Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ポンセの「祭り(Ferial)」を聴き、西谷から二俣川まで

2007-05-25 06:55:32 | 古典~現代音楽メキシコ編
昨日は西谷から二俣川まで歩いた。
聴いた曲はマヌエル・マリア・ポンセの「Ferial」で、
CDでは「市の立つ日」と訳されているが、
「祭り」の方が内容的にいいかと思うのでこちらの訳を使う。

ポンセは、1882年生まれのメキシコの作曲家で、
「近代メキシコ音楽の父」とも呼ばれているようだ。
彼は1904年からイタリアに渡り、
ヨーロッパ各地に滞在して作曲の勉強をし、
1908年にメキシコに戻ってからは
メキシコ民族主義に目覚めていったようである。

「祭り」は1940年に書かれた15分ほどの曲で、
一般的な祭りの様子を描写した作品である。
冒頭から古いメキシコ民謡から採った旋律が流れ、
曲はその最初に現れた旋律と
そのあとから登場する別のいくつかの民謡調の旋律が、
からみあいながら、時々激しさを増し、
騒々しい祭りの様子を描写していく。
最後その騒々しい祭りの描写とともに教会の鐘の音が入る。
まさにメキシコそのものを象徴しているなあと思ったのである。

1923年の「夜の版画(Estampas nocturnas)」と、
1938年の「メキシコ点描(Instantaneas mexicanas)」という
二つの作品もあわせて聴いたので、
彼がメキシコの民族主義的な色彩を強めていく様子が、
つかめていけたような気もした。
自分とは何かというアイデンティティへの問いに
音楽家は常に答えていかなければならないだろうし、
悩み続けなければいけないのだろうなと、
つくづく思うのであった。
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火星にあった温泉とレブエルタスの「センセマーヤ」

2007-05-24 05:48:39 | 古典~現代音楽メキシコ編
火星にかつて水が存在したことを示す新しい証拠として、
二酸化ケイ素を90%も含む土があることを
NASAが21日に発表したようだ。
これほど高濃度になるためには水の存在が必要であり、
二酸化ケイ素は、マグマによって地下水が加熱され、
高温の状態になった中などに多く含まれるらしい。
このことをうけて研究者たちは、
かつて火星に温泉があった可能性を指摘している。

火山活動があったことは想像できるが、火星に温泉ねぇ。
赤道に近いグセフ・クレーターにあったということだから、
名称をつけるとしたらグセフ温泉かあ。
ツムラがこれに反応して「温泉トリビア」の中で扱っている。
このことをとりあげるところがさすがツムラであるが、
記事の内容が2004年の発表のように思え、少し誤解しそうだ。
「米航空宇宙局は無人火星探査機オポチュニティー」が、
2004年着陸した地点に、かつて「大量の水が存在していたと」
(2007年)5月21日に「発表しました。」というのがいいかな。
せっかくだから、ジョークでも「火星の温泉~グセフ温泉の湯」
なんかが入浴剤であったらおもしろいだろうな。
ただ、実際に火星にあったであろう温泉の泉質を、
再現すること自体は難しいことだろうなあ。
しかし、夢のある話である。

さて、昨日は短い距離だが、二俣川から鶴ヶ峰までを歩いた。
今日からは、中南米の管弦楽曲について触れていこうと思う。
最初はレブエルタスの「センセマーヤ」などの作品である。

レブエルタスは、1899年生まれのメキシコの作曲家である。
1917年にはアメリカに渡り、聖エドワード大学などで学び
その後メキシコに戻り1929年にはチャベスの招きで
メキシコ交響楽団の副指揮者を1936年までつとめたらしい。
そこで、彼らはメキシコの音楽の振興につとめたようだ。

「センセマーヤ」は6分ほどの短い曲で、
1937年に作曲にとりかかり、1938年3月に完成した。
ニコラス・ギランの詩に霊感を受けて作曲された。
CDの解説によると、アフリカにさかのぼる儀式で、
蛇を殺している間の儀礼的な歌を扱ったもののようだ。

「センセマーヤ」は2つの版がある。
一つは、1937年に完成した版で、
合唱と小編成の管弦楽のために書かれている。
もうひとつは1938年に完成した版で、
フル・オーケストラ用に書かれている。
一般的に演奏されるのは後者で、
1938年12月18日にメキシコ交響楽団によって初演された。
アメリカでは1945年2月26日にストコフスキーが、
ニューヨーク・フィルハーモニックを指揮し、初演した。

