Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

トマス・タリスの「なんじより他に望みはなし」を聴きながら横浜から星川まで歩く

2010-01-06 06:05:51 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いた曲は1505年生まれのトマス・タリスの作品である。
イギリスのテューダー朝を代表する作曲家である彼は、
生涯の前半はカトリックの修道院などでオルガニストとして活躍し、
後半は王室礼拝堂のオルガニストとして活躍した。
「なんじより他に望みはなし(Spem in alium)」の作曲年代については、
エリザベス1世の40歳の誕生日に書かれたという説もあるが、詳しくはわからない。
今回聴いたCDはデヴィッド・ウィルコックス指揮、
ケンブリッジ・キングス・カレッジ聖歌隊などによる演奏となっている。

「なんじより他に望みはなし(Spem in alium)」のテキストは、
旧約外典イウデト書第8章19節と、第6章15節から採られているらしい。
5声部の合唱8つによる40声部による大規模な作品である。
女声合唱から始まり男声合唱も加わりやがてその声の重なりは、
オルガンの伴奏に乗り、何層にも厚くなっていく。
ルネサンス的なポリフォニックな音楽であるが、
この音楽は聴くものを圧倒させる力を持っている。
このCDを買って初めて聴いた時にはこの作品に圧倒されたが、
何声で作られた作品かは知らなかった。
改めて調べると何と40声ということなのでさらに驚きである。
それにしても40歳の誕生日に40本のローソクではなく、
40声による合唱曲を作ったということだろうか。
だとすれば、ちょっとしたユーモアの感覚があるということだろう。
後半にいけばいくほど劇的であり、作曲家の偉大さを感じる。
最後の全声部によるトゥッティは壮大である。
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ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの「おお、永遠の力よ」を聴きながら片倉町から和田町まで歩く

2010-01-05 03:16:21 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は片倉町から和田町まで歩きました。
今回から再び中世・ルネサンス音楽の声楽・合唱曲編に戻る。
途中聴いた曲は1098年生まれのヒルデガルト・フォン・ビンゲンの作品である。
一時期癒しの音楽としてヒルデガルト・フォン・ビンゲンの音楽は注目された。
そのヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、8歳で修道院生活に入り、
デジボーデンベルクにあるベネディクト会の修道院で生活したが、
1141年神の啓示を受けたとして幻視体験を公にし、
やがてビンゲン近郊のルーペルツベルクに女子修道院を建てて指導者となった。
それとともに宗教曲などの楽曲の作曲や編纂作業をしたようである。
今回聴いたCDはセクエンツィアの演奏による。

「おお、永遠の力よ(O vis aeternitatis)」は、
レスポンソリウム(応唱)形式によって作曲された作品である。
フィドルの弾く持続音の上に「おお、永遠の力よ」と独唱が歌われ、
それに応えるようにユニゾンによる合唱が歌われ、
その音楽は宇宙を感じさせるような神秘的な雰囲気を漂わせる。
「願わくは、父と子と聖霊とに栄えあらんことを」と
ユニゾンで歌われ、最後も深遠な感じで終わる。
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ベートーヴェンの交響曲第1番ハ長調作品21と交響曲第3番変ホ長調作品55を聴き二俣川から西谷まで歩く

2010-01-04 06:10:34 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
年末年始特集のベートーヴェン交響曲編は今回で終わりとする。
途中聴いた曲は交響曲第1番ハ長調作品21と、
交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55である。
今回聴いたCDはフルトヴェングラー指揮、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による。
2つの曲の録音は1952年11月24、26・28日となっている。
今となっては録音や演奏は古めかしい感じもあるが、
全集を買っていることもあるのでここで紹介しておこうと思う。
ちなみに私はフルトヴェングラー賛美者というわけではない。
この機会に改めてこの2曲をじっくり聴いてみた。
略歴と曲目についての説明はあまりにも有名なため省略する。

交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55を聴いていると、
これがなぜか違う次元で考えたくなる自分に発見する。
第一楽章の始まりから遅めなテンポで展開される彼の音楽は、
どこか高みから作品を捉えているような感じに思えてしまう。
そこに人間的なベートーヴェンが描かれるのではなく、
その演奏を通して何かもっと普遍的なものを語りかけているような
そんな感覚を持ってしまうのがこの演奏である。
もちろん、モノラル録音で音質もよくないし、
演奏は抑制が取れていて羽目を外すという感じはない。

