いだけなので、冒険は終った。
残り数日で旅が終る。
糸魚川の友人達が、7月19日に三内丸山遺跡まで出迎えに来ると連絡があったので、ゴール予定日とした。
別の友人が朝日新聞と東奥日報さんを紹介してくれて、取材も決まっている。
心地良い脱力感、そして寂寥感に浸っている。
居心地のよさで、平舘で三日間もお世話になった「ペンションだいば」さんの看板娘、キリちやん。
天真爛漫な青森美人で癒やされました(^^ゞ。
一階がレストランで、何を注文しても、納得の味とボリュームで、普通の生活を満喫した。
ペンションだいばの晩ごはんは、鯨、鯛、ヒラメ、アンコウ、イカ、ムツ、ホタテなど八種類もの地元産魚介類が入っていて、他の宿泊客も豪華さにビックリしていた。
海まで歩いて三分の位置にあるペンションだいばの部屋からは、平舘灯台が見える。
部屋に居ると、潮騒やウミネコの鳴き声が聞こえ、とても居心地がいいのだ。
ペンションだいばからは、下北半島が手の届くような位置から見える。
竜飛岬を越えて疲れたシーカヤッカーにとつて、平舘灯台は静かな陸奥湾内に入った事を教えてくれるサイン。
灯台の後に見えるのがペンションだいば。
灯台の前の浜に上陸すれば、歩いて三分でペンションだいばというアクセスも最高である。
これからシーカヤッカーの憩いの宿になるのではないだろうか?