peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都38:清水寺(きよみずでら)その3

2010年03月05日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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(下)伝福禄寿:清水寺縁起によれば、奈良時代宝亀9年(778)、当地(音羽の滝)一帯を中心として練行中の行叡居士より大和の子島寺僧延鎮上人が霊水を嘱され観音像を奉納し祀ったことにより当山の草創がある。

 この石像はその頃、練行中の行叡居士のお姿として伝えられ、当地の仏教行者は道教の熟達であった事が十分想像される数少ない資料の一つである。

 しかし、後世では宝冠に似た頭巾と広袖の衣、長髪の顎ひげをたらし、右手に持つ錫杖、左手の経巻などの形から、七福神の一つ福禄寿として信仰をあつめ祀られてきた。

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清水の舞台(下から見たところ)

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音羽の滝:奥の院の建つ崖の下にある。清水寺の寺号の由来である霊水で、3本の筧(かけい)から水が流れ落ちている。http://www.kiyomizudera.or.jp/otowa.html

 御詠歌:松風や音羽の滝の清水をむすぶ心は涼しかるらん

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 音羽の滝は、音羽の山中から涌出する清泉で、四季増減なく昔より名水をもってきわめて有名であります。音羽の滝には不動明王を祀っております。当山

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 修学旅行の生徒たちが群がって「霊水」を受けていた。55年も前のことになるのだが、同じようにして水を受けて飲んだことを覚えている。

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崖の上に阿弥陀堂と奥の院が見える。本堂(清水の舞台)と同じように見える。

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 本堂から奥の院方面に行くと、右手に音羽の滝(不動堂拝堂)方面に下り手行ける長い石段がある。修学旅行の生徒たちは皆その石段を下りてくる。

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 (上)音羽地蔵尊

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 清水寺境内図:「アテルイとモレの慰霊碑」は、本堂(清水の舞台)の下の方にあった。

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 アテルイとモレの慰霊碑:坂上田村麻呂のゆかりから1994年に建立されたもので、音羽の滝から仁王門方面へ戻る道の左手に立つ。碑面には「北天の雄 阿弖流為 母禮之碑」とある。

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 顕彰碑:八世紀末頃、日高見国胆沢(岩手県水沢市地方)を本拠とした蝦夷(えみし)の首領・阿弖流為(サテルイ)は中央政府の数次に亘る侵略に対し十数年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞の母礼(モレ)と共に京都に連行された。

 田村麻呂は敵将ながらアテルイ、モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが容れられず、アテルイ、モレ両雄は802年河内国で処刑された。

 この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ、モレ顕彰碑を建立す。

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http://www.kiyomizudera.or.jp/aterui-more.html [音羽山 清水寺公式ホームページ/アテルイ、モレの碑]

http://www.kiyomizudera.or.jp/kaizan.html [音羽山 清水寺公式ホームページ/重要文化財・田村堂(開山堂)]

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Renge/3393/sakanouenotamuramaro.html [坂上田村麻呂の墓]


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都37:清水寺(きよみずでら)その2

2010年03月05日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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2010年2月6日(土)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」第3日目。この日最初に参拝した六波羅蜜寺を予定より早く出発したので、清水寺の駐車場にバスが到着したのは9:00前。

 境内は標高242mの清水山(音羽山)中腹に石垣を築いて整地され、多くの建物が軒を接するように建ち並んでいる。入口の仁王門を過ぎ、西門(さいもん)、三重塔、鐘楼、経堂、田村堂(開山堂)、朝倉堂などを経て本堂に至る。 本堂(清水の舞台)参拝は9:10時。

 清水寺本堂(附:厨子3基)は国宝に指定されているが、文化財保護法第2条に基づき、建物とともに清水寺境内地も1993年9月1日付けで国宝に追加指定されている。[以下、写真説明などは、全てフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」より]

 http://www.kiyomizudera.or.jp/keidai-map.html [境内案内図]

 ここから皆で、奥の院の前を通って岩手県ゆかりの「アテルイとモレの慰霊碑」に行くことになった。

本堂(清水の舞台)を出ると、すぐ左手にある。サザンカ(山茶花)越しに地主神社(じしゅじんじゃ):京都市東山区清水1丁目317が見えた。

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 地主神社(じしゅじんじゃ):本堂の北にある神社で、清水寺の鎮守社で縁結びの神として信仰を集めている。本殿、拝殿、総門は清水寺本堂と同じく寛永10年(1633)の再建である。ちなみに清水寺・仁王門前にある狛犬は地主神社のものである。なお、地主神社本殿・拝殿・総門および地主神社境内地も社殿と一体をなして価値を形成するものとして重要文化財に指定されている。

http://kaiwai.city.kyoto.jp/search/view_sight.phpInforKindCode=1&ManageCode=1000087

[京都市観光文化情報システム:地主神社]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE [地主神社-Wikipedia]

http://www.jishujinja.or.jp/ [縁結びの神社 京都地主神社] 

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 (上と下)釈迦堂(重要文化財):本堂の先の山腹に建つ、寄棟造、檜皮葺きの三間堂。寛永再興時の再建。昭和47年(1972)の集中豪雨による土砂崩れで倒壊したが、3年後に旧材をもって復元された。

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http://www.kiyomizudera.or.jp/syakadou.html [釈迦堂]

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(上)西向地蔵堂

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 (上)左は釈迦堂、右は奥の院。(下から見ると清水の舞台と同じような所に建っている。)

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 阿弥陀堂(重要文化財):釈迦堂の右(南)に建つ入母屋造、瓦葺きの三間堂。寛永再興時の再建。前面の旧外陣部分を改造して奥の院への通路としている。内陣正面には後柏原天皇筆の「日本最初常行念仏道場」の額が架かる。文治4年(1188)、法然がこの地で念仏を修したとの故事により、法然上人二十五霊場の十三番とされている。

http://www.kiyomizudera.or.jp/amida.html [阿弥陀堂] 

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(上と下)濡れ手観音:http://www.kiyomizudera.or.jp/nuretekannon.html

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http://www.kiyomizudera.or.jp/okunoin.html [奥の院]

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 奥の院(重要文化財):阿弥陀堂の先(南)、本堂の全貌を見渡すことができる位置に建つ、寄棟造、檜皮葺きの五間堂。寛永再興時の再建。本堂より小規模ながら、崖にせり出した懸造の建物である。本堂と同様に千手観音、毘沙門天、地蔵菩薩、二十八部衆、風神・雷神の諸仏を安置する。ただし中尊は本堂本尊と異なり坐像である。洛陽三十三所観音霊場第11番札所。

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重要文化財(美術工芸品):木造千手観音坐像(奥の院本尊・秘仏)、木造十一面観音立像(本堂本尊とは別個の像)、木造伝・観音勢至菩薩立像(もと阿弥陀堂安置)、木造大日如来坐像(もと真福寺大日堂安置)、木造毘沙門天立像(塔頭慈心院所有)、これらは全て宝蔵館に収蔵され非公開

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