goo blog サービス終了のお知らせ 

縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

最古級の勾玉は糸魚川の大角地遺跡だって~!・・・「大勾玉展」

2022年09月09日 08時44分10秒 | ぬなかわヒスイ工房
大田区立郷土博物館の「大勾玉展」は、噂にたがわぬ濃い展示だった。
糸魚川からは長者ヶ原遺跡の「牙状勾玉」、後生山遺跡の「丁子頭勾玉」、田伏遺跡の「滑石製勾玉」の他、7,000年前の最古級の勾玉として大角地遺跡の「滑石製勾玉」が展示されていた。
 
ちなみに奴奈川神社と隣接した田伏遺跡は、天津神社と同じく祭祀と玉造り遺跡がセットになった遺跡なので、ヌナカワ姫伝説との関連性が取り沙汰されている遺跡。
そしてなんと、拙宅地下の笛吹田遺跡の「滑石製勾玉」と「ヒスイ原石」が展示されていてムハッ~と興奮!
 
すべて長者ヶ原遺跡考古館に展示されている勾玉でも、大角地遺跡の「滑石製勾玉」が、「7,000年前の最古級の勾玉」として説明書きがされていないのはもったいない。
 
やはり1,500点もの展示された勾玉の中では、唐津の遺跡の勾玉が際立って高品質。
長野県の古墳の勾玉はバレル研磨の後にフェルトバフを掛けたような見事な光沢で、どうやって研磨したのだろう?
 
残念ながら図録本はいまもって出版が間に合わずに購入できなかったし、パンフレットもカラー印刷ではなく白黒コピー(笑)担当学芸員さんが孤軍奮闘しているのか?予算も足りなかったのか?それでも一見の価値ある企画展。
 
みなさん応援のためにも観に行ってあげてあげてくださ~い!わたしも今日は二度目の見学。愉しいよう。
 
 
 
 

世に出て欲しい「稚児ケ池」・・・ヌナカワ姫伝説

2022年09月07日 07時51分49秒 | ぬなかわ姫

ヌナカワ姫伝説が最も濃密で、かつ具体的なのが、「奴奈川姫がお隠れになった」とされる「稚児ケ池」だが、未だかってマスコミで紹介されたことはないのではないだろうか?

ヌナカワ姫伝説を追う某マスコミ記者の取材をうけ稚児ケ池を案内したら、記者の琴線に触れたらしく、なんども礼を言われた。
 
また伝説は県内、県外を問わずかなり詳しく調べ、人にも会って聞いていたようだが、考古学的な見地から伝説の整合性を検証する私の手法は初めてだと、面白がっていた。
 
補足資料として、市内の史跡・遺跡をプロットした「eまっぷいといがわ」を使えば、海側から稚児ケ池のある京ヶ峰の丘を遥拝するかのように「笛吹田遺跡」「姫御前遺跡」「竹花遺跡」「南押上遺跡」と、弥生~古墳時代の遺跡群が半径2キロ圏内に密集していることが確認できることも教えた。
 
下記URLは「eまっぷいといがわ」の稚児ケ池の位置で、「奴奈川神社跡」とある
https://itoigawa.geogeo.jp/maps?mode=theme&lid=4&mid=12
 
 
ちなみに「eまっぷいといがわ」での稚児ケ池は、天津神社社伝に「奴奈川姫と眷属の寓居あり」とある通りに「奴奈川神社跡」、「三十三塚あり」とされる位置には「山崎三十三塚・堂屋敷」と記述されている。
 
稚児ケ池にまつわるヌナカワ姫伝説は、出雲勢力に能登に連れていかれたヌナカワ姫が逃げ帰って「お隠れになった・潜んでいた茅芦原に火を放たれ、お姿が見えなくなった」までの悲劇的な伝説だから、マスコミ受けしないし、官民挙げて宣伝している「古代のラブロマンス」と整合性がつかないから、報道されることがなかったのだと思う。
 
