弥生時代のガラス製勾玉のレプリカを作らなければならなくなった。
弥生時代には輸入ガラス製品をリメイクして勾玉が作られるようになり、どうやらヒスイより格上と考えられていたようだ。
魏志倭人伝に記述のある邪馬台国の朝貢品に「青大勾珠二枚」があり、これはヒスイ勾玉かガラス勾玉か考古学者の間でも見解が分かれているようだ。
島根地方の人々は青大勾珠とは出雲で作られた出雲石(青碧玉)の勾玉と推測している、というか断言しちゃっているようだが(笑)
弥生時代のガラス製勾玉出土例
実物そっくりに作るならガラスの塊から削り出してサンドブラスト仕上げするだけでいいのだけど、カタチだけそっくりというのは気に入らず、弥生時代のガラス勾玉と同じく片面だけの解放鋳型で鋳造したく、製法を調べている。
春日井市赤井手遺跡出土の石製勾玉鋳型は長石・石英斑岩製との事。ネット情報では砂岩製もあるとあったが、考古学者に問合せしても砂岩鋳型は確認できていない。
解放鋳型だと融けたガラスの表面張力で表面が膨れ、裏面の曲面の違うアンシンメトリックな造形になるそうで、予定調和的な造形にならない所が面白い。
こちらは土製、つまり素焼き粘土で作った鋳型で、縄文土器作りに比べたら実に簡単。
鋳型出土例には石製や土器製があるようだが、加工が容易で耐熱性のある滑石や耐熱石膏なら勾玉作りの体験会に使えるのではないか?
素人考えだと加工が容易で耐熱性もある滑石が鋳型に向いていそうだが、鋳型出土例のある地域の学芸員さんに詳細を問い合わせたりした結果、土製と石英斑岩以外の勾玉鋳型の出土例はないそうだ。
初期の銅鐸鋳型には滑石製もあったそうだが、やがて使われなくなったらしい。
滑石鋳型は何度も繰り返し使用すると、熱による膨張収縮で鋳型が壊れてしまうのかも?
壊れていない石製鋳型や土製鋳型が出土しているという事は繰り返し使用に耐えたという事で、鋳込んだガラスを外すためには離型剤が必要ではないか?
だとすると離型剤は何を使っていたのか?石紛の水溶液か?
これらは謎。
面倒な確定申告さえ終わったら本格始動!