NHKの「チコちゃんに叱られる」に次いで、「日本人の名前」という番組の中で北海道の命名者として松浦武四郎が紹介されていた。
来春放送予定の武四郎ドラマの宣伝の意味もあるのか、昨年からNHKは頻繁に取り上げている。
江戸時代に和人から蝦夷地と呼ばれていたアイヌモシリ(人の大地)を、アイヌ民族に断りもなく勝手に北海道と名付けたという批判が一部にはあるようだが、幕末時から南下政策を取るロシアや植民地拡大を図る欧米に対して、明治政府は蝦夷地を日本の領土であるという国際的な宣言が必要だったという歴史の流れも理解して欲しい。
武四郎が蝦夷地探検を志したのも、ペリー来航以前から蝦夷地を虎視眈々と狙い、一部上陸までしていたロシアに対しての憂国の想いから。
彼は旅行家、紀行文作家、民俗学者であると共に尊王攘夷の志士でもあった訳で、水戸藩関係者や吉田松陰を始めとした攘夷派志士との交流が深く、まさに幕末動乱の渦中にいた。
因みに松陰とは一つの布団を一緒に被って床に入り、一晩、この国の行く末を熱く語り合った仲だった。
略奪、収奪、凌辱を受けてアイヌ民族の人口も減り続ける一方で、その現実を出版により世間に訴え続け、松前藩から命を狙われてもいた。
北海道(北加伊道)は日本語にアイヌ語を合わせた武四郎の造語で、「北に生まれし者の土地」というアイヌへのリスペクトを籠めた名前。
明治期になっても既得利権を引き続き守っていた場所請負商人達は、北海道行政庁に賄賂による懐柔策をとり、アイヌ民族への扱いは変わらなかった。
北海道行政のナンバー3という役職に任命され、官位まで受けていた武四郎は潔く官を辞し、それまで自称していた北海道人という号を馬角斉バカクサイ)に変え、一切の政治活動をやめて好事家として生きてゆく。
その最晩年に作ったのが大首飾り。
正義感が強く清廉潔白、そしてちょっと癇癪持ちの武四郎は政治に向かない根っからの旅人、自由人だった。