2010年2月6日(土)、平家物語ゆかりの地を巡る旅第3日目。この日2番目の目的地・清水寺には、予定より30分ほど早く到着した。仁王門~本堂(清水の舞台)~奥の院と参拝した後、なだらかな道を歩いて本堂/奥の院下の音羽の滝に至る。近くにあったアテルイ・モレの顕彰碑前で少し時間をかけたが、その後は一路もと来た道を戻るだけ。
曹洞宗太祖 常済大師 顕彰碑:常済大師(じょうさいだいし)は瑩山禅師(けいざんぜんじ)ともいう。道元から四代目にあたる瑩山は、多くの弟子を育て禅を広く大衆に広め、曹洞宗(そうとうしゅう)の基礎をつくった。曹洞宗では道元を宗派の父、瑩山を母にたとえている。能登総持寺を開き、曹洞宗を広めた瑩山は明治42年皇室から常済大師、弘徳円明国師などの称号を贈られている。
http://www.butsuzou.com/jiten/taiso.html [太祖 常済大師・瑩山禅師(仏教事典)]
戻り道から見た西門(せいもん)。
これから清水坂(参道)を戻るだけだが、時計はまだ9:27時(予定時間は10:30時)。
清水寺善光寺堂(旧地蔵院):清水坂(参道)を登りつめた山門手前左側にある。洛陽三十三所観音霊場第10番札所。庇下右側の見える小さな祠には通称名・首振地蔵が安置されている。(京都市東山区清水1丁目294)。
鎌倉時代以前から地蔵菩薩を祀る地蔵堂であったが、如意輪観音を併祀して「地蔵院」となり、明治の初め、奥の院南庭にあった善光寺如来堂を合併して「善光寺堂」と称している。如意輪観音像は鎌倉末期作の秀逸な六臂坐像で、本尊の地蔵菩薩立像と並んで崇敬されている。
http://rakuyo33.jp/10.shtml [洛陽三十三所観音巡礼 第十番札所 清水寺善光寺堂(旧地蔵院)]
http://blogs.yahoo.co.jp/haduki223/28157232.html [洛陽三十三所巡礼~第十番 清水寺善光寺堂~-もう一度輝くために-Yahoo!ブログ]
http://tuusyou.hp.infoseek.co.jp/t162.html [162.首振地蔵]
同行者たちは、清水坂(参道)の両側にある土産物屋などに立ち寄ったりしていたが、私は買う気もないので、ただ美しいと思った店先の写真を撮るだけ。三年坂(産寧坂)より清水寺の清水坂は修学旅行シーズンともなると大変な人混みになるとのこと。いわゆる定番京都土産に混じって、修学旅行生向きのファッション、アクセサリなどの店も幾つか見られるそうです。
経書堂(きょうかくどう):清水道(坂)の途中、清水道、五条坂、三年坂(産寧坂)の合流点の北側にある。清水寺塔頭の来迎院(らいごいん)の仏堂で、創建年代は不明。中世に成立した清水の花見を主題とした謡曲「熊野(ゆや)」に「御法の花も開くなる 経書堂はこれかとよ」と謡われていることから、古くから清水寺の参詣道にあって親しまれてきた事が伺われる。本尊は、三尺(約90㎝)程の16歳の聖徳太子像で、脇壇に三尊像を安置している。
http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1700/20705066.html [聖徳太子を祀る清水寺の小さな境外塔頭(経書堂)]
http://tuusyou.hp.infoseek.co.jp/t161.html [161.経書堂]
参道:東大路通の清水道交差点から清水寺までの約1.2kmの坂道は清水道と称され、道の両側には観光客向けのみやげ物店などが軒を連ねている。この道は松原通(かつての五条通)の延長である。
その南、東山五条の交差点から北東に上り、清水道に合流する五条坂も参詣道となっている。さらに、五条坂の途中から分岐して清水寺仁王門付近に達する清水新道(茶わん坂)もある。
これらの参道が開けたのは近世以降のことであり、中世までは八坂の塔(法観寺)を経て産寧坂(三年坂)を南方向へ上り、経書堂(きょうかくどう)のところで左(東)へ折れるルートが参道であった。[以上、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)清水寺より]
http://kiyomizuderara.com/approach-to-a-shrine/ [清水寺パーフェクトガイドより]