原始的な感じのする曲で、ブラスバンド向きのする曲でもある。
バティスがメキシコ州立交響楽団を指揮したものと、
バリオスがアグアスカリエンテス交響楽団を指揮したCD。
勢いのある演奏を聴きたい場合には前者、
曲全体のディテールをつかみたい場合には後者がいいだろう。

なお、レブエルタスは映画音楽にも取り組んでいる。
1939年に完成した「マヤ族の夜」という作品があり、
リマントールの編曲により4つの曲にまとめられたものがある。
昨日はレブエルタスの「センセマーヤ」「マヤ族の夜」と
「トッカータ」を聴いているうちに鶴ヶ峰駅についたのである。
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ホルストの「アヴェ・マリア」を聴き、横浜から星川まで

2007-05-23 05:42:00 | グスタフ・ホルストの声楽曲・合唱曲
昨日は横浜から星川まで歩く間、ホルストの合唱曲を聴く。
ホルストの特集はとりあえず、今回で終わりにするが、
今日紹介するのは「アヴェ・マリア」と4つのパートソング。
いずれも初期の作品ではあるが、魅力ある作品である。

4つのパートソングは、王立音楽院時代の
師スタンフォードの下で学んだころ書かれている。
“Winter and the birds”は、1894年に作曲されており、
歌詞はハイネの詩をテキストとしている。
“O lady,leave that silken thread”と、
“The autumn is old”は1895年に作曲された曲で、
トーマス・フードの詩をテキストとしている。
“Soft and gently”は1896年に作曲された曲で、
CDの解説によると、王立音楽院時代の学生仲間で、
いくつか歌詞を提供したフリッツ・ハートの詩によるもの。
彼は、1908年にオーストラリアに行ってしまったため、
オペラも含めた彼の作品は、イギリスでは知られていない。

作品はそれぞれ1~2分の短い曲で、聴いた印象としては、
全般的にドイツの合唱の影響が濃いように思える。

「アヴェ・マリア」は1901年に演奏された曲で、
彼の作品の中で、初めて出版された作品である。
8歳の時に亡くした母の思い出にささげる曲で、
8部からなる女声合唱がおりなす世界は、
宇宙のような広がりのある音楽を創り出している。
3分ほどの曲ではあるが、とても美しい名曲なのだ。
このような曲を聴くとやはりホルストの音楽の本質は、
合唱曲にあるのだなあをつくづく思うのである。
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ホルストの「ハマースミス」を聴き、西谷から二俣川まで

2007-05-22 05:42:04 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日は西谷から二俣川まで歩いた。
やはり、今の時期は夕方にかけ歩くのがいい。

さて、今日紹介するのはホルストの「ハマースミス」である。
ホルストの作品を取り上げると、きりがないのだが、
次回でホルストの特集をとりあえず終わりにしたい。

「ハマースミス」とはロンドンのある地区の名称である。
したがって、この曲名を「鍛冶屋」と訳すのは適切ではない。
この曲は、BBCの軍楽隊の委嘱を受けて作曲されたもので、
CDの解説によると1930年に吹奏楽版が作曲されたが、
ホルストの死後までその版は演奏されることはなく、
管弦楽版は1931年11月25日ボールトにより初演されている。

CDを色々聴いてみると、管弦楽版は演奏が難しく思える。
この作品の場合、吹奏楽版の方が一番あっているのではないか。
管弦楽版の演奏で私が所有するボールトのCDは3つある。
(1)リリタから出ている1968年に出されたもので、
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を振った演奏。
(2)1967年のライヴ録音。演奏は同じくロンドン・フィル。
(3)1963年のライヴ録音。演奏はフィルハーモニア管弦楽団。
演奏時間は、それぞれ13:40、13:49、15:02となっている。
(1)は三つの中では標準的な演奏で安心して聴ける。
(2)はスケルツォに入る前のピッコロの演奏がよくない。
(3)はスケルツォの騒々しい部分が少しおとなしいが、
ゆったりとして、こちらもなかなかいい演奏である。

曲は、前奏曲とスケルツォからなり、CDの解説書によると、
ゆったりと静かに始まる前奏曲の部分は、
テムズ川の流れを描写しているらしい。
ヴォーン・ウィリアムズのロンドン交響曲の冒頭部に似ている。
その静けさはピッコロのおどけたような旋律と、
霧笛のように遠くから聞こえてくるトロンボーン、
ピッコロの旋律を模倣した荒々しいトランペットの音により、
打ち破られ、スケルツォの部分に入っていく。

