Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ウィリアム・バードの3声のミサ曲を聴きながら星川から横浜まで歩く

2010-01-11 06:53:41 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は星川駅から横浜まで歩きました。
途中聴いた曲は1543年に生まれたバードの作品。
彼の略歴については、中世・ルネサンス音楽の
器楽曲・合奏曲編で触れているので省略する。
3声のミサ曲は1592年から1593年に作曲されたようである。
今回聴いたCDはステファン・ダーリントン指揮、
オックスフォード・クライスト・チャーチ聖歌隊による演奏である。

3声のミサ曲のキリエは3声がほぼ同じ旋律を歌い、
ホモフォニック的であるが、他はポリフォニック的である。
グロリアで歌われ浮かび上がってくるメロディーは美しく、
ポリフォニック的な音楽であり、CDではそのうちの1声を
少年合唱が担当しており、その響きは天上の音楽のようである。
クレド(信仰告白)もポリフォニック的で美しく、最後はアーメンで終わる。
サンクトゥス-ベネディクトゥスは、聖なる神への感謝が歌われる。
2つあわせて歌われ短い曲ではあるが、幸福感に満たされた曲である。
アニュス・デイ(神の子羊)は、穏やかな曲でイエスを称え静かに終わる。
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ジョン・ダウランドの「さあ、もういちど愛が呼んでいる」を聴きながら二俣川から三ツ境まで歩く

2010-01-10 12:01:37 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は飲み会の前に二俣川から三ツ境まで歩きました。
卒業生たちとの再会と話は楽しいものであったが、
そういえばみんな30歳近くになっているのかと知ると、
時間の経つ速さを改めて実感するものである。
途中聴いた曲は1563年生まれたダウランドの作品。
彼の略歴については、中世・ルネサンス音楽の
器楽曲・合奏曲編で触れているので省略する。
「さあ、もういちど愛が呼んでいる」は1597年に、
出版された歌曲集第1巻に収められている。
今回聴いたCDはアントニー・ルーリー指揮、
コンソート・オブ・ミュージックによる演奏である。

「さあ、もういちど愛が呼んでいる」は、
Come againと呼びかけるように始まる軽快な曲である。
sweet love doth now invite(愛が呼んでいる)といい、
憧れる女性に対する思いと失意、苦悩が歌われていく。
自分の女性への思いがかなえられないことを知り、
その彼女の冷淡な態度に苦しみながらも、
その思いを捨てられないような心情が、
テノール独唱によって歌われる印象深い曲である。
ダウランドというと「流れよ わが涙」が有名であるが、
こういった歌曲を聴いていくとなかなかいい曲がいろいろある。
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フランチェスコ・ランディーニの「さようなら、美しいお方よ」を聴く

2010-01-09 07:00:54 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は飲み会があったため、ウォーキングを休みました。
途中聴いた曲は1325年頃生まれたランディーニの作品である。
彼の略歴については、中世・ルネサンス音楽の
器楽曲・合奏曲編で触れているので省略する。
「さようなら、美しいお方よ」の作曲年代については不詳である。
今回聴いたCDはルネサンス合奏団による演奏となっている。

「さようなら、美しいお方よ(Adiu,adiu dous dame)」は、
3声によるマドリガーレで、多声的な音楽である。
ヴィルレーの形式で彼唯一の作品らしい。
いかにもアルス・ノヴァ様式的な歌である。
愛する人と別れて、愛する人の姿や印象が今でも
そして永遠にあることを歌った内容の作品で、
やや未練がましい感じの作品である。
しかし、その女性の面影を忘れようと思っても、
忘れることができず苦しむのが、恋という病だからしょうがない。
恋に関しては中世であろうと現代であろうと、
その心情は変わらないもんだなあと思える作品である。
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指骨折?そしてコンスタンツォ・フェスタの「だれが私たちの目に涙の泉を」を聴きながら三枚町から西谷まで

2010-01-08 05:34:05 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
そのあと病院に行って、指のレントゲン写真を撮ってもらうと、
結果は何と骨折していたようで、しばらくは不自由が続くこととなった。
いいことない一年の初めだと、やや落ち込み気味となるが仕方ない。
途中聴いた曲は1480年頃または1490頃生まれのフェスタの作品である。
彼の生まれた場所については不詳だが、ピアモンテとも考えられている。
ジョスカンとパレストリーナの中間に位置する作曲家で、
その当時フランドル出身の作曲家たちが得意とする
ポリフォニックな声楽曲の分野でイタリア人として初めて成功した。
「だれが私たちの目に涙の泉を(Quis dabit oculis nostris)」は、
1538年ゼンフルの名で公表され、彼の作品と思われてきたが、
実はコンスタンツォ・フェスタの作であることがCDの解説には書かれている。
原詩はアン王女の死に関係した作と考えられているようである。
今回聴いたCDはニコラウス・アルノンクール指揮、
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクム、ウィーン合唱団による演奏となっている。

「だれが私たちの目に涙の泉を(Quis dabit oculis nostris)」は、
深い悲しみを歌った曲で、CDでは少年合唱団を含む合唱団で歌われる。
ポリフォニックな作品となっており、曲はイタリア的であるが、
フランドルの作曲家たちの作品の影響を受けているだろうことは感じさせる。
ここでの内容は、マキシミリアン皇帝の死を悼み、
ドイツ・オーストリアの人々の嘆きが歌われる。
最後はその冥福を祈るように静かに消え入るように終わる。
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思わぬ怪我、そしてハインリヒ・イザークの「インスブルックよ、さらば」を聴きながら三枚町から西谷まで

2010-01-07 05:45:29 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
朝の通勤途中なんでもない思いがけない場所で転ぶ。
両手に怪我をし、パソコンで文字を打つのも大変。
病院にでも行った方がいいだろうなあ、左の親指が痛い。
右の人差し指の負傷は、パソコンでダブルクリックをするのに困る。
新年早々何やっているんだろうなあと深く反省。

昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いた曲は1450年頃生まれのイザークの作品である。
フランドルに生まれた彼は、1485年からフィレンツェのメディチ家に仕え、
その後ハプスブルク家のマキシミリアン1世の宮廷で活躍するようになった。
「インスブルックよ、さらば(Insbruck,ich muss dich lassen)」は、
彼の代表作であるが、出版されたのは1539年のようだ。
彼は1500年から1501年、1507年から1508年には、
このインスブルックに滞在していたようである。
今回聴いたCDはロンドン中世アンサンブルによる演奏となっている。

「インスブルックよ、さらば(Insbruck,ich muss dich lassen)」は、
4声によるリートであり、別れることの悲しみを歌っている。
しかし、どうやら彼の心を寂しくさせているのは、
思いを寄せる女性との別れがそこにあるからのようである。
でも、最後までその彼女を称え、いつか戻って来る時まで、
元気でいることを祈る彼の純粋な気持ちには驚かされる。
素朴で気持ちのこもった彼の残した傑作である。
イザークは、このあと再びインスブルックに戻って、
この彼女に再会できなかったんだろうな。
私だったらインスブルックに戻っても会わないだろうな。
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