第ニ楽章の葬送行進曲を聴いていて感じるのは第二次世界大戦である。
その時代を生きた彼がそれを意識しているわけではないだろうが、
悲劇的なその音楽はナポレオン戦争の時代から超えて、
20世紀のヨーロッパで起きた悲劇を感じさせるのである。
いつの時代にも英雄的な人物は登場するのだろうが、
それとともに死を伴う悲劇があり、それに打ちのめされる人々がいる。
この演奏を聴いていて何か、そんなことまで感じてしまうのである。
第三楽章は彼のドイツ的な部分が出ていてある意味親しみやすい演奏である。
ここで聴けるホルンの吹奏がとてもいい。
ヤルヴィの「英雄」の公演の時にカンマー・フィルのホルン奏者の演奏に
とても魅了されたことがあったが、きっとその場にいたら
きっと、そんな感覚を持てたんだろうなと思う名演奏である。
第四楽章はフィナーレらしい素晴らしい演奏である。
ウィーン・フィルの奏者の素晴らしい演奏技術とともに、
彼の抑制した指揮のもとで不屈の精神を思わせる盛り上がりを見せて終わる。

交響曲第1番ハ長調作品21の第一楽章は堂々とした短い序奏を経て、
主部に入り、溌剌とした感じの主題が奏される。
提示部の主題は繰り返されず、そのまま展開部に入り、
再現部で主題が奏され、最後は堂々とした感じで終わる。
第ニ楽章は、弦楽器と木管楽器を中心に軽快なテンポで始まり、
明るい牧歌的な音楽が展開され、演奏はやさしさ溢れる感じである。
第三楽章のメヌエットは、スケルツォ的な性格を持った楽章である。
勇ましい感じの主題はベートーヴェンらしさが出ている。
第四楽章でみせる演奏も、テンポが遅いが、そこに彼らしい優雅さを感じる。
なぜか全般を通して彼の演奏は上品な感じのする演奏である。
それは、作品をある高いところから捉えているからなのだろう。
時代性を反映した彼の演奏だからこそモノラル録音であろうが、
今も聴かれるのだろうなあという印象を持った次第である。
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ベートーヴェンの交響曲第2番ニ長調作品36と交響曲第4番変ロ長調作品60を聴き二俣川からいづみ野まで

2010-01-03 09:50:04 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
昨日は二俣川からいづみ野駅まで歩きました。
この時期歩いている中で見かける夕陽の中に浮かぶ富士山の
シルエットはなかなか美しいものである。
途中聴いた曲は交響曲第2番ニ長調作品36と、
交響曲第4番変ロ長調作品60である。
今回聴いたCDはクリュイタンス指揮、
ベルリン・フィルハーモニーの演奏による。
昔、高校時代には廉価盤のレコードで売っていたものであり、
4,7,8番は買っていたので、何度か聴いていたものである。
CDになると全集でさらに安く買えるようになった。
1957年から1960年にかけてステレオ録音されたものである。
今となっては録音や演奏は古めかしい感じもあるが、
略歴と曲目についての説明はあまりにも有名なため省略する。

交響曲第2番ニ長調作品36の第一楽章の序奏はベートーヴェンらしく
堂々とした音楽で弦楽器の波のうねるような音の間を、
浮かび上がっていく木管楽器の音が印象的だ。
主部の提示部で躍動的な主題が奏され、提示部の主題は繰り返される。
展開部で主題は大胆に変形されるが短く、あっさり再現部に入るが、
コーダに向けて主題はその後も展開され、堂々とした感じで終わる。
第ニ楽章のラルゲットは、弦楽器と木管楽器を中心に牧歌的な演奏が展開される。
前楽章とは対照的なこの曲の中には明るさだけでなく陰影もあって深い。
第三楽章のスケルツォは、いかにもベートーヴェンらしい。
荒々しい感じの主題は印象的であるが、対照的なトリオでも管楽器の活躍がいい。
ソナタ形式で書かれている第四楽章は、流れるような音楽の中、
浮かび上がっていく管楽器の奏者の奏でる音が印象的である。
ここでも提示部が繰り返され、短い展開部を経て、堂々としたコーダで終わる。

