温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

福建・広東の旅 その3 完全アウェーの福建土楼ツアー 後編

2015年10月11日 | 中国
前回記事の続編です。

●田螺坑土楼
 
土楼の俯瞰が大変素晴らしかった展望台を下って、田螺坑の土楼へ実際に入ってみることにしましょう。


 
まず初めに入った土楼は「和昌楼」。砦を彷彿とさせる分厚い土壁に囲われた円形の土楼内部は、3階層の木造テラスが中庭をぐるっと囲っており、洗濯物を干していたり、食器を洗っていたりと、土楼の内部では生活臭がプンプン漂っていました。堅牢な土壁によって外部と内部を完全に遮断し、外敵からの侵略を徹底的に防いでいるわけですね。


 
遠巻きに眺めれば伝統的で歴史を感じさせる情景ですが、所詮は観光地ですから、元来は住居の個室が並んでいたと思しき1階部分は、お茶やお菓子、風景画や小物などの店舗がテントを張って商売根性丸出し。しかも、テラスの一角にはパラボナアンテナがズラリと並んでいたり、玄関部分には配電盤が剥き出しになっていたりと、風致とは正反対の、現代生活を象徴する電気関係設備が思いっきり丸出し状態。もちろん生活に必要なのは重々承知していますけど、こうした艶消しなものは隠せば良いのに…。この土楼って本当に昔ながらのものなのかと、とついつい疑いたくなります。


 
観光客が立ち入りることができるのは1階だけ。建物を保護するため階段を上がってはいけないらしいのですが、いかにも商魂逞しい中国人らしく、金を払えば階段を上がってもOKとのこと。なんじゃそりゃ。地獄も沙汰も土楼の立ち入りも、何でもかんでも金次第なんですね。馬鹿馬鹿しいので、中庭からテラスを見上げるだけにとどめておきました。でもこうして民具がぶら下がっている一角だけを画像に撮ってみますと、なかなか絵になるものです。


 
古井戸の中では金魚が泳いでおり、果たして生活用水として使われているかどうか不明。そのかわり、中庭の丸い外縁に沿って共用水道がいくつか設けられており、盥の中に食後の食器や箸が放りこまれていました。


 

隣の「歩雲楼」にもお邪魔しました。前回記事でご紹介したように、この「田螺坑土楼」では中央の四角い土楼を、4つの丸い土楼が囲んでおり、ガイドさんはその様子を「梅の花」と喩えていたわけですが、この「歩雲楼」は花の中央に当たる四角い土楼であり、当たり前ですがテラスも中庭もカクカクした造りになっており、「和昌楼」とはちょっと違った雰囲気でした。でもこの土楼は商売っ気がより一層強く、露天商の青いテントが中庭を隙間なく覆ってしまい、せっかくの雰囲気も台無し。一部のお店では風景画と並んでなぜか毛沢東や習近平の肖像画まで売られており、この取り合わせの不自然が何だか胸糞悪かったので、この土楼では中庭を一周しただけですぐに退出しちゃいました。


 

細かいところまで観察しちゃうと突っ込みどころばかりに目がいってしまうのですが、ちょっと離れて遠くから眺める分には、やっぱり美しくて山水画の世界そのものです。周囲の棚田や茶畑も麗しく、辺りに立ち込める雲が仙境のような情景を生み出していました。
ちなみにこのエリアの道路に立っている街灯は、土楼の形をしていました。


●裕昌楼
 
「田螺坑土楼」からミニバスに乗り込み、10分もかからない近距離で、再びバスから降ろされました。今度は「裕昌楼」という別の土楼を見学します。こちらは並み居る福建土楼の中でも、規模も知名度も大きいらしく、エントランスには「国家級AAAAA旅游景区」との文字が誇らしく躍っていたのですが、そのすぐ傍には仮設の公衆便所がズラリと並び、とても国家級という語句には似つかわしくない悪臭が漂っていました。


 
 
「裕昌楼」を中核とするこの地区には、他にも伝統建築が複数立ち並んでいるようです。福建土楼の各地区には土楼に泊まれる民宿やホテルが営業しており、「裕昌楼」の隣にはそうした宿泊施設の代表格である「裕昌大酒店」というホテルがあるのですが、どうやら今回のツアーではこのホテルも見学先に含まれているらしく、ガイドさんに引率されるがまま、高くて堅牢な土壁の楼閣へとお邪魔させていただきました。入口上部に記された「毛主席万歳」は、文革時代の名残なのでしょうか。今ではすっかり削られて判読できなくなっているのですが、その5文字の上に書かれていたと思しきスローガンがどのようなものであったのか、関心を抱かずにいられません。


 
 