70年代に「青海町史」を編纂した青木重孝先生は、姫川左岸の現在の須沢に位置する「大角口遺跡」が、ヌナカワ姫がお住まいになった場所と推定されたようだが、その時期には拙宅地下に位置し、玉造り遺構と方形周溝墓をもつ笛吹田遺跡は発掘されておらず、現在ならどう推測されるか聞いてみたいものだ。
 
笛吹田遺跡から300m北にある、「姫のおんまえ」という名をもつ姫御前遺跡名も意味深長。
 
願わくば「稚児ケ池」が世に出て欲しい。
 
ここは我が寺町区の人々が、江戸時代末~明治の頃くらいまで「稚児舞い」を奉納していた、ヌナカワ姫信仰の痕跡の地なのだ。
 
 
 

DIY塗り壁でひび割れを軽減させるコツ・・・ぬなかわヒスイ工房改装プロジェクト

2022年09月04日 07時18分28秒 | ぬなかわヒスイ工房
塗り壁の石膏ボード下地が完成した夕方に、後輩から瓶コーラの差し入れ。瓶コーラなんて何年ぶりだろう。
予算の関係で珪藻土ではなく、塗り壁DIY希望の友人たちの体験会も兼ねて、安くて施工が楽なサンゴの化石由来の壁材を来週火曜日に塗ることになった。興味ある人は遊びにきてくださいな。
壁紙、塗り壁、塗装と仕上げに問わず、またプロの施工であっても、後から開口部の角に縦や横、斜めのクラックが出ることが多いのは、建物が乾燥収縮などで動き、出隅に応力が集中することが原因で、これは致し方ない。
 
しかし壁下地と出隅を一致させないことで、クラック発生要因を軽減させることはできる。
でも開口部の出隅を欠きこんで壁下地を張る作業が面倒なのだ。
 
とくに次がない私の場合は、端材を転用してゴミを出さないようにしているので、やたらと時間がかかる。
おかげで石膏ボードゴミは極端に少なかった。本当はもっと大きく欠き込みをした方がいいのだけど、ゴミになる石膏ボードが多くなるからカンベンしてください( ´艸`)
 
塗り壁が乾燥したら、荷物を搬入できるので、グンとギャラリーっぽくなると思う。工房の方は収納棚を作って荷物を入れ始めたので、8畳間と玄関を占領していた荷物が徐々に片付きつつある。
 
 
 
 

 


モノとワタシの共同作業・・・長者ヶ原遺跡の牙状勾玉にみるモノつくりの原点

2022年09月02日 07時21分56秒 | ぬなかわヒスイ工房
長者ヶ原遺跡出土の牙状勾玉(きばじょうまがたま)は、縄文前期出土の頭部と尾部に刻みがある、あまり類例のない形状の滑石製の勾玉。
実物の牙状勾玉は滑石製だが、私はヒスイやネフライトで作っている
 
頭部に刻みがある勾玉といえば、弥生時代以降に出現する丁子頭勾玉(ちょうじがしらまがたま)があるが、牙状勾玉から4,000年くらいの断絶期があるので、牙状勾玉はプロト丁子頭勾玉とは言えない、と思う。
 
ではなんでこの形状???
ヒスイ加工の経験からいって、原石を小割した際に偶然できたギザギザを、作者が面白がって活かした結果、この形状になった可能性を感じている。
オレンジが混じった三ケ月形のペンダントは、原石屋さんが三ケ月をモチーフにしたペンダント作りをしようとして、歪になったのでリメイクできないか?と託されたもの。
ギザギザを強調して整え、石目に線刻して三ケ月を鳥状に変更したペンダントに仕立てて渡したら、非売品にする!と喜んでお店に展示されることになった。
 
最初にデザインを決めて作ることもあれば、原石の形状を活かして手遊びした結果にできる作品もある。実のところ、後者がモノ作りの原点では?と、私は考えている。
 
「大勾玉展」で上京する機会に、以前からお逢いしたいと思っていた縄文モチーフの造形作家さんの工房を訪ねることになった。
 
パソコンでデザインしたり、レーザーで外形をくりぬいた量産勾玉までが売られる昨今、「最初にモノありき、モノとワタシがセッションして産み出されるデザイン」について語りあえたら幸い。