交響曲第4番変ロ長調作品60はこのクリュイタンス盤を高校時代に聴いていた。
友人は当時最新録音であったコリン・デイヴィス盤を私に聴かせてくれたが、
当時話題となっていたあの盤は、CDの時代になってあまり話題になっていない。
第一楽章の序奏は深遠な感じで始まり、主部に入る前のエネルギーを
蓄えるかのようなところから主部に入り、それが解き放たれる感じがいい。
交響曲第3番のあとの作品だからという訳でもないが、当時のヨーロッパが、
ナポレオンの支配に置かれて重圧に屈していたところから解き放たれるかのような
人々の願望を音楽にしたかのような人類の強い意志を感じさせる。
展開部を経て最後のコーダに至る白熱した演奏はいい。
第ニ楽章は、幸福な一時と悲劇を感じさせる音楽である。
最初の主題はまさに明るく、木管楽器が牧歌的なのどかさを感じさせる。
しかし、中間部にその明るさが打ち破られ、悲劇的な苦悩に満ちた音楽となる。
再び最初の明るく夢見る音楽とそれに不安を与える低弦の動きが示され、
その2つのものを基軸に音楽は展開され、最後は平和な感じで終わる。
第三楽章の主題は流れるようなしかしダイナミックな音楽である。
対照的なもうひとつの牧歌的な主題が交互に現れ、その構成力もいい。
低弦の動きを注目してみると面白く聴くことができる。
第四楽章の提示部は躍動的な主題が現れ、繰り返されるが、
ここではファゴットの速い旋律を奏でるソロに注目ということだろうなあ。
主題は展開部でさらに変形され、エネルギッシュな音楽になっていく。
困難に何度も向かっていく人類の強い意志を感じさせる音楽である。
こうやって当時の政治状況を踏まえて聴いてみると、
ベートーヴェンの交響曲は政治的なところがある感じがする。
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二俣川から鶴ヶ峰まで、ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調作品67と交響曲第8番ヘ長調作品93を聴く

2010-01-02 09:55:21 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
昨日は二俣川から鶴ヶ峰まで歩きました。
途中聴いた曲は交響曲第5番ハ短調「運命」作品67と、
交響曲第8番ヘ長調作品93である。
今回聴いたCDはクナッパーツブッシュ指揮、
ベルリン・フィルハーモニーの演奏による。
昔、処分セールで確か580円で売っていたものである。
もちろんモノラル録音で音質なよくないのだが珍しいので聴いてみた。
略歴と曲目についての説明はあまりにも有名なため省略する。

交響曲第5番ハ短調「運命」作品67は1956年9月4日のライヴ録音。
第一楽章のテンポは遅く、クナッパーツブッシュらしい感じがする。
提示部はこの時代というと繰り返しを省略した演奏もあるが、
彼は提示部の繰り返しをしていて、そこが意外であった。
展開部のオーボエの独奏部分は味のある演奏である。
再現部以降スケールの大きい演奏だなあと感じさせる。
第ニ楽章は、堂々としてよく鳴り響く金管楽器の演奏、
流れるような弦楽器の演奏、ほのぼのとした木管楽器の演奏がいい。
この時代のベルリン・フィルの音の美しさを感じさせる演奏である。
第三楽章は、ゆっくりとしたテンポの弦楽器の演奏に乗って、
堂々としたしかも荒々しい感じで演奏する金管楽器がいい。
フーガのように展開する弦楽器の掛け合いもいい。
第四楽章は、やはりゆっくり目のテンポで主題が堂々と提示される。
ここでは提示部は第一楽章のようには繰り返されず、展開部に入っていく。
第三楽章の部分が一部回想風に登場し、再び主題が奏され、
コーダに向けてはやや控えめな演奏を経て、
最後は盛りあがって堂々と華々しく終わる。

交響曲第8番ヘ長調作品93は1952年1月29日のライヴ録音。
第一楽章は、今日的な演奏時間からみると長い10分である。
だからテンポが遅く、重々しい感じには聴こえるが、
それがクナッパーツブッシュらしいところかもしれない。
音質が悪いものの古きよき時代のベルリン・フィルの音を感じさせる。
展開部からは低弦がよく響き、気迫のこもった演奏である。
第ニ楽章は、規則正しくゆっくり目のテンポにのって主題が奏される。
弦楽器と管楽器との旋律のやりとりが楽しい曲である。
第三楽章のメヌエットは堂々とした最初の部分とは対照的な
トリオの部分が牧歌的で、ホルンや木管楽器の響きが美しいし、
低弦の動きがはっきり聴こえて興味深い演奏である。
第四楽章は、やはりクナッパーツブッシュらしい遅いテンポで始まり、
弦楽器の旋律の対位法的なやりとりがはっきり聴くことができる。
ベルリン・フィルも最後テンポをあげて白熱した演奏となって終わる。
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