スケルツォではフルート、ファゴットによって始まる旋律が、
フーガ風に展開されていき、時々は騒々しくなったりする。
しかし、最後は冒頭の前奏曲の静かな雰囲気へと戻っていく。
こんな感じもロンドン交響曲に似た雰囲気である。
親友同士のロンドンを愛する気持ちは同じなのかもしれない。

ところで、このHammersmithだが、ハマースミスという表記と
ハンマースミスの表記とあるが、どっちが正しいのだろう。
ガイドブックなどではハマースミスというのが多いが、
吹奏楽の演奏会ではハンマースミスとするのが多いのか、
ホルストとハンマースミスで検索すると
ブラスバンド関係のものがたくさん出てくる。
でも発音記号上は、ハマースミスだよなあ。
えっ、そんなのどうでもいい話でしょって?
そう言われると返す言葉もないけど、気になるなあ。
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横浜から和田町の間、メータの「惑星」二度目の録音の謎を考える

2007-05-21 06:58:25 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日は横浜から和田町まで歩いた。
今日もホルストの「惑星」を聴きながら歩いたが、
そろそろ「惑星」の話題も今回で終わりにしよう。

さて、今日紹介するCDはメータ指揮の1971年録音のもので、
ロスアンジェルス・フィルハーモニックが演奏している。
「惑星」という作品は同じ指揮者がよく2回目の録音する。
ボールトの5回は度外視するとして、
何人かの指揮者が2回目の録音がある。
カラヤン、プレヴィン、メータ、リーパーである。
他ライブ盤も含めれば、サージェントもそうだろうし、
そもそもホルスト自身が振った自作自演盤も、
1923~24年録音のものと、1926年録音のものがある。

メータの場合は1971年録音の旧盤と1989年録音の新盤がある。
新盤の演奏はニューヨーク・フィルハーモニックである。
旧盤の演奏時間は、火星7:10、金星8:04、水星3:50、
木星7:50、土星9:52、天王星5:39、海王星7:00で、
新盤の演奏時間は、火星、7:38、金星8:16、水星3:55、
木星8:09、土星10:37、天王星5:48、海王星8:27となっている。
1989年盤の土星の演奏時間が10分をこえるのは異常なくらいだ。
他にこの演奏時間をこえるのは、あるのだろうか、
この土星の演奏が気に入る人がいるかどうか分からないが、
テンポが遅いだけで、迫ってくる緊張感もなく、
残念ではあるが、私の好みではない。

なぜメータが「惑星」の2度目の録音をしたのかは疑問である。
1971年の録音は名盤としての誉れ高いし、
今聴いてもなかなかの演奏だとは思うのに、なぜだろう?

1971年の録音で感心させられるのは特に「火星」で、
LPレコードで聴いた時には印象深かった。
当時のレコードの中では平均的な演奏時間が6分代であったのを
ボールトと同じ7分とってゆったり演奏し、
34小節あたりからのテューバとトランペットのかけあい、
95小節できくたっぷりとしたテューバによる低音の響き、
96小節以降の中間部の揺れ動くような旋律、
最後のたたみかけるような終わり方に圧倒された記憶がある。

他の曲も全体的に出来がよく、録音もいい。
「土星」だってこちらの演奏の方がはるかにいいのである。
「惑星」の演奏の歴史をたどっていくと、名盤誕生の裏に
録音技術の発達というものを無視することはできない。

このメータの1971年の名盤の演奏の特徴は、
ダブルベースとテューバなどの楽器の
低音をきかせた重量感にあると私は思う。
それゆえ難点を唯一あげれば、テューバが活躍する「天王星」だ。
聴いていておかしいと思ったのが、
146小節目のテューバの音である。
楽譜ではピアノの指定で確かにテューバの音が入るのだが、
少し大きく入っており、聴いていて奇妙に聞こえる。
新盤ではその箇所については改善されている。

でも、新盤の「木星」では316小節のフルートなど木管の音が
省略されたのかわからないが入っておらず、奇妙である。
全体含めれば結果は旧盤の方がはるかによいと思う。
なぜ、メータが「惑星」を新しく録音する必要があったのか
その疑問は消えることはない。


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