さすが宿泊施設だけあって、余計な商売っ気は無く、シットリとして落ち着いて良い雰囲気です。
他の土楼と同じく、外壁は分厚い土壁ですが、内部は完全な木造です。この時は雨脚が強かったので中庭には出なかったのですが、庭木の緑は雨を浴びて一層緑を鮮やかにしており、伝統建築の材木と赤い提灯、そして庭木の緑が美しいトリコロールを生み出して、しばらく眺めていても飽きることはありませんでした。
福建省といえば世界的な烏龍茶の産地。この辺りでもお茶を生産しており、1階の大部屋ではお茶の試飲が行われていたので、私もいただいてみました。お世辞抜きで美味しかったですよ。でも買いませんでしたけどね…。


 
館内は自由に見学可能。3階層ある館内の廊下や階段を自由に往き来できます(もちろん客室内は不可)。階段をで上層階へ上がると、土楼の構造や資材、細工の様子など細かいところまでよく観察でき、テラスの上から中庭を眺めてみると、下からとはまた違った風情があって、なかなか面白いものです。ちなみにフロントに掲示されていた料金表によれば、シンプルな部屋で一泊200元(日本円で4000円弱)とのこと。伝統建築でリーズナブルに泊まれるのですから、都市部ではなく土楼地区で一晩を過ごすのも良いかもしれませんね。もっとも、日中は客室の前を、私のような観光客が大挙をなしてドタバタ歩いているわけですが…。


 
ホテルを出た後は、この地区の中核である「裕昌楼」を見学です。入口付近ではニワトリがウロチョロしており、田舎らしい長閑な空気感が伝わってきたのですが…


 
中に入ってビックリ。聞きしに勝る規模の大きさに圧倒されるとともに、土楼内に犇めくものすごい数の観光客にも威圧されそうになりました。「田螺坑土楼」と同じく円形ですが、円としての直径はその倍近くあり、1フロアに並ぶ部屋数は50前後。階層も「田螺坑」より2フロアも高い5階層です。この巨大土楼は1308年から1338年に建設され、全体的に傾いでいるため「東倒西歪」と呼ばれているのですが、見た目が不安定にもかかわらず700年もの間、壊れることなく今に至るまで安定を保ってきました。いや、何事も「白髪三千丈」の国ですから、建物の歴史は700年もなく、実際にはその半分程度なのかもしれませんけどね。


 
あいにくの天候だったため、露天商のカラフルなパラソルが中庭を覆い、せっかくの景観を台無しにしていました。
雨が降っているにもかかわらず、中庭では赤ちゃんを抱くおばあちゃんがウロウロしており、どうしてこんな天候のもとでわざわざ赤ちゃんをあやしているのかと首を傾げたくなるのですが、このおばあちゃんは、伝統建築+婆と赤子の人情=フォトジェニックという観光客側の心理を狙っており、つまり、ヘタに声を掛けて土楼を背景におばあちゃんの写真を撮ろうとすると、モデル代としてお金を要求されちゃうわけです。さすが中国。どんなところに罠が仕掛けられているか、わかったもんじゃありません。癪に触るので、このババアに気づかれないように写真を撮ってやりました。ババアは金をせびってきますが、ニワトリなら大丈夫。心置き無く、土楼を背景にして中庭のニワトリをカメラに収めます。


 
とにかく土楼内はお店ばっかり。売り子の呼び声も鬱陶しく、はっきり申し上げてうんざりします。特に多いのが記念撮影を専業とするカメラをかかえたおじさん。世界各地の観光地においても、とにかく中国人は記念撮影が大好きで、景色を眺めて想い出を心に刻むことよりも、とにかく記念撮影をし、「微博」(ウェイボー)などを通じて友人知人に見せびらかして自慢をすることに重きを置いている感すらありますが、この土楼においても皆さん記念撮影は欠かせない重要行為であり、一眼のカメラで撮影した画像を、すぐその場でパソコンに読み込んでプリントアウトする(あるいはストレージに移す)という商売が、あちこちで見られました。だから土楼内ではパソコンモニターやプリンターがたくさん並んでいます。今やどの観光地でも同様の商売は見られますから、敢えて嘆くほどのことではありませんが、でも歴史や伝統を味わいに来たのに、どうしてデジタルなものに接しなきゃいけないのさ…。
そんな商売っ気が横溢している土楼内で、ガイドさんがすすめてくれたのは700年の古井戸なるもの。一応見学無料と書かれているものの、裏で何かがあるんじゃないかと内心ヒヤヒヤでしたが、本当に無料だったのでひと安心。でも、本当に700年ものの古井戸かどうかはわかりません。


