た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

無計画な死をめぐる冒険 91

2007年06月15日 | 連続物語
 「海の水、やっぱりまだ冷たいかしら」
 「降りないのか」
 「邦広さん、私のこと飽きた?」
 私はしかめ面を彼女に向けた。
 「どうしてそんなことを言う」
 「だって」
 泣きそうな顔で雪音は小指の爪を噛んだ。「だって、今朝からほとんど口を利いてくれないじゃない。なんだか・・・大事な話があるけど言い出せないみたいな感じで」
 私は殊更大きく嘆息した。彼女の言っていることはおおよそ正しかったからだ。
 「別に何もない。降りないのか」
 「邦広さんは」
 「降りる」
 「じゃあ降りましょうよ」
 「待て」
 私の声に、ドアノブを握る彼女の手が止まった。私はそのとき、顔を両手で覆っていたはずだ。覆うだけでない。私は自分の顔を握り潰そうとしていた。
 「雪音」
 返事はない。彼女は静かに私の言葉の続きを待っていた。勘の鈍い女ではない。彼女は覚悟していた。一方の私は逡巡していた。
 海鳥が空で鳴いた。
 「もう終わりだ」

(つづく)
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