peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

イネ(稲)~気仙沼街道を行く

2009年10月08日 | 植物図鑑

一関市川崎町薄衣&千厩町千厩  2009年10月4日(日)

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2009年10月4日(日)、一関市博物館主催の「大人の調べ学習~気仙沼街道を行く(第4回)」という催事が行われたので、妻と共に参加しました。一関市役所川崎支所(川崎町薄衣字諏訪前)に集合して、バスと一部徒歩で「気仙沼街道」と呼ばれた古道を訪ねるものです。

川崎支所~薄衣新町~漆崎の古碑群&古井戸~鴨地の姥桜&古碑群~往還塚~笠松と古碑群~柏木の不動尊&古碑群~三島峠&金山沢&堀子の墓と進み、いよいよ最終目的地の千厩町千厩の町頭です。

川崎町薄衣字鴨地地区を歩いていたとき、丁度稲刈りをしており、ホニオがつくられていました。「ホニオ」というのは、稲の干し方のことで、一本の杭に稲束を丸く積んだものです。

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川崎町薄衣と千厩町千厩の町境にある三島峠を越えて、山道である気仙沼街道を千厩側に抜けると、エホバの証人の王国会館がある所に出ました。バスが待っていたので、バスで最終目的地の千厩町千厩字町浦98-3外に移動。愛宕児童公園などがある所が気仙沼街道の到着点でした。

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県道267号(松川千厩)線沿いには、愛宕神社があり、鐘楼などがありました。

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県道267号線沿いの愛宕神社のすぐ近くに、子どもを抱いているように見える石の地蔵様が祀られていました。

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県道267号線沿いにある地蔵様の丁度向かい側には気仙沼街道の一部が残されていました。

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イネ(稲) イネ科 イネ属 Oryza sativa

 「五穀豊穣」の五穀は、イネ(稲)、ムギ(麦)、アワ(粟)、マメ(豆)に、キビ(黍)またはヒエ(稗)を加えたもの。このうちアワ、キビ、ヒエなどの雑穀はやせ地でもよく育つので、イネやムギの耕作に向かない土地の食糧として重要な役割を果たしてきたという。 イネ(稲)は、コムギ、トウモロコシと共に世界の三大穀物のひとつ。日本酒の原料としても重要。高さ50~90㎝の一年草。紀元前4000年以前に、インドのアッサム地方から中国の雲南省にかけての地域で栽培がはじまり、日本へは中国を経て、縄文時代後期に伝わったと考えられている。米粒の丸い日本型と細長いインド型とがあり、インド型は粘りが少ない。それぞれにウルチ種(炊飯用)とモチ種(餅用)がある。


マムシグサ(蝮草)~気仙沼街道を行く

2009年10月08日 | 植物図鑑

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一関市川崎町薄衣&千厩町・三島  2009年10月4日(日)

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2009年10月4日(日)、一関市博物館主催の「大人の調べ学習~気仙沼街道を行く(第4回)」という催事に妻と一緒に参加しました。一関市役所川崎支所(川崎町薄衣字諏訪前)に集合して、バスと一部徒歩で「気仙沼街道」と呼ばれた古道を訪ねるものです。参加者:15名。

10:00~12:00は、一関市役所川崎支所~薄衣新町~漆崎の古碑群&古井戸~鴨地の姥桜&古碑群~往還塚~笠松と古碑群を見学して、昼食のため道の駅「かわさき」に戻り、12:00~13:00休憩。13:00からバスで薄衣字柏木に移動して、柏木の不動尊&古碑群を見学。柏木から川崎町と千厩町の町境に位置する三島峠まで歩きます。

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歩き出してすぐの一行。

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(上)もうすぐ三島峠という所で、地べたに腰をつけて休む人たち。

(下)峠を千厩町側に下る一行。この付近で「マムシグサ(蝮草)」の真っ赤な実を見つける。

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(下)千厩町側の集落。「濁り村」と呼ばれた集落?

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(下)千厩町史談会解説の「三島金山沢金山」の説明板。(金山沢=かねやまざわ)

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三島峠越えは、気仙沼への旧街道筋にあたる。山麓に残る山砂金の露天掘り跡は、石名田付近よりはじめられ、下川原、金山沢から三島山の六号目まで及んでいる。その採掘遺構は主に上堤と下堤で精錬用水を貯水し、堰溝をたて多量の水を流す猫流し法によるものである。とくに山肌は縦横に掘削され、凹地のところを金ぽこと呼んで、水を溜め砂金を沈殿させて採取したところだという。川下の水は常に濁り村名となったか、伝承では、阿部貞任が三島山麓の堰に毒水を流し、源義家軍を奇襲したので毒水沢の逸話もある。また、金山沢を下ると、七日市という地名が残る。七日毎に賃金を払った所で市もたつほど賑わったと伝える。沼田の渡辺家の文書によれば、この金山は寛文九年(1669)頃は。五十七人の掘り子が従事したとある。掘り子のなかにはこの地で亡くなり、無名の墓石を今に残している。千厩町史談会」

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説明板の所から千厩町の町頭方面へ向かう一行。「掘り子の墓」と伝えられている無名墓。近くにはこの集落の家の墓があった。

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マムシグサ(蝮草) サトイモ科 テンナンショウ属 Arisaema japonicum

山野のうす暗い林の中などに生える多年草。葉は2個つき、7~17個の小葉が鳥足状に付いている。小葉の形や大きさは変化が多い。この仲間は葉柄の下部が花茎を包み込んでいて、茎のように見える。「マムシグサ」の名は、この茎のように見える部分に紫褐色のまだら模様があることからきている。 花期は4~6月。テンナンショウの仲間の花は仏炎苞と呼ばれる筒状の苞に包まれていて、外からは見えない。マムシグサの仏炎苞は緑色から濃紫色まで色の変化が多いが、いずれも白い筋がある。果実は液果で秋に赤く熟し、果軸にびっしりと付く。分布:北海道~九州。