 
広い中庭の中央に建つ廟がフォトジェニックだったので、中の様子をちょっと見学させてもらおうと足を踏み入れたのが迂闊だった…。入るやいなや、祭壇の前に座らされて無理やり祈祷させられ、最終的にお布施を強要させられました。「9という数字が縁起が良いので、最低でも99元は納めてもらわないと」とのことで、抗弁できるほどの言語力のない私は泣く泣くその言葉に従ってしまったのですが、いま思い出すだけでも悔しい失態です。日本国内でも海外旅行でも、今まで一度もボッタクリ被害に遭ったことのない私が、まさかこんなところで一杯食わされるとは。ちゃんとガイドさんに確認しておくべきでした。ま、中国とはどんなところかを改めて勉強するよい体験だったのかも。


 
「裕昌楼」を出た後は、一旦ミニバスに乗って別の場所へ移動し、移動先の駐車場から電動カートに乗り換えさせられました。どうやら環境対策として電動カートを導入しているらしく、次の見学地まではこれで移動するようですが、そのカートに乗っている私たちの脇を、黒煙を吐いて走るトラックが猛スピードで走り去っているのを目にし、この理不尽なチグハグさこそ今の中国を象徴している気がしました。


 
カートからは山の斜面に広がる茶畑など長閑な景色が眺められました。


 
でもカートに乗っていたのはわずか5分程度。環境を意識した移動手段というより、ツアーの行程にアクセントを加えるための、単なる遊園地の「おさるの電車」みたいなアトラクション的色彩の強い「イベント」だったのでした。カートを降りたら、橋で川の対岸へ渡ります。


 

集落の細い路地を進んだ先に、小さな池と廟、そして池畔に槍みたいな尖塔がたくさん並んでいる箇所に出くわしました。ここは「徳遠堂」と称するところで、今回のツアーの最終スポットなんだとか。無学の私はガイドさんの中国語の説明を全く聞き取れませんので、付近にあった説明板の漢字を追いかけて何となく意味を掴んでみますと、この廟は当地域に暮らす張ファミリーのための家廟であり、明朝の頃に建てられたもので、家廟にしては立派な造りなんだとか。
池の周りに並んでいる尖った塔は「石旗杵」と称し、科挙に合格したり、華僑として海外で成功を収めたりして、立身出世を果たした一族の人たちが立てたものなんだそうです。


 
 
上画像は廟の様子。たしかに門には「張氏家廟」と書かれていますね。繊細な装飾と鮮やかな色使いが印象的です。このあたりで暮らしている住民はみんな張ファミリーなんだそうで、それゆえこの廟は村のみんなで管理しているんだそうです。
ファミリーのための廟でありながら、祭壇のそばに「愛国也愛家」なんていうスローガンが掲示されている点は、いかにも中国らしいところ。


 
「徳遠堂」の周りには大小様々な規模の土楼が多数点在しているのですが、ツアーの時間の都合なのか、どの土楼にも立ち寄ることなく、ガイドさんの後を追いかけながら漠然と歩いているうち、いつの間にやらバス停にたどり着いていました。そして我々がバス停に着いたとほぼ同じタイミングで、昼食前にお別れした大型バスがこのバス停へやってきました。大型バスには既に他の土楼ツアーを終えた客が乗っており、我々「田螺坑土楼」組が最後に乗り込んで、みんなまとめて廈門へと「送還」するわけです。なんて合理的でシステマティックなんでしょう。感心しちゃいます。
往路と同じく席はほとんど埋まっていたのですが、これまた往路と同じく最後尾の隅っこだけ空いていたので、唯一の外国人参加者であるミソッカスな私は、その隅っこの席に座らされて、廈門へと戻ったのでした。座席の前ポケットに詰め込まれていたゴミは、往路と全く同じ状態。つまり往路と同じ車両なんですね。無事に帰れるという安心感、そして早朝から慣れない行動をし続けた疲労感のため、バスの車内では爆睡状態。

往路と同じく、廈門の島に入ったら、途中の幹線道路上で大型バスからワンボックスカーに乗り換えて、客が泊まっている各ホテルまで送迎してくれます。でも島内(廈門市街中心部)の渋滞がひどく、車はなかなか前進しません。結局、乗り換えてからホテルまで1時間以上もかかってしまいました。土楼から廈門までの時間と、廈門市街で渋滞にはまっていた時間は、ほとんど同じだったのではないか…。
とにかく無事に戻ることができてひと安心。中国語がわからなくても、はぐれないように周囲の動きを注意深く察知しておけば、完全アウェーの中国人向け現地ツアーでも、大きな問題なく観光することができるんですね。

さて翌日はようやく温泉へ入りにいくぞ!
でも無事にその温泉までたどり着けるかな?

次回に続く
コメント (2)
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