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無計画な死をめぐる冒険 60

2007年01月07日 | 連続物語
 「いわゆる、激昂するというやつですな。彼はまるで趣味のように周りの人間に喧嘩を売っていた。人間嫌いだったんでしょう。しかし、人間嫌いと言っても、いいですか、本当に嫌っていたわけじゃないんです。私はそう思いますね。やむにやまれず人間嫌いを装っている、と表現したらいいかな。本当のところは当然ながら、人を好きになりたいんです。笑顔に笑顔を返したいんです。しかし現代において、その行為は干渉なんです。束縛なんです。家宅侵入罪なんです。自由の侵害なんです。他人をまったく傷つけずにしゃべることがいかに難しいか、考えてみてごらんなさい。現代は他人に対しあまりにも慎重でなければならない。結果、他人を適度に避けなければならない。上手く言えませんが、彼に限らず、世の中の人間嫌いはすべからく、他人の権利に敏感であり過ぎた者だと私は思ってますよ。宇津木君は、我々現代人に広く見られるストレスを極端に誇張し具現化させた姿だったように思えてならない。ストレスというより、ジレンマですかね。もちろん確かに、確かに彼は、特定の人々の自由は認めたくなかったのですよ。特に身内の、奥さんの自由とかはね。うまく伝わっているかな」
 彼はいらいらしたように空のグラスを手の平でぐるぐる回した。もはやそれにビールを注ぐ者すらいない。
 「ジレンマです。わかりますかな。昔の亭主関白のように何一つ疑問を抱かずに居丈高に奥さんを顎で使うわけにもいかんのです。個人の自由として奥さんの独立性も認めなければならない。それは本人も重々承知している。認めなければならん、認めなければならんことにずっと鬱屈を感じて来た。だから、逆に発散するときには、手を上げるとか、物を投げつけるとか、そういう行動に出るんです。そう。私だって知ってましたよ。聞いてましたよ。その、故人が家庭内とか研究所内において、ときどき対話を暴力に一方的に置き換える、という噂はね」
 どういうことだ。

(つづく)
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