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Takのいっている教会のクリスマス礼拝と祝会に参加させていただきました。
続いて、「キャロリング」(街頭で賛美歌をうたう)と、キャンドルサービス礼拝にも参加しました。
Takが教会学校に通い始めたことで、たくさんの出会いがありました。
牧師先生ご夫妻は私のLIVEにいらして下さり、そんなことをきっかけに、教会のクワイヤーチームにご一緒させていただく機会を得ることができました。
クリスチャンではない私をお誘いくださり、仲間に加えていただけたことを、とっても嬉しく感謝しています。
私にとって、ほんとに素晴しい経験でした。
お祈りから始まって、お祈りで終わるリハ。
神さま、イエスさまを賛美するうたのリハですから、その時間は神聖なのです。
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牧師先生は、賛美歌の歌詞の意味をとても重視されています。
歌詞を基軸に、「ここはやさしく明るく」「ここは痛々しく振り絞るように」などと、曲想を私たちに伝える。
「そうか、なるほど、この曲は、リズムがはっきりしているけれど、全篇を通して同じ調子で歌うんじゃないんだな」
「このリズムに、流れるような歌が乗っかるのか、なるほどぉ~~」
先生の要求を自分なりに受け入れて、そのように歌うと、とたんに「世界が広がる」のです。
イエス・キリストが、十字架を担いでゴルゴタの丘を歩いて登っていく、その歩みと、十字架が引きずられるゴトゴトという音が聞こえて、陽射しや影が見えてくるのです。
私は、本番のステージでは決して泣きませんが、礼拝などで、賛美歌を斉唱していると、涙がこみあげてきて、胸がつまって、歌えなくなります。
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賛美歌の歌詞というのは、それほどに奥深いところに通じているのだと思います。
音大時代、西洋音楽を勉強して、音楽の歴史は、宗教の歴史と並行で進んでいっていることを学び、たくさんの宗教音楽を歌ってきましたが、核心に迫るところが大きく抜け落ちていたような気がしました。
それからもうひとつ、気付いたこと。超重要。
牧師先生は、音楽の専門家ではないけれど、クワイヤーチームのリーダーです。
先生は、ギターを弾いて、とても美しいテノールで賛美歌を歌われます。
そんな先生の、指摘や要求を、私はメンバーとして聞くのです。
私は、これまでバンドを立ち上げてから、ずっと「リーダー」の立場でした。
私が率いてきたのは、私よりもずっと経験豊かだったり、テクニックを持っていたり、優秀な人たちばかりでした。
なので、私はどこかで遠慮したり、妥協したりしていました。
でも、メンバーは、リーダーを信頼してついていくんだ。リーダーの要求に応えることが、ミュージシャンとしてのプライドなのだということです。
私が「こんな音楽をつくりたい」という主張を、妥協せずにメンバーにぶつけることが、バンドの信頼関係も深め、音楽そのものを高めることになるんだな。
それを、メンバーも望んでいるのだ…ということです。
私のところに集まってくれたメンバーは、私を信頼して、私の音楽を一緒にやろう…と思ってくれているんだよね。
私が遠慮してるっていうことは、その人たちに対して失礼なことだ、、
牧師先生率いるクワイヤーチームに参加させていただいて、ミュージシャンとして、そのことを特に感じました。
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これからも、本当に自分で納得できるいい音楽をつくっていくために、いろんな経験を積み重ねていきたいと思いました。
人生、まだまだ、、、、ホントに奥深いです。
みなさま、よいクリスマスを♪