私は「君が代」が好きなのです。
伴奏(というか、吹奏楽のアレンジ)はめっちゃ嫌いですが。
いつか、「君が代」をLIVEで歌うつもりです。
「国歌」ではなくて自分のオリジナルとして。
この詩のうつくしい心を私なりに心を尽くして表現したいと思っています。
でも、この美しい歌が「国歌」だなんて、
日本の誇りだとも思っているんですけどね。
でもやっぱり、あの伴奏はヤですけど。
この曲には、12平均律も、西洋風の和声もふさわしくないですから、、、
私が伴奏を拒否するとしたら、理由は
「この伴奏は美しくない、無伴奏で斉唱するほうが美しいと思う」
このメロディーにふさわしいシンプルなコーラスをつくって、アカペラの合唱にするのもいいかも。
そういえば、Takの保育園の担任の先生は、
生徒達に、「日本の旗は、日本の国の人たちを守ってくれる。だから、国旗には、ありがとうの気持ちで礼をしましょう」と教えていらしたようです。
ところで最近、私は、童謡のアレンジに着手しつつあります。
「夕焼けこやけ」
「七つの子」
「われは海の子」
…などなど、好きな歌、自分のオリジナルバージョンをつくろうと思って、まずはラフに自由に弾き歌っているのですが、そのたびに、違うのよ~~~音の混ざり具合が!
これをひとつに決めたくないような気がするけれど、まずはデッサンをしなくっちゃ。
いずれみなさまにお聴かせします(*^_^*)
君が代は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔の生すまで
私は、このうたから心に広がる風景は、ミレーの「晩鐘」です。
これは祈りのうたです。
万葉びとにとって、国を統べる王の顔などみたこともなく、
まして、自分の住むくにがどのくらいの広さで、どこまで続いているのか
知りようもない。
私がこのうたをうたうとき、「君が代」という言葉は「世界」のことだと感じま
す。
1日の農作業を終えて、夕陽が沈むとき、今日も健康で働けたことを感謝し、貧しくとも家族がこれからも健やかで、そして自分達を取り巻くこの世界の平安がいつまでも続きますようにという祈り。
自分を取り巻く世界を、「わが世」ではなく「君が代」とうたって、世界を統べる、大いなる叡智のあることを感じて、敬虔に祈りを捧げるうたなのです。
これが、私が君が代をうたっていて感じる、自分なりの解釈です。
伴奏(というか、吹奏楽のアレンジ)はめっちゃ嫌いですが。
いつか、「君が代」をLIVEで歌うつもりです。
「国歌」ではなくて自分のオリジナルとして。
この詩のうつくしい心を私なりに心を尽くして表現したいと思っています。
でも、この美しい歌が「国歌」だなんて、
日本の誇りだとも思っているんですけどね。
でもやっぱり、あの伴奏はヤですけど。
この曲には、12平均律も、西洋風の和声もふさわしくないですから、、、
私が伴奏を拒否するとしたら、理由は
「この伴奏は美しくない、無伴奏で斉唱するほうが美しいと思う」
このメロディーにふさわしいシンプルなコーラスをつくって、アカペラの合唱にするのもいいかも。
そういえば、Takの保育園の担任の先生は、
生徒達に、「日本の旗は、日本の国の人たちを守ってくれる。だから、国旗には、ありがとうの気持ちで礼をしましょう」と教えていらしたようです。
ところで最近、私は、童謡のアレンジに着手しつつあります。
「夕焼けこやけ」
「七つの子」
「われは海の子」
…などなど、好きな歌、自分のオリジナルバージョンをつくろうと思って、まずはラフに自由に弾き歌っているのですが、そのたびに、違うのよ~~~音の混ざり具合が!
これをひとつに決めたくないような気がするけれど、まずはデッサンをしなくっちゃ。
いずれみなさまにお聴かせします(*^_^*)
君が代は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔の生すまで
私は、このうたから心に広がる風景は、ミレーの「晩鐘」です。
これは祈りのうたです。
万葉びとにとって、国を統べる王の顔などみたこともなく、
まして、自分の住むくにがどのくらいの広さで、どこまで続いているのか
知りようもない。
私がこのうたをうたうとき、「君が代」という言葉は「世界」のことだと感じま
す。
1日の農作業を終えて、夕陽が沈むとき、今日も健康で働けたことを感謝し、貧しくとも家族がこれからも健やかで、そして自分達を取り巻くこの世界の平安がいつまでも続きますようにという祈り。
自分を取り巻く世界を、「わが世」ではなく「君が代」とうたって、世界を統べる、大いなる叡智のあることを感じて、敬虔に祈りを捧げるうたなのです。
これが、私が君が代をうたっていて感じる、自分なりの解釈です。