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失敗を学ばず身内に甘い日本の組織・・・半藤一利著「ノモンハンの夏」

2022年01月24日 07時30分39秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
東京オリンピックの支出が、当初予算の倍になる見込み、関連施設の維持費に年間26億円かかる大赤字そうだが、見通しの甘さ、あるいは既成事実さえ作ってしまえば後は親方日の丸という考えは、日本の組織のお家芸か・・・。
歴史の授業ではサラッとしか習わない明治から昭和までの近代史。私の先生は司馬遼太郎で物語の概論を頭に入れ、半藤一利と戦争当事者の戦記で史実の確認というパターンが多い。
 
軍事的に重要でもない満蒙国境の草原での示威偵察が、4カ月に渡る大規模な戦闘に発展して、2万人の死傷者を出した「ノモンハン事件」は、「ロスケなど我が皇軍の精鋭をもってすれば鎧袖一触」と判断した、エリート軍人たちの功名心と希望的観測が発端。
 
日露戦争の敗因を研究していたソ連軍は、航空機支援と戦車と大砲を配備した最新式の「縦深陣地」を構築。
 
対する日本陸軍は、日露戦争で近代装備のロシアを破った肉弾攻撃の成功体験から、明治期とさして変わらない兵器と兵站計画、敢闘精神が最大の武器のままであった。
 
補給がないので飲まず食わずで塹壕に身を潜め、小銃とサイダー瓶にガソリンを入れて作った火焔瓶で戦車を相手に戦争させられた日本兵。
 
日本軍も小さな戦車を配備していたが、その砲弾をソ連軍戦車はピンポン玉のように跳ね返した。逆にソ連軍戦車の砲弾は、日本軍戦車の装甲を簡単に突き破った。日本軍が大砲を1発撃つと、10倍が撃ち返されてきた。この大人と子供の兵力差のまま太平洋戦争を戦っていた。
 
司馬遼太郎は「日本兵が殺戮されていった」とまで書いているが、兵隊の命と引き換えの肉弾攻撃に、ソ連軍も多大な犠牲を出していたようだ。
作戦の失敗は現場指揮官の責任とされ、全滅するまで戦うか、自決を強要された。
 
内閣の審議も大元帥(天皇)の裁可もなく、関東軍(満州方面の陸軍)が独断専行で始めたノモンハン事件は、統帥権干犯という立派な犯罪となり、外国の軍隊なら死刑か終身刑だそう。それでも首謀者の辻政信参謀たちは、解任されてもすぐに栄転。
 
そして辻参謀は、太平洋戦争で同じ失敗を繰り返し続け、バンコクで終戦を迎え、東京裁判から逃亡して海外に潜伏。3年後に帰国して後は文筆家を経て自民党の国会議員になった。
 
敗戦の混乱期に辻個人だけでGHQの眼を逃れて海外逃亡できるものではなく、国会議員になれる訳でもないから、辻がGHQに捕まると不都合な人物が手引きしたのだろう。
 
5万9千名の兵力を投入して2万人も死傷者を出した作戦の規模からいえば立派な戦争なのだが、ノモンハン事件と言い換えて穏便に済ませる欺瞞。失敗に学ばず、身内をかばう改竄と隠ぺい体質の組織、それが「アジア解放の皇軍」の内実。
 
思想家の内田樹が、コロナ禍での東京オリンピックをインパール戦に例えていたが、インパール戦だけでなく、日本の軍隊は日露戦争から太平洋戦争まで同じ失敗を繰り返していたし、原発事故にも同じ体質を感じる。
 
 
 

 



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