まりさんとatatachanとTAKAMI。
3人が集合したのが18時頃だったかな。
まずは外に食事に出かけて、そこで22時の閉店まで盛り上がり、その後、わが家にてご延長タイム。
同じ中学~高校卒業後、全く違う人生を歩んできたこの3人のお茶会は、明け方4時半まで続いたのでありました。
いったい10時間も何を語りまくっていたかというと…
現在のそれぞれを取り巻く状況…まっ、近況報告
アレルギーと食品添加物と残留農薬
公務員と自営業者の不公平
日本人の不倫に対する寛容
アーティストが経営者を兼ねることの困難
緑茶と紅茶の違い
ハーブの使い方
離婚すること、しないことの意義
ネットというバーチャルな世界の中の人間関係と誤算
台風の影響で涼しい風が部屋の中を吹き抜けていきました。
私たちの笑い声も、解き放たれて、風にのって真夜中の街を渡っていきました。
なにしろ「お茶会」。
いやもちろん、皆さまにお茶にお付き合いいただくつもりは全くなかったのですけど。
当然飲むつもりで、ご主人に車で送ってもらって来たatatachanは、夜明け前のひんやりとした空気を纏って、歩いて帰りました。ごめんね~~~~!!
お泊りいただいたまりさんと私は、風の音がすごくて、3時間で寝るのを諦めました。
まりさんは「風のトンネルの中に布団を敷いて寝ているような不思議な気分だった」と…
そしてさらに続く「お茶会」。
夜更けの「バーチャル世界」の話の続きです。
私は不特定多数の、見えない相手に向かって自分の創ったものを発信することに、それほど興味がない…というような話。
お互いの顔の見える範囲の中での音楽活動を望んでいるらしい。
臆病なのかもしれない。
「生涯現役」といっているけれど、私の最晩年の想像図はこうだ。
高齢者施設の談話室。
高い天井に大きな窓ガラスのがらんとした広間に、車椅子の老人が数人。
同じく車椅子に乗った私は、そこで「浜辺の歌」や「砂山」を歌っている。
私がそのことを言うと、まりさんは、こんな話をしてくれました。
アメリカに住んでいる頃、仕事やプライベートで、かなりメジャーなアーティストとの出会いがいくつかあった。
彼らは優れた方々だし、不特定多数に向かって発信して、じゅうぶんな対価も得ている。
その彼らが例外なく言うことは、
「自分の発信しているもの、伝えたいことを、そのまま受け入れてくれる、本当にわかってくれる人がほんの数人いれば、それでいい。」
クリエイターであればあるほど、強く求める人でもあるんだな…「呼応」を。
これって、先の記事で、良寛さまと貞心の歌の贈答を「至福のLIVE」と書いたことともしっかり通じているのであります。
…で、私?
私は、その車椅子LIVEでで、先人たちの歌の中に、さりげなく自分のうたを挿入することができたらと思うのです。
しかし、そんなうたを創るにはまだまだまだまだ。人生の積み重ねが足りません。
こんどの会合は、10月7日。Newレオマワールド。
お天気がよければお弁当でもつくって、遠足気分でいきたいな。
こんどはまりさんもatatachanも、思う存分ビールをぷっは~~~っっっ!と飲んでくださいますように(*^_^*)
3人が集合したのが18時頃だったかな。
まずは外に食事に出かけて、そこで22時の閉店まで盛り上がり、その後、わが家にてご延長タイム。
同じ中学~高校卒業後、全く違う人生を歩んできたこの3人のお茶会は、明け方4時半まで続いたのでありました。
いったい10時間も何を語りまくっていたかというと…
現在のそれぞれを取り巻く状況…まっ、近況報告
アレルギーと食品添加物と残留農薬
公務員と自営業者の不公平
日本人の不倫に対する寛容
アーティストが経営者を兼ねることの困難
緑茶と紅茶の違い
ハーブの使い方
離婚すること、しないことの意義
ネットというバーチャルな世界の中の人間関係と誤算
台風の影響で涼しい風が部屋の中を吹き抜けていきました。
私たちの笑い声も、解き放たれて、風にのって真夜中の街を渡っていきました。
なにしろ「お茶会」。
いやもちろん、皆さまにお茶にお付き合いいただくつもりは全くなかったのですけど。
当然飲むつもりで、ご主人に車で送ってもらって来たatatachanは、夜明け前のひんやりとした空気を纏って、歩いて帰りました。ごめんね~~~~!!
お泊りいただいたまりさんと私は、風の音がすごくて、3時間で寝るのを諦めました。
まりさんは「風のトンネルの中に布団を敷いて寝ているような不思議な気分だった」と…
そしてさらに続く「お茶会」。
夜更けの「バーチャル世界」の話の続きです。
私は不特定多数の、見えない相手に向かって自分の創ったものを発信することに、それほど興味がない…というような話。
お互いの顔の見える範囲の中での音楽活動を望んでいるらしい。
臆病なのかもしれない。
「生涯現役」といっているけれど、私の最晩年の想像図はこうだ。
高齢者施設の談話室。
高い天井に大きな窓ガラスのがらんとした広間に、車椅子の老人が数人。
同じく車椅子に乗った私は、そこで「浜辺の歌」や「砂山」を歌っている。
私がそのことを言うと、まりさんは、こんな話をしてくれました。
アメリカに住んでいる頃、仕事やプライベートで、かなりメジャーなアーティストとの出会いがいくつかあった。
彼らは優れた方々だし、不特定多数に向かって発信して、じゅうぶんな対価も得ている。
その彼らが例外なく言うことは、
「自分の発信しているもの、伝えたいことを、そのまま受け入れてくれる、本当にわかってくれる人がほんの数人いれば、それでいい。」
クリエイターであればあるほど、強く求める人でもあるんだな…「呼応」を。
これって、先の記事で、良寛さまと貞心の歌の贈答を「至福のLIVE」と書いたことともしっかり通じているのであります。
…で、私?
私は、その車椅子LIVEでで、先人たちの歌の中に、さりげなく自分のうたを挿入することができたらと思うのです。
しかし、そんなうたを創るにはまだまだまだまだ。人生の積み重ねが足りません。
こんどの会合は、10月7日。Newレオマワールド。
お天気がよければお弁当でもつくって、遠足気分でいきたいな。
こんどはまりさんもatatachanも、思う存分ビールをぷっは~~~っっっ!と飲んでくださいますように(*^_^*)