た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

無計画な死をめぐる冒険 46

2007年01月07日 | 連続物語
 「哲学かあ。哲学ってのは何かい、邦広。電気屋の親父で一生を終えた俺には難しい世界じゃあるが、何てえか、人の生きる道を指し示すってものじゃないかい」
 違う。少なくとも私は違うと思っている。哲学は学問である。学問は利便を省みない。結論が人生にとって吉と出るか凶と出るかは哲学者のあずかり知らぬところである。哲学は人生の処方箋ではない。
 叔父はしきりに口元を手で擦っている。酒が切れかけたときに良くやる彼の仕種である。
 またお鈴がチン、と鳴る。
 「お前の哲学は、えー、てことは、何だ、酒飲んでアル中で死ぬ、っていう哲学か」
 背後の面々がくすくす笑う。由紀子は当然笑っている。親父は何もわからないまま周囲に釣られて呆けた薄ら笑いを浮かべている。美咲まで、いや美咲の隣で退屈そうに黙り込んでいる愚息の博史までもが、うつむいて緩んだ顔を隠している。一族打ち揃って不届き者である。
 「そんな哲学なら、ほれ、粕漬けにでもして食ってしまえ。だいたい哲学なんざ尻の青い若者が退屈紛れにやるもんだろうが。そんなもんを一生の食い扶持にするから、ろくなこたあない。ろくなこたあない証拠に、肝臓傷めてお陀仏したりするんだ」
 「ほう、そりゃ厳しい御意見ですなあ」
 先ほど入ってきたばかりの弔問客から茶々が入った。低い声の割に女のようなしなが入った助兵衛な口調は、まごうことなき新山大学の唐島章一郎である。雨の中を到着したばかりらしく肩を濡らしている。名古屋にいるのにすぐ飛んで来るとは、意外や彼らしからぬ殊勝さである。加賀研究室以来のなじみとは言え、生前そのような足労を私のために執る男ではなかった。今回奮発したのはさすがに私が死んだからだろう。 
 「あんた誰じゃい」
 叔父は口を開けて背後の大男を見上げた。

(小出しにつづく)
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