た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

古典

2005年05月18日 | 写真とことば
昔、越の国に伝尤(でんゆう)という独り者がいた。桃の花が好きで庭に桃の苗を丹念に育てていた。その年の夏は日照りが続き、草木は枯れ果て、人々は今日の飲み水にさえ苦労する有様だった。伝尤は自分の飲み水まで苗に注いだ。ある人がこれを見て、「せっかく苗が育って桃の花を咲かせても、自分が乾いて死んだら花を愛でることもできないではないか。愚かなことだ」と言った。伝尤が答えて言った。「私は独り者である。生きながらえても後世に子孫を残すことができない。しかしこの桃は樹になれば種を落とす。種は次の樹になる。長生きする方を取ろうではないか」と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この話を、私は古本屋で立ち読みした。何とも後味の悪い話である。伝尤のとった行動をいったいどう受け止めてよいのか、いまだに決めかねている。彼は明らかに間違っていると思うのだが、それを上手く説明できないでいるのだ。                                    
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最善の努力

2005年05月17日 | 写真とことば
人と会うとき、最善の努力をしない者は疎外される。
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ベッド考

2005年05月16日 | essay
 室内を清潔にしたい、と思う良心にとって最大の敵はベッドである。
 
 安眠、衛生、空間利用、どの観点をとっても、ベッドは畳の上の布団に軍配を譲る。

 しかるに現代人が誰も彼も判を押したようにベッドを好むのは、

 単純至極、

 ドラマに出てきたから、という程度の理由に過ぎない。



 と、ちょっと息巻いてみる(今ベッドを持たないから)。
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友の出立

2005年05月16日 | 写真とことば
彼は生きていることの説明がつかなくなると、旅に出た。
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満足の限界

2005年05月15日 | 写真とことば
酒もそう、女もそう。
お金もそうだ。地位や名声だってそうだぜ。
そこそこにしときな。いいのはわかってんだ。
でも頂上に登っちゃいけねえ。
そっからの眺めに飽きりゃ、もうこの先どんな眺めも期待できねえからな。
頂上がそばにあるって感じるとこまでにしときな、せめて。


~ある人の言葉(20)
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座禅

2005年05月15日 | 写真とことば
まず景色を忘れよ

次に身体を忘れよ

次に自我を忘れよ

終に座禅を忘れよ


~ある人の言葉(19)
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御嶽山

2005年05月14日 | 写真とことば
 車を運転していてあんなに叫び声を上げたのは初めてだったと思う。
 坂道を登ったところで突如空に現れた大きな白い山に、私は馬鹿みたいに叫んだのだ。
 「うおーっ」と。
 そしてハンドルを切り損ねかけた。
私は開田高原を目指していた。十年前貧乏旅行で訪れたところに再び立ち寄ろうと思い立ったからだ。
 この春から立ち上げた新しい仕事がなかなか軌道に乗らず、私は思い切った気分転換を必要としていた。正午過ぎに松本を発って中山道を南下し、途中奈良井の宿で緊縮財政を省みず結構な買い物をした。さらに南下して開田高原までたどり着いたときには、午後も3時を回っていた。
 しかし私は、愚かにも、そこから御嶽山が望めることすら忘れていたのだ。
 私は心底びっくりした。
 名峰は、初夏の暑さにうだる下界からまったく隔絶された高みで、白銀の雪をかぶり燦然と輝いていた。
 圧倒的な大きさであった。

 これを求めていたのだ。これを求めていたのだ。

 よろけるように車を道路の脇に止めると、私は慌てて車を降り、口をあんぐり開けて山に見入った。
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使われなくなった古い橋

2005年05月14日 | 写真とことば
 その橋は山の中へと私を導いた。

 彼はすでに自然に侵されていたのだ。
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仮定法的思考の能力と限界

2005年05月14日 | essay
仮定を考えてみるのは楽しい。

もし百万円手に入ったら?
もし死後の世界があったら?
もし総理大臣になったら?
もし無人島に一人でたどり着いたら?
もし異性に生まれていたら?
もし地球が明日にも爆発する運命とわかったら?

それは一定の想像力・推理力・予測能力・話の構成力等を身につける訓練になる。
しかし
仮定で物事を考えることになれると、ふと

現実から逃避している自分に気づかされる。
「もし」と語ることで、「今は」と観察する努力を怠ってしまうのだ。

加えて

可能性を卑下し諦めてしまう癖までついてしまうのだ。
もし、と繰り返し語るのに飽きたとき
「しょせん可能性に過ぎないから」という言葉が口をついてくる。
可能性は
可能性に過ぎないものと
空想の産物におとしめてしまうのである。

もし。

この言葉で語ることが過ぎていないか
わが身を振り返ろうと思う。
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ブログの支店

2005年05月13日 | Weblog
♪「私設 松本観光案内所」を開設しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/overthejigen/
こちらも一度ご覧ください。

以上ご案